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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

01-04-2010 / Thursday [長年日記]

_ 少し前に、カルガモさんとふたりで帰国した。足腰が立たず、一時はもう二度と起き上がれないのではないかとも覚悟した夫だが、幸い、膝と腰の打撲はそれほど深刻ではなかったようで、わたしたちが帰国する前には自力で立ち上がり、歩行することができるようになっていた。骨折した鎖骨の治療については、最後にはわたしが周りに説得されるような状況になり、夫の好きなように治療を受けさせることを了解。夫にはできるだけ近くの病院での定期検査を受けることを約束させた。が、今日の電話によれば、呪術医の治療にはさすがに見切りをつけ、今は東洋医学というのか鍼灸師のところで治療を受けているとのこと。相変わらず痛みは引かず、着替えにも苦労しているようだが、本人の弁によれば「よくなっている」とのこと。もともと一ヶ月の滞在を予定していたため、わたしとカルガモさんは後ろ髪を引かれる思いで、帰国してきた次第。再来月にはちょうど某国で開催されるシンポジウムに出席することが決まったこともあり、わたしとカルガモさんはまた某国に戻ってくる。われわれがいないほうが夫もあれこれ気を遣わずに安静にできるかとも思った。以上のようなことで、ご心配をおかけしました。なんとかとりあえず、落ち着きました。

帰国の日の夕方、カルガモさんと離れるのが辛くて静かに泣いていた夫があまりにもかわいそうで、カルガモさんは夫の元に置いていこうかとも思ったのだけど、現実的なことのあれこれー授乳やら予防接種やら日常の世話ーを考えるに至り、決然とひとり荷造りをすませて、あっさりと出発ゲートで夫と別れて飛行機に乗った。夜便ということもあり、国内線の移動の間も深夜便への乗り継ぎも、カルガモさんはずっと寝ていた。ごく短い時間、国際線の乗り継ぎを待つラウンジで、大声を上げてカルガモさんは泣いたのだが、あとはとにかくずっと寝ていてくれた。機内でも照明が消えてから、一度目を覚まして泣いたのだが、母乳を与えるとすぐに眠りに戻った。

母が空港に迎えに来てくれたので、とても助かった。荷物は宅配便を手配し、すぐにバスに乗り、わたしもようやく眠りにつくことができた。帰宅してから翌朝まで、とにかく記憶なし。それからは次の出国までの間に予防接種関連の手続きを済ませてしまわないといけないので、役所に電話してスケジュールを作ってもらったり、前倒しで予防接種を受けるに際しての書類を作成したりで、慌ただしく過ごした。年度末の研究報告会の準備のため一度ならず完徹をしてばたばたとしているうちにもう4月1日。夫の事故なんて、実はそんなこと起こらなかったんですよ〜、なんて誰か言ってくれたらうれしいんだけど。夕方、電話で話した夫は確実に昨日よりは明るい声になっていて、毎日、ほんとに少しずつではあるけれど、快方に向かっているような気がする。一時はほんとにお先真っ暗、どこまで不幸が続くのかと落ち込んだけれど、無邪気に泣いたり笑ったりしているカルガモさんを見ていると、ただ固まって落ち込んでいるわけにもいかず、今思えば予想外の力をフル回転させて、いろいろ乗り切ったような感がある。ようがんばりました。帰ってからは、母には迷惑をかけているのだけど、とにかく少し甘えさせてもらってわたしもゆっくりと休むこともできた。早いとこ、カルガモさんのベビーカーを選んで、日常生活に復帰したいところ。再来週から大学に戻る予定なので、そろそろわたしもリハビリを始めようとしているところです。


04-03-2010 / Thursday [長年日記]

