_ わたしの頭にも胸のあたりにも、どんよりとしたもわっとしたものがいつも厚く垂れ込めているから、藤沢周平のまだ読んでいない小説を選ぶ時には、慎重でありたいと思っていた。しかし書架の前で選ぶのも、頭の芯が鈍く重たくまぶたを圧迫するから、ふらふらと伸ばした手は「海鳴り」の上下巻を選んでいた。耳鳴りと韻を踏む響きに誘われたのだろうか。文庫本を買うなんて、一体どれくらいぶりだろう。早速、帰りの車中で読み始めた。
一代で築いた紙問屋の新兵衛と、老舗問屋の女房のおこうの物語であった。今風に、下世話な表現を使えば、それはそれぞれ配偶者がいる者同士の不倫としかいえない。それがありきたりな偽純愛小説にならず、美しい人間同士の信頼感の物語に昇華されたのは、藤沢周平だからこそなのであろう。この小説を読んで、頭がすっきりとしたとか、霧が晴れたようだなどということは決してなく、今もまだぼんやりとした暗い気持ちでいっぱいだけど、藤沢小説にしては珍しく澄み渡った明るさに溢れた小説の終わり方が、とてもよかった。もちろん不安がいっぱいの主人公二人の道行きである。読者だって、そのことはようようわかっているのだが、なぜかそれほど悲観的にならなくて済むのは、やはり「純愛」ものだからなのだろうか。
_ 直前まで同窓会+花見に出席しようかしよまいかと(自分が事実上の幹事であるにもかかわらず;呼びかけ人は別の人なのだけど)悩みに悩み、夜遅くまで眠れず、明け方、起きだして、少しだけ書き物をして、結局、子連れで出席。子どもは会場となった古い民家を改装した和食店に一歩入った瞬間、なぜかはとんとわからないのだが、声をあげて泣き出した。それが結局、その日一日を象徴するような感じとなって、わたしはずっと子どもの面倒をみてばかりで、誰ともほとんど話せずにいた。でも、友人の子どもが我が子の背中をとんとんと叩きに来てくれたり、ミニカーを持ってきてくれたり、子どもは子ども同士、いつの間にか仲良く遊ぶようになっていた。デザートを注文するとき、「オレンジの人、手を挙げて〜」「こしあんがいい人、誰〜」などと呼びかけ人が声をかけてくれたのだが、我が子は、きなこがいい人〜、という声を聞いて、「はいッ!」と手を挙げていた。。耳は聞こえているんだろうか。そんなわけで、最初はおお泣きに泣いて、どうしようかという状態だったのだが、だんだんと場の雰囲気にも慣れてきて、運ばれてきた料理を手づかみで食べたり、テーブルに這いあがったりと、調子全開になっていたのだった。霧雨が一日中降っていたし、風邪を引いてしまうと、お正月に罹って以来、3月末にやっとこさ完治した中耳炎が再発してしまうのが怖かったので、お店を出て、わたしたちは帰ることにした。久しぶりだったので、足を延ばして寺町を下って下御霊神社、二条で曲がって木屋町を高瀬川沿いに下りながら、桜を見る。子どもとふたりでゆっくりゆっくりと歩いた。それだけでも今日は出かけてよかったなあと思った。子どもは終始ご機嫌で、ずっとなにかを話し続けていた。
_ そもそもの発端は、欧州某国在住の友人親子が御母堂の介護帰国をしていたところに、国内某所の某先輩が悲願の学位論文を提出、頃合は花見時ということで、全国から同期とその周辺の人々が集まることとなった。久しぶりに、わたしにとっては本当に久しぶりに、役場の人とかハローワークの担当の人とかではない知り合いと会って話をする機会となる。昨年秋に帰国して以来、ほんとうに、ほんとうに、久しぶりで友人たちと会う。渦中にあるときは、引きこもっていたなんてまったく思っていなかったのだが、ほんとにずっと一人だった。役場の人とかハローワークの人と話をしていると、なんて親切なんだろう、と泣きそうになることもあれば、なんでこんなことくらいわかってくれないんだと、ツーカーでは決して通じないもどかしい思いや悔しい思いでいっぱいになることもあった。
自分がどんなふうに思われているかについては、わかっているつもりである。だから、明日みんなで集まっても、もしかすると辛い思いをすることもあるかもしれない。でももう少し人とかかわるようにしなくては。ずっとずっと、スーパーのレジの人、宅配の人、子どもの病院の人たちだけが、わたしの仲良しだった。長い間、冬眠していたなあ。これからもまだ長く冬眠生活は続くのだろうけど、明日だけは子どもと一緒に、春の空気を吸ってこようと思う。
_ 子どもの耳の治療のことと、某国へ行くにも日本を引き払うにもお金がないから何もできないということを説明してあるので、わかってくれていると思っていたのだが、原発問題が地震津波よりも国際的な関心を高めるようになって以来、夫が帰ってこいと、日に何度も電話してくるようになった。心配していることはわかるけれど、海外ではそれほどまでに原発問題が大きく報道されているのか。夫の話しぶりでは、わたしは好きにしたらいいけど、子どもは安全な場所に移せというニュアンスも感じられ、普段はテレビニュースなど見ない義理の両親の後押しもあるようで、なかなか抜き差しならない状況になってきた。説明しても、「核は怖いぞ」なぞという。そういう話になっているのか。説明しても聞く耳持たぬ様子の夫の気持ちはほんとによくわかるのだけど。。
