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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

04-06-2016 / Saturday [長年日記]

_ 先週の日曜日は子どもの友だちの誕生日パーティーだった。

ファストフード店でおこなう家庭も多いけれど、自宅でする人もたくさんいる。飾り付けもすごく凝っている。ドレスコードもあって、付き添いの親もそのとおりの格好で行かなければならない。先日のコードは上が白っぽい服、下がデニム系というカジュアルドレスコードであった。まず最初のケーキカットの儀式。30人くらい来ている友だちのお母さんたちの中から代表者が挨拶して、その人が宗教的な祝辞を述べて、みなそれぞれの宗教のお祝いの文句を唱える。それからケーキカット。このケーキがすごいのである。もしかすると日本でもこういう技法がすでにあるのかもしれないけれど、誕生日の本人の写真がケーキの表面にデジタルプリント?してあるのだ。もちろん食べられるます!30センチ角の大型ケーキを人数分に薄く薄く切って、全員分はあるまいと思っていたら、大人用の渋いチーズケーキも用意してあった。まったく同じ寸法。このケーキがどちらもすこぶる美味しいものだった。敢えていうならば、ヨーロッパでわたしが食べたどんなケーキよりも、もちろん日本やその他の場所で食べたいかなるケーキよりもおいしいものだった。びっくりした。ケーキって、おいしいんだなあ~とひたすら感激して、われわれ親子はひとりあたり二回もケーキを食べてしまったほどであった。聞けばこのケーキ屋は伝説の店で、半年前に予約しても遅すぎるほどなんだとか。しかし値段は、モールなんかで大きな顔をしているケーキ屋なんかよりもはるかに良心的な値段であるという。支店を構えない方針で、店の規模もガレージ程度の店舗で奥が工房だとか。

でケーキの他にももちろん美味しい食べ物がたんとあった。珍しい料理もたくさんあって、ほとんどがローカル料理なのだが、ナポリタンスパゲティとスコッチエッグがあった。をを!と食べてみたら、これがまたおいしい。。某国だって、ほんといろいろあるんだな~としきりに感激した一日だった。とにかくなにもかもお料理がおいしくて、未だに余韻に浸っているわたし。。


21-05-2016 / Saturday [長年日記]

_ わたしは学部で語学を専攻していたというわけではないため、大学で語学を学ぶということがどういうプロセスでおこなわれるのか、よくわかっていない。自分が日本語教師の資格を取るときに勉強したのは、国内の日本語学校付属のコースだった。何回か日本語学校の授業見学もあったので、なるほど、今まで自分が受講したことがある外国語学習コースとなんとなく似ているんだなと思ったものだった。それが外国の大学の日本語学科で教えるようになってすぐに気がついたことは、「あれ、日本の日本語学校の授業とよく似ているなあ」ということだった。似ているのはカリキュラム。文法(文法事項導入)、漢字、会話、聴解、少しできるようになって来たら、読解と作文が加えられる。専門的な知識というのはすべてこれらの科目に集約される。

日本に関して知っておいたほうがいいという知識として、日本の歴史(主として20世紀以降)、日本事情(日本地理)、言語学(日本語のというわけではなく、あくまでも一般的な言語学的知識)、文学(これも日本文学ではなくて、文学理論とか分析理論のこと)が3回生である。しかし専門性はまったくない。日本の大学のようなゼミはない。ゼミみたいなものはあるが、これは卒論作成の技術を学ぶためのもの、発表のスタイルを学ぶためのもので、個別のテーマについて、みんなでとことん議論するというのはない。だって、30人前後のゼミなんて成立しないからだ。卒論のテーマが決まったら、基本的には先生と一対一で書いたものを持って行ってコメントをもらう、出直す、またもらう、という過程を経て、卒論ができるようになっているらしい。。。