_ 日本を出発してから一体どれくらいたったんだろう。。というくらい、疲れ果てています(笑)。わたしは使ってしまわないといけないマイレージと、某国からの帰国チケットがあったので、子どもとふたりで河童国回りで某国へ。河童国での一泊は、それなりにたいへんだったけど、全部事前にネットで手配してあったし、大きなアクシデントはカルガモさんが泣きすぎて、二回乗り継ぎの飛行機の出発を遅らせてしまったくらい(笑)ですんだ。予定通り、翌日、とりあえず当座の宿泊予定のホテルにチェックイン。なぜまっすぐに姑の家に行かなかったか。たいへん深刻な理由があった。同居する如月さんの妹夫婦の子ども(15ヵ月)が結核にかかっていることがわかったからであった。罹患していることがわかった時点で、一旦は某国帰国を延期することも考えたのだが、新生児はまだ免疫があるから大人よりかはかかりにくいことを日本の医師と助産師さんから聞き、日本とは違い、生後0ヶ月からBCG接種ができる某国ですぐに予防接種を受けて、とにかく姑の家には新生児をできるだけ連れていかないことで乗り切ることにした。こちらの人は子どもが泣き出すか泣き出さないかの瞬間に即座に抱っこしてしまう人が多い。わたしのように、何で泣いているのかを考えてからというのは、考えられないようで、日本にいるときから旦那に非難のまなざしを向けられていた。郷に入れば郷に従えで、わたしが抱っこし続けている限りは、夫の家族は子どもに手を出せない。そう考えたのである。その一方で、消毒のための洗剤や薬剤を夫の実家に届け、わたしはマスク着用で、子どもの祖父母との対面はなんとか無事に果たした。その日は夫の妹夫婦はたまたま用事で外に出ていたということもあり、病気に侵されている子どもはいなかった。そう、この国では結核患者は隔離されないのである。喀血して初めて病院に入院できるが、隔離病棟ではないのだ。家でうろうろとしながら、一年くらいかけて投薬で治療するのである。危険極まりない状況ではあるけれど、幸いなことに如月さんがきちんと周囲の人にわたしがどれほど結核を恐れているか、子どもになにかあったら、二度とここにはこないと考えていることを説明してくれた。だから姑も一度抱っこしただけで、もしかしたら彼女も結核菌を持っているかもしれないからと我慢してくれた。ちなみに夫もわたしもBCGを再接種する予定であった。夫の実家には泊まらず、わたしの下宿から時々、短い時間だけ村に連れていけばそれでなんとかなるだろう。これなら子どもの誕生のお披露目の儀式もなんとか乗り切れるかなと思った矢先、如月さんが交通事故に遭ったのである。

ホテルからわたしの借りている下宿に移動して数日後、一旦、村の実家に戻った如月さんが、夜になっても戻ってこなかった。どうしたのかなと思っていたら、電話があり、自転車と歩行者を巻き込んだバイクの事故を起こしたという。曰く、三叉路の右手から自転車に乗った中学生が前方に飛び出してきたのだが、これがふらふらと走っていたのだという。目撃者の多い場所であったらしく、みなが自転車が悪いと証言してくれたそうだが、バイクに乗っていて、この自転車を避けようとした如月さんが自転車の動きを読みきれず、自転車の後輪に接触してしまい、バイクごと倒れた。その左側を歩いていた女性が倒れたバイクに押されるように転倒したのだという。

