_ 某日。よその人にたいへん愛想のよいカルガモさんである。ぐずっていても、通りすがりの人が覗いていったり声を掛けたりすると、満面の笑みを浮かべて応える。これは紛れもなく某国人の証だ。カメラを向けると完璧なカメラ目線でにこりと笑う。それも間違いなく某国人の系譜。わたしの子ども時代の写真はいつも仏頂面か無表情かのどちらかであったから、おもしろいなあと思う。そんなカルガモさんを机の横で寝かせながら、きっとだめだろうなあと半ばあきらめながら書類を書いている。今日も子どもをあやす時間の方が長かった。
_ 某日。たまたま通りがかった駅のコンコースの本屋で平積みとなっていた村上春樹を購入。発売日の朝10時であった。正直なところ、なんかもうよくわからないです。面白いとか面白くないとかすら言えないような気がした。わからん、としかよういわんかも。ここまで来たら1月から3月編もあるんじゃなかろうかと思うんだけどどうなんだろ。わかんないです。個人的には重松清と藤沢周平と梨木香歩だけ読んでいたかったりする。そしていつもとっさには名前を思い出すことができないあの人、堀江敏幸。こんなに好きなのに、どうしていつまでたっても名前を覚えることができないんだろう。わたしの「自称本好き」も、どうやら単なる思い過ごしだったのかもしれないと思う今日この頃。研究者という偽肩書きを名乗るのとおなじくらい後ろめたい思いをなぜか抱きながら、足早に本屋の前を通り過ぎ、もう一切、読みたくない本は買わないぞと思う。
_ 某日。保育園の見学。常勤の職についていないこと、夫が外国人であることなど、そのほかにももろもろがあって、子どもを預けることができない。保育園に相談に行って一時保育をお願いすると同時に、砂漠の砂を数えるような作業であるが、待機児童にしてもらうための作業を詰め始める。というか、現時点では公立あるいは民間の保育園・保育所に子どもを預けることは、120%、無理のようである。子どもを負ぶって大学に行って、会議に出て、ということになる。子どもがかわいそう。不甲斐ない親で申し訳ない。子どもは親を選べないということを思うと、切ない。夫のケガの状態もあまりよくないようで、わたしたちが帰国してからもずっと寝たきりである。厳密な意味の寝たきりということではなくて、いつ治るのかわからない肩を抱いてもんもんとしているというところだろうか。いつも明るい声で電話をかけてくれるのだが、それもまた聞くのが辛かったりする。話す方も辛いだろうに。それでも子は日々、育つ。お食い初めの椀を並べながら聞く吾子の笑い声が胸を打つ。
_ 某日。カルガモさんを母に預けて報告会に。ぎりぎりまで悩みつつ作成したファイル。なんとか無事に発表できた。大学院入学以来、ほとんどはじめてといっていいほど、某先生にほめられた。舞い上がることなく冷静に受け止める。
_ 某日。早朝出勤の後、正午過ぎに帰宅。途中の駅で、それまで抱っこ紐で眠っていたカルガモさんが突如、泣き始めた。とりあえず、次の駅で下車。ホームにてしばしあやす。。が、半時間余りが過ぎても泣き止まず。よほど駅長室に駆け込んで、授乳させてくださいと頼もうかと思ったのだが、とにかくまずはがんばって一駅ずつ前に進んでみるかと思い直し、各停に乗り込む。カルガモさん、大泣きに泣く。次の駅で下りる寸前、駅前に大型ショッピングモールが見えた。ええ、こんなところにこんなのがあったっけ?!何十年と電車通学していながら、初めて下りる駅、初めて見る駅前風景である。駆け足でモールに向かい、店内案内図を探した。ベビーコーナーは三階だ。エレベータで上がったところにレジがある。「授乳できるところはありますか」「はい、右手まっすぐ、赤ちゃんコーナーの奥にあります」。御礼をいいつつ駆け出し、目指す場所に駆け込むと、運良くひとつしかない授乳部屋は空いていた。抱っこ紐を解くと、カルガモさん、泣き疲れて死んだようにぐったりとしている。ほっぺたをつついて起こし、母乳を飲ませた。小一時間も過ぎただろうか。いつのまにかわたしもうとうととしたようで、慌てて身支度を調え、抱っこ紐を装着して部屋を出た。お昼ごはんも食べそびれて、でももう疲れ果てて駅に向かうと、春の夕方の風が吹いている。もう4時前ではないか。帰るまでもう泣きませんようにと、しっかりとカルガモさんを抱えて電車のシートに深く腰掛けて、またうとうととしてしまった。
