_ 今日は一日がとにかく短かった。いつのまにか夕方だったからなあ。。電話とかメールとかがない生活をしていたつい先月までが夢のよう。豆腐ハンバーグがおいしかった。ヨガ少し。番茶と栗まんじゅう。
_ 終日、ぼーっとする。
_ 夕方からDVD。ちゃん・いーもう「活きる」。朝日シネマで見た日のこと、思い出すなあ。いい映画。この映画を撮った3年後にこん・りーは、大金持ちと結婚してしまった。こん・りーの夫役の俳優が、とてもよい。中国映画は、台湾も香港も大陸も、やっぱりいいなあと思う。
_ B型によるB型のためのB型研究とかいうサイトをみて、笑ってしまう。わたしも血液型を聞かれたら、「何型と思います?」と無邪気に問い返し、相手の答えを聞いてから「ははっ、そうみえます?」などというタイプ。血液型を隠す男どもは大概、B型であり、曰くありげに隠しておいて相手の答えを聞いてから、実はB型ですなどというのがB型の女人。わたしは自分の血液型を最後まで言わない。隠したいからではなく、そのようなものを明らかにしたところで一体なにがわかるのかっ、と思うからであろう。このようなところがすでにB型かもしれないけども。。
_ なんかだめな一日。
_ だれもがあの人はおかしいと思っている人がいるとして、その人にさんざんに振り回されている人がたくさんいるとして、しかもそのうちの大部分の人が恒常的な頭痛とか不眠とかうつ傾向を呈するようになっているとして、しかしその人がえらい人だからと言う理由でだれもが君子危うきに近づかずという態度を決め込んでいるとして。このような不幸な状況をどうやってやり過ごすべきかという話をどこのだれにすればよいかわからん、ずっと今日まで悩んできましたという話をしたとして。それでも問題は解決されるわけではないから、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び続けるしかないのかなという話をしたかもしれない。あくまでも、そんなことがあったらこりゃたいへんだよなあという話にすぎない。悩まされているというのも、実は妄想かもしれないですしな。。
_ まださむい。古い時代の松任谷由実はいいなあと思ったり。「卒業写真」、やっぱり名曲だな。春。うぐいすの声で目が覚めた。
_ 女子大の先生と一緒に仕事をしているんだけど、若い女性がいるときとそうでないときと、わたしとの距離の取り方が微妙に違うのがたいへん興味深い。若い女性たち(学部の人)と一緒のときは、わたしも女性扱いされる。彼女たちが帰ると、男扱いされる。またわたしがいなくて、若い女性たちと一緒のときは、わたしをおばはん扱いしているのだとか(笑)。や、ま、いいんです。おもしろいなあと思っているだけなので。当然、この女子大の先生は、男である。全員が女性であれば、このようなことは起こらない。で、なぜわたしが別にこのことに対して別にええねんと言っていられるかというと、わたしはこの大先輩に向かって終始一貫、ため口を聞いているという礼儀知らずな態度を取っているからである。本来、こちらの態度のほうが問題視されるべきであるのだが、まあそのあたりは長年のつきあいということで、双方、相殺しあっているということ。最近、面白いなと思ったこと。
_ さむい。某新聞記者さんの一人称は「小生」。この一人称を使う人には、「小職」組とおなじで、内心、(ほんまに謙ろうとしているのかっ!)と一瞬思わずにはいられない妙な発言が多かったりする人である確率が高い。が、この某記者さんの場合、あまりにも板に付きすぎているためか、こちらもついつい「小生さん、あのですね‥」などと言ってしまいそうになる。そういう名の人であるかのように、わたしの中ではかれは小生さんとして存在している。これを修正するのがなかなかにむずかしくて、ま、どうでもよいことではありますが。
_ 某くんのお誕生日なので、おめでとさん♪
_ 荷物の整理とか。次の出張が、をを、5月下旬に決まる。
_ そいえば、こないだ某所で久々にピアノを弾いたら全然、もう指が動かなくなっていた。うーん。
_ よその人のウェブ日記(というかブログというの?ここもブログと言われたことがあるのだけど、わたしはよく違いがわからない)を拝読していると、その読書量の多さに圧倒されてしまう。また読み終わった本の感想を、実に手際よくまとめておられたりもする。ひたすら、瞠目するばかり。わたしは読んだ本がおもしろかったかそうでなかったかということすら、時々、うまく説明できない。随分、時が経ってから、評価が反転することもあって、客観的に本を評することが下手くそなのかなと思う。ということは、研究者に向いていないわけでありまするな。
みなさんは、購入された本をどのように管理されているのだろうか。わたしは人生のある時点まで、実に事細かに、その本を買った場所、日付を覚えていた。また、本棚の中での分類も、お手製のブックカバーを付けたり付けなかったりするかどうかの区別まで含めて、すべて読後の感想に基づいて万全なる管理態勢を敷いていた。今は、そんなことする暇もないし、それほど面白い本を読まなくもなってしまった。読書との距離ができたなと痛感するようになった最大のきっかけは、川上弘美の小説を一度もおもしろいと思ったことがないということに始まるかなと思う。恩田陸、その他諸々。もう全然、小説的「時代」についていっていない。わたしの読書はもはや読書とはいえないのかも。だって、おなじ本を何遍も何遍も読み返すだけだから。これはルーチンである。読書的冒険から遠ざかっていると言うことは、頭も心も新しいものをうけつけないという老人化ということだろうか。要は、新刊図書の波に取り残されているということに尽きるのかもしれないけど、複製文化とか消費とか、そんなことをまた考え始めてしまうなあ。ま、今、はまっているのがヨガという人間なので、消費文化としての読書とか考えてしまうんだろうな。今、わたしの中のブームは、ヨガと某国語学習。そういえば、生協でラジオ講座のテキストを大量購入しちゃった☆。ほんまにやるんかいな。