如月さんは腰の骨にひびが入り、鎖骨を骨折し、膝を脱臼した。わたしが行ってもしかたがないから来なくてもよいというのは同感だったので、とにかくその夜は子どもとふたりでまんじりともせず過ごし、翌日、下宿の大家さんに子どもを預けて夫の様子を見に行った。驚くべきことに、夫は入院もせず、マッサージ師のところに行きたいという。頭ごなしに一喝しそうになるのを我慢して、どうしてもそうしたいならどうぞ、でももう二度と子どもを抱けなくなっても知らないよといった。だからなんとか明日は病院でもう一度レントゲン撮影をして、治療方針をしっかりと決めようと説得。それで昨日は、車で片道2時間もかかる山中の怪しい霊感マッサージ師のところへ。さすがのわたしもあほらしいと呆れるほど、神懸りですらない適当マッサージを受けて、如月さんはちょっとよくなったなどという。こちらの人はこういうのにすぐに頼る。それがいいとか悪いとかの問題ではなく、怪我や病気の程度によって、心理的な慰めを得るようにそういうのを利用する人が多いというのに、なんということやねん。でも夫の気持ちもわかるのだ。わかるからとにかく気の済むようにその治療を一回受けさせて、今日、これから病院にいくところである。そんなわけで、日本でいるときよりもさらに数倍、忙しくて、目が回っている。大家さん一家がほんとうに親切で、赤ん坊の面倒からわたしの食事の面倒まで全部、見てくれている。遠くの親戚より近くの他人ということばはこういうときに使うねんなーとしみじみしている。大家さんの末娘一家がお手伝いさん二人を連れて来てくれて、たまには外でごはんでも食べてきなさいと外に出してくれた。頭を空っぽにしてメールのチェックをしてさあこれからちょっと病院に行ってきます。こちらには休みにきたはずなんだけど、こんなにわさわさしているうちに、月末の帰国日が近づいてくるようです。当然のことながら、子どもの誕生祝の儀礼は延期。疲れに来たようなもので、またさまざまな夫婦の試練とかもあって、結構たいへんなんですよ、はは。。でも元気にしています。大丈夫です。


22-02-2010 / Monday [長年日記]

_ 先日、学資保険の資料を取り寄せようと申込をした。するとさっき、妙な問い合わせがきた。曰く、通常、この種の契約を結ぶのは「ご主人様」であるのに、「奥様」が申込をされているのは「特別の理由」がおありなのかどうかお伺いしたいというもの。ちょーかんじわるい−。まあ一般的な確認ということなのだろうけど、こんなことをいちいち問い質す必要があるというのが保険会社なんだろうなー。今まで府民共済とかしか契約したことなかったから、しらなんだということでおまっしゃろな。いわゆる主夫世帯だったり、法的な婚姻関係にない関係で出産したとか、妊娠中に夫がたとえば失職・死亡等々した場合に、奥さんが自分の名前で資料請求したならば、こうやっていちいち聞いてくるんだろうなあ。それが日本の保険やさんなんだろうな。ちなみに海外だとこんなこと聞いてきません。子どもを育てる単位がかならずしも夫婦とは限らないからだろう。

_ 先日、某大新聞の投書欄に掲載された40代の女性の投稿に対して、今日のところまでにわたしが気がついた「反応」はひとつだけだった。同じく中国地方在住の主婦の投稿。同情でもないけれど、批判でもない内容。最初に投書した女性が、なにを求めて(あるいは求めていなかったかもしれないが)あの文章を新聞社に送ったのか、なぜかとても気になる。こういうとき、インターネット上に書かれた文章であれば、同情にせよ批判にせよ当人の想像を絶する反応が得られることもあれば、反対にまったくなんの反応もないこともあるだろう。そういうことも含めて、新聞という媒体に投書をしたのだろうか。。などなど、ついあれこれ考えています。ひとつの投書がこのようにわたしにあれこれと考えさせる。十分にあの方の投書は文学であったのではないか。なんてことを伝えたとしても、なんの慰めにもならないのでしょうけれど。

_ 明後日の午前便で三人で帰国します。わたしと子どもは来月下旬にふたりで日本に戻ってきます。桜の季節の前まで、しばし休憩してきます。みなさまもどうぞお元気にお過ごしくださいますように。

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_ ラギ [をを、もう出発されたのですね。 昨日まで学生引率で某国に赴いており、すれちがってしまいました。 向こうでは人手がたっ..]