_ 某日。ヒブワクチンと肺炎球菌の予防接種を受けるための問診および説明のため、近所の診療所へ。女医さんはとても素晴らしい先生で、説明がわかりやすく丁寧。海外へ行く予定があることを伝えると、できるだけ日本で予防接種を済ませてから出発できるようにと、スケジューリングをしてくれた。先日の市役所の子ども係の人とおなじくらいに親切である。役場の人って、実はやはりみな親切だったのかなーと思い直したり。お医者さんの説明を、カルガモさんもわたしとおなじくらい真剣に聞いていたので、最後にはお医者さんはカルガモさんに向かって、説明をしていた。
_ 某日。郵便局まで抱っこ紐にカルガモさんを入れて散歩に出た。静かな道を歩いていると、向こうから手押し車を押しておばあさんが歩いてくる。わたしとカルガモさんがそばを通り過ぎようとしたところ、「もしかして、あかちゃんが入ってんのかなとおもいましてんけど、、」と話しかけられた。「はい、あかちゃんがはいっているのです」と、かがんで抱っこ紐の中をお見せした。「ははー、最近はええもんがおますねんなあ。よろしいなあ」よろしいなあ、とさらに重ねつつ、おばあさんは手押し車を押していき、わたしも「お気を付けて」と別れた。郵便局で用事を済ませて、外に出ると、わたしの前に並んでいた中年のご婦人が人待ち顔で立っている。「あの、もしかしてあかちゃん?ちょっとみせてくれはる?まあ、あのね、抱っこする向きは時々変えたほうがええのよ。顔が面長になってね、イケメンになるから。この紐、おもしろいわね、今はこういうのがあるのね、イケメンになってね」。(カルガモさんは女子である)。
子どもが生まれる前は、赤ん坊を抱っこしている人に話しかけたりすることなど、まったくなかったし、こんなにいろいろと話しかけられるとは想像もしなかった。ところが電車に乗ったり、飛行機に乗ったりしていると、実にたくさんの人が話しかけてきてくれて、思いも掛けず、見知らぬ人と交流している。知らない世界がまだまだたくさんあったのだなあと、ふわりとした気持ちになるようです。
_ 某日。よく晴れた日で、カルガモさんを抱っこ紐に入れて大学へ。前日に乳母車が届いていたのだが、カルガモさんはこれに乗るのがあまり好きでないようだったのと、衝撃バッドがまだ届いていなかったのとで、乗らなかったのである。カルガモさんは大学に着くまでずっと眠っていた。大学についてしばらくは、空いている机の上に簡易ベッドを設えて、寝かせておいた。いろいろしているうちに目が覚めて、泣いたりぐずったりし始める。あやしたりすかしたりしながら右往左往。ミルクを飲ませたり、空いている部屋で母乳をやったりして、なんとか用事は済ませた。帰宅する前に用事で立ち寄ったえらい先生の部屋の立派な机の上を借りて、おむつを替えたりもしてしまった。桜吹雪が舞い散る中を歩きながら駅へ向かう。
某日。お宮参りのためわら天神さんへ。本殿で祝詞をあげてもらっている最中に、カルガモさん泣く。続いて平野神社。寝覚め桜がきれい。北野天満宮でおべんとうを食べて、粟餅を買って帰宅。この頃、やたらとおしゃべりするようになったカルガモさんは、家に着いてからなにやら興奮気味に、ずっと赤ちゃん語で何かを話していた。こちらが適当な態度を取ると、泣いて抗議する。こちらも赤ちゃん語で、カルガモさんと話す。
そんな毎日をスカイプのSMSで、如月さんに報告している。腕の状態はあまりよくなっていないというのが、やはり気がかり。
_ カルガモさんを膝に抱いて書き物をするのにも少し慣れてきたというか、早く首が座ってくれたらおんぶできるからもう少し楽になるだろうか。ずっしりと重くなってくるから、早くわたしもなんとか自分の先行きのことを決めないといけないなと思う。いまだ未来図が描けないでいるのはなぜなのだろうか。ずっと先延ばしにしてよいものでもない。日本か某国かという選択肢にしばられてはいけないとのアドバイスは、30年以上前に某国に嫁入りした大先輩の弁である。オルタナティブがあるとしたら、それはどんな形なのだろうか。わたしの将来、両親の心配、子どもの将来、わたしたち夫婦の将来。考えるべきことはまだまだ山ほどある。どれを優先順位のトップに据えるのか、本気で考えていかねばならぬ。
_ Byncacceree [Yebhewjw <a href="http://yebhewjw.de">yebhewjw</a> http://..]