_ いろいろとにかく節約モードということで、数か月前に化粧水を使い切って以来、新しいのを買わないできた。去年の秋ごろにNHKの情報番組で化粧水は使わなくも大丈夫、その代り、しっかりと保湿するためにクリームを塗ったり乳液をたっぷり使えばよいということを知った。手持ちのクリームと乳液だけでも、乾燥厳しい冬を乗り切ったし、むしろ、ぱさぱさしなくなったから、かえってよかったのかもしれない。手持ちのものを使い切った今は、清水の舞台から飛び降りて買った無印料品のホホバオイル(714円)で、これを重宝している。何しろ一滴でよいから、まったく減らない。そして、リンスも買わなくしたので、その代りに洗髪後、髪に擦り込んでいる。意外にも、髪はふんわりするようになったし、絡みもしなくなった。手足にも擦り込むようになったら、ハンドクリームもいらなくなった。もともと、化粧関係に費やす支出は少なかったから、ここを節約してもあまり意味がないのだけど、へえ〜、なくても平気なんだなあという発見があったのはうれしいことでした。多分、もっといろいろ節約できるはずな気がしている。
_ 朝、顔を洗って身支度を整えようとすると、子どもがすかさず、化粧道具をしまってあるキャビネットの前にてけてけと歩いていき、おかあたん、はやく、というように、待ち構えている。キャビネットを開けて、ごしごし、ぱたぱた、かきかきとしていると、わたちにもしてちょうだいと催促してくる。少なさと、いまだにまったくほとんど伸びてこない頭髪の具合から、2歳の子にも「あかちゃんがいる」と言われたりする子どもの、ちょろちょろとしか生えていない髪に、ピン留めをつけたりすると、狂喜して、鏡でみせてくれと飛び跳ねてくる。抱き上げて鏡をのぞけば、似ているんだか似ていないんだか、二人の顔が映っていて、どちらも気恥ずかしくなって、ぎご地なく笑ってみる。子どもは毎日、大きくなっていく。靴がもうきつくなってしまっている。帽子や洋服は手作りができるけれど、母はペリーヌみたいに靴を手作りできるかどうかわからない。でもがんばって、なにかイネ科の草本を収穫に、子どもを連れて河川敷にでもいってみるか。や、イネ科じゃなくて、ツタみたいなツル性植物か。野山里山にあるもので、いろいろと作ってみようかな。
_ あと個人的に関心をよせていることが二点。ひとつめは、欧米はもとより、東南アジア各国から、今回の「日本」の災害に対して、たくさんの支援が届けられていること。海外での報道は、日本での発表などとほぼリアルタイムであることも、関心を持続させるということになったのだろうし、なによりも地球規模でのエネルギー問題を再考する契機になったことが大きい。わたしも知らなかったのだが、東南アジアでも原子力発電所の建設が本格的に準備されているとのこと、日本の技術と保全体制、発電所近辺の災害対策をもってしても、これだけの被害が出て、しかもまだ解決されていない。対岸の火事ではなく、それぞれの国のエネルギー問題と災害対策の見直しを促す結果となったこともあっての、日本への関心なのかもしれない。このことを深く考えるようになった。これから日本での出来事に関して、多くの国から調査研究に訪れる人が出てくるだろう。エネルギー問題や防災対策にとどまらず、避難所運営に関連した災害時医療体制のあり方、民間ボランティアと行政などとの連携、コミュニティ再建あるいは統合など。それともちろん復興再生計画と防災対策をどんなふうに構築するかといったことに、誰もが関心を持つだろうと思う。
もうひとつは、「被災地のためになんとか、なにかをしてあげたい」と、普通の生活を送っている誰もが、一度は(あるいは一瞬でもよいのだけど)感じたその気持ちのこと。これをいかに持ち続けてもらえるのだろうかと考える。これからの道のりは長い。復興のどの時点で、どのようにかかわることができるのか、そういった情報を専門家がどんどんと提示していくことが必要だなとも思う。それが、関心を持続させることにもつながるからだ。一方で、義捐金を送ったから、自分のコミットは十分に果たしたという人がいても、全然、おかしくないと思う。自分はこんなにかかわっているのにあの人は、、というように思ってしまうことも、人間だからあるかもしれない。しかし、そういったことをなるたけ最小限に抑えるために、災害地支援に関わる研究者がいるんじゃないかと思う。つまり、どんどんと情報を出し続けることだ。垂れ流すのではなく、きちんと整理された情報を、わかりやすく出し続けることだ。そのためのプラットフォームを、ユニバーサルアクセスで(つまり、インターネットだけに頼りすぎないということ;印刷媒体も有効に使うべき)情報発信できるように、整備することがわれわれ(わたしは違うんですが:笑)にできることなんだろうなと思う。
この二点でいいたかったことは、膨大な量の情報の整理と、できるだけ正確な情報の共有という問題を解決することもまた、復興支援に関わるということだということなのかもしれない。
もう、思っていたことは全部まとめてここに垂れ流したので、今日で震災関連のことを書くのは終わります。なんといっても、生活保護を受けるか受けないかの瀬戸際にいる自分の復興支援を優先しないといけないのでありました。(了)