16-02-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 両親にも祖父母にも似ておらず、イトコなどを見渡しても、誰も似ている人がいないカルガモさん。生まれたときから横顔が朝青龍に似ていた。パタリロにも似ている。お腹から出てきた直後は大仏に似ていた。しかし目が開いているときは、安野モヨコのオチビさんに似ている。目がびっくりするくらいに大きい。したがって、寝ているときと起きているときとでは、顔が別人である。実はわたしもカルガモさんの寝顔しかしらないときに離ればなれになったもので、大学病院で初めて目覚めているカルガモさんをみたときは、えっ!と絶句したのであった(なぜに絶句)。日本人的な絶壁頭の後頭部ではなく、いかにも外国人的な後方に丸みが突き出した頭の形でなんとなく気に入っているのだが、某国では絶壁頭のほうがナイスなのだとか。そんなことは初めて知った。夫の頭の形はカルガモさんと一緒である。それなのに夫は必死に絶壁頭にするための工作を枕などに施し、わたしと母は今の後頭部の形を保持すべく枕に細工している。かわいそうなカルガモさん。

虐待でもしているのではと近所の人に思われそうなくらいな泣き声をあげるので、すかさず口封じ口寂しさを解消してあげるべく、母乳を与えたり粉ミルクをあげたりすると、一分もしないうちにすやすやと眠ってしまう。やれやれと思ってしばらく様子をみてからそっと布団に寝かせようとすると、また一体あの家では乳児になにをしているのかと思われるように喉をからすほどの大声でなく。でまたすぐに寝るから様子をみてそっと。。。という繰り返しに襲われる夜が数日おきにある。夫と交代であやしたりすかしたりするのだが、全然だめ。昨日は膝の上に乗せて、締め切りを過ぎた原稿を朝まで書く羽目になった。で、明け方、添付ファイルをようやく送信したと思ったら、なんとこの原稿の締め切りは3月末日でした。。いや遅れるよりいいんだけど、それだったらもっと推敲したのに。。しかしカルガモさんのおかげかもしれないな(なにがかはしらんけど)。


15-02-2010 / Monday [長年日記]

_ 数日前の某大新聞の投書欄に掲載されていた手紙の内容が、ちょっとイタかったり共感できたり。

山陽地方在住の45才無職女性とある。本など読んで良いことが果たしてあるだろうかという惹句から始まる。曰く、19才で「罪と罰」を読んだのがいけなかった(詳細はわすれてしまったけどおそらくはなにかが起こるのを待って)、事務職のアルバイトをして貯めたお金で海外留学もしたしあれもしてこれもしたが、結局、結婚もせず定職にも就かず未だに親元に住まう身分。本ばかり読んで大事なものを得ることができなかった、とあった。

わたしがいつの日か書いたかもしれなかったであろう投稿。あるいはそういう投稿を書くのは恥ずかしいと思い続けたかもしれない内容。もし近所にお住まいなのであったなら、わたしも昔はそう思っていましたよと言い合った仲になったであろうか、あるいはならなかったか。いずれにしても、この方がお住まいの部屋やら親子の関係、とくに母堂とのそれなどに、ついつい想像が駆け巡ってしまった。自分がそういう状況を脱したとは決して思わないから、高見からものをいうようなつもりはない。ただこの方の投稿が無事に某大新聞に掲載されたことで、なにか変化が起きて(もちろんよい方向に)、生活に風が抜けるような穴が開いたのであればよいなと思った。本など読んでほんとうによいことが起きるのか起きないのかとか、わたしは思ったことはなかったように思う。自分とは違う他人の人生を読んで、こういうのはいやだなとかこういうのはすてきだなとは思ったことはあっただろう。

「罪と罰」を読んだとき、すでに二十歳を超えていたわたしは、妙に下世話な感じのする邦訳の文体と小説の内容のギャップについていけなくて、一回しか読まなかった。それがよかったのかどうかはわかんないですな。

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_ Mpclebuf [この間も俊太郎の詩をお http://www.stlouisbusinesslist.com/business/5..]


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