_ 英語学校の日は6時過ぎに帰宅する。だから4時過ぎに帰宅する子どもを近所の家で預かってもらっている。その家からアパートのパーキングまでのわずか50メートルを、子どもはわたしのバイクの後ろに乗る。それを楽しみにしている。先日も子どもをよいしょと抱き上げて座席後部に乗せようとしたら、子どもがバイクを蹴ってしまい、なんとバイクが向こう側に倒れてしまった。125ccの、日本でいえば一応小型自動二輪ですよね。ガソリンが満タンだったこともあって、面白いくらいにすっと向こうに倒れた。地面に倒れたらよかったのだろうが、塀のそばに止めていたので、塀に激突したバイクの右サイドミラーが取れた。あう~と唸る間もない出来事で、こういう事態を半ば予測していたはずなのだ。小学一年生を抱っこするなんて、腰をいわすとか、こういう類の不吉なことを招く事態となるのである。
それからしばらく左サイドミラーだけでなんとかやっていたのだけど、やっぱり右がないとものすごく乗りにくいのであった。それで学生に教えてもらって、道端の修理屋が集まっているところで激安のミラーをつけてもらった。左右で250円。この時点で気が付けばよかったのに…である。大丈夫なほうの左も取り替えてもらって、気分一新とか勝手うれしくなっていた。おじさんが取り替えてくれて、いざスタートと思ってミラーを合わせようとすると、なんかヘンなのである。でもおじさんもおばさんもニコニコして、走ったらよく見えるよ、などという。そういうもんかと思ってしまったわたしがあほなのである。走り出したら、もうとんでもないミラーだった。250円のミラーなのであった。とにかくなんにも見えないのは、焦点が全然合わないこと。まるで3D メガネで映画を見るような像をみながら車線を変更したりするのである。最後には直接目視確認してずっと走っていた。安物買いの銭失い、であった。定期点検に行く時間もなかなか取れないんだけど、絶対に金曜日に時間を作ってホンダに行く!高くてもいいから左右のミラーを取り換える。だから金曜日まで事故に合わないように、安全運転をするのだ!
ああ~、それにしても、倒れたバイクはやっぱり重かった。その時に使った筋肉がまだ痛みます。100キロ超えているものなあ。でも子どもにけががなくてよかった。
_ 子どもがドラえもんに夢中になっているので、何かビデオでも買おうかと探したら、Stand by me Doraemon、というのがあった。3Dアニメのドラえもんで、ちょっと微妙な印象を受けた。でも見始めてみると、だんだんと気にならなくなってきた。子どもはときどき、ドラえもんをYouTubeで見ていると、「○○ちゃん、涙が出てきた」という。感動、ということばをまだ知らないので、そのように言うようだ。そういうときの子どもはなんとも言えずにかわいらしいもので、日ごろのいたずらっ子の目にも涙である。映画のほうは、賛否両論があるようだが、わたしは楽しくみた。というよりも、ドラえもんの映画を見たのはこれが最初であることにびっくりしたり。ドラえもんの道具で一番好きなのは何かについて、子どもとよく話をする。わたしも子どもも「どこでもドア」と「タケコプター」である。がんばって手に入るのであれば、本当になんとかしたいものだ。
_ 昨日から英語学校が始まった。夕方4時からと6時からのクラスがある。わたしは早いほうのクラス。で、会話試験の結果、上から3つ目のクラスになった。といっても、上級クラスが開かれなかったので、本当は上から5つ目のクラス、下から3つ目のクラスで、カテゴリーとしては初級者クラスです!実力だからもちろん納得。
こちらの人は、とにかくみな自信たっぷりに話す。英語を話しているアメリカ人風に話す。身振り手振りも、日常生活でも十分に大きいのに、さらに大きくなる。わたしはもちろん最年長者で、外国人で、あまりノリのよくない不思議な人というポジションを確保している。いつも聞いているBBCのニュースを意識して、わかりやすくゆっくりと正確に話すことを心掛けて、昨日は最初の授業に臨んだ。
先生は大学院生風の人で、とてもきれいな英語を話す。つまりほとんど母語の影響を受けていない正確な英語である。わたしが昨日の自己紹介で心掛けたもうひとつのことは、動詞の過去形とか三単現のsを忘れないで、ゆっくり正確に話すこと、だった。日本語の先生になってよかったことは、外国語を話すとき、ゆっくり話していいんだ、うまく話そうとしなくていいんだとわかったことかもしれない。発音も構文も、相手に伝わることが大事だから、できるだけ正確に、でも外国人風ということではなくてかまわないのである。そういうことをいつも学生に言っているわけなのだから、自分でそれがコントロールできなんてことはあってはならぬわけである。あとは、わたしが好きな学生のイメージを思い浮かべて、つまり、先生の言い方を真似すること。ちゃんとノートを取ること。
昨日の先生はとてもクラスコントロールが上手で、こちらの人にしては珍しく、板書が上手だった。どこかヨーロッパか東海岸に留学していた様子。100分の授業があっという間に終わった。英語を習いに行くのは10年ぶり?いや、まだブリティッシュカウンシルがあったころのことだから、もっと前か。とにかくボケ防止のためにもがんばるのである。
_ 日本にいれば4月から小学生になる子どもの教科書が大使館に届いた。大使館に勤めている卒業生に頼んで運んでもらった。今どきの教科書は、なんだかとてもポップなんですね。サイズもA4だし。帰りがけに届いた別の荷物を先に持って帰りたかったので、教科書はまだパラパラとしかみていない。子どもが一年生になるなんて、本当?光陰矢の如し、少年学成り難し、である。感慨深いです。
_ イースター休暇とミッドターム休暇で子どもの学校は1週間休みだった。ところがあいにく、休暇直前に、雨の中、強行された遠足がたたり、子どもは休暇中、ほとんど風邪で寝込んでいた。そのような訳で、あちらこちらで催された卵狩りにも行かず、むーっと顔で過ごした子ども。わたしも子どもに付き添って、ほとんどどこへも行かず、退屈といえば退屈だったけれど、のんびりできた。
フリンの話題がとても多い。しかしフリンって結局、当事者以外の一体誰が迷惑を被るというのだろうか。当事者の範囲をいかにするかで、公人と私人とでは違ってくるのだろうか。誰と誰が何をしようが関係じゃないかと言おうものなら、テレビに出て鹿爪らしい顔つきで偉そうなことを話しているのに裏切りだとか、企業イメージを著しく損なったとか、信頼性がなくなったからだとか、そういう議論になってしまう。しかしそもそも、テレビで知っているだけで個人的には知り合いではない人に対して、何をどんなふうに信頼していたのだろうか…、なんて、ちょっと斜に構えてみたくなるほど、次々とえらいことになっている。なぜ糾弾されねばならぬかについてはわかるんだけど、仕事を休業に追い込まれるほどになったり、一億総クレーマー的にあれこれ暴露されるとなると、どうなんだろうかと思ったりもする。やや、危ない、危ない、わたしもこんなところでこんなこと書いていたりして、なんだか毒されているのかもしれぬ。。
小学6年生のとき、わたしは2組だった。1組のセンセイと3組のセンセイが駆け落ちしたのは卒業式のあとのことだったそう。二人とも既婚者だった。そのことをわたしが知ったのはおおよそ中学2年生になろうとする頃だから、ずいぶんたってからのことだった。そのとき思ったのは、センセイも人間なんだなあということだったと思う。とても魅力的なふたりだったから、そういう感想を持ったのかもしれない。
普段、こんなこと書いたりしないのだけど、今日は書いたのは、直近の話題の人をめぐって、友だちや知り合いと称する人々が、「うわさは聞いていた」とか「ニクショクだと思った」とかあれこれここぞと発言しているのを、ついついわたしもインターネットでみちゃって、うんざりとしたからである。そんなこと、ほっといてあげたらどうなんだと、もし発言権がわたしにもあったとすれば、そう言いたいと思ったのである。でも、別にわたし自身は話題の人に別段、思い入れがあるとかなんとかそういうことも一切ない。アグレッシブに生きることはよいことだと思うだけである。以上、おわり。