そんなわけで、大学の語学専攻って、どんなことをやるんだろうか、というのがわたしの目下の一番の関心事項である。語学を学ぶって、いったいどういうことなんだろうか。語学のテクニカルな面だけ知っていても、それは運用能力とはまったく別のもんだいであったりする。文法的に正しくても社会的な文脈にふさわしくない表現というのもあったりするわけである。それに書き言葉と話し言葉は結構違うもんだ。だけど、本格的な日本語の論文を読む授業というのもなかったりするのである。「読解」という授業は、主として日本語能力検定試験対策であったりするからだ。

せっかく専門的な知識を持った日本人がいても、教えるようにと言われるのは文法ドリル(口頭練習)と作文メインである。これで本当にいいのかと思うこともあるし、もっと上手に専門知識を持った人を使えばいいのになんてもったいないと思うこともあるし、やっぱりこちらの先生にはできないことをまず教えないといけないんだなと思うこともある。どれがいいのかはよくわからない。でもとにかく、一番強く思うことは、別に日本語に対する情熱がなくても大学の先生になれてしまうこちらの大学のシステムの複雑さと不可解さのことだ。先生たちの日本理解は、ものすごく偏っている。先生たちが学生だったときのトレンドとか、今、ニュースサイトなんかのヘッドラインに出てくる現象がすなわち日本の本質だと思って話していたりするのである。確かに間違いじゃないんだけど、それはどうなんだろうかと、本当にいろいろなんである。授業の進行にしても、学術的な潮流の認識に関しても、なんでそうなるの?!ということがあまりに多すぎて、さっぱり理解できないことが多い。それでもよくできる学生も多いは、偏差値が高い学生ばかりだから、自分でなんとかすることができるからなのだろうと思う。ときどき、とてもよくできる学生と超級の日本語でおしゃべりをするのはとても楽しい。インターネット世代の若い人は、先生になったような人とはまったく違って、日本が直面している問題についてもよく考えているからだ。


20-05-2016 / Friday [長年日記]

_ あと一週で今学期も終わり。長かった。長かった。教える技術というか、テクニックは少しずつ身についてきたような気もする。でも日本語ということばについての学術的知識とか、専門分野としてやってこられた先生ならばすぐにわかるような、ある文法事項や単語がよく使われる教科書の第何課で出てくるとかがパッといえるとか、そういうことはまだ全然できない。勉強が足りていない。とてもメジャーな文法事項、たとえば可能を表す表現だとか敬語とか受け身とか、そういうのはおぼろにわかるようになってきた。でもそこで絶対におしえなければならない文法事項はなにかと問われたら、やはりいまだに虎の巻とかそういうのを見ないとわからないのである。使役(~させる)と使役受け身(~させられる)では、ときどき間違った活用を教えているような気がして、未だ自信をもって教えているとはまったく言えない。そういうわけだから、先日、なんのかんのと理由をつけて止めてしまった英語学校の先生に対してもずっと同志的なシンパシーを感じてはいたんだけど、そこでとことん包容力をもって理解を示すことができないのが、わたしという人間の限界なのである。冷たい人なんだと思います、はい。

日本語を教えることは国語を教えるのとは全然別物であると、よくベテランの先生はおっしゃる。そのとおりだと思う。だのに、やっぱり自分が求めてしまうのは国語的に理解することであったりする。それはわたしの中では文学的に文章を理解するということに通じるのだけど、それもやっぱりむずかしいらしい。わたしは日本語を勉強する人の気持ちに寄り添うにはあまりにも冷たい人間なのだと思う。だから、心のどこかで、なんでこの文章の意味がわからないんだろう、どうしてわからないんだろう、と思うものの、その原因を突き詰めて考える努力が足りていないとも思う。だから、できる人にとってはネタの豊富な研究者みたいな先生であるかもしれないのだけど、できない学生にとっては、ずっとおいてけぼりにされているという気持ちが強いのではないかとも思う。もちろんわたしが勝手にそう思うだけで、学生の評価は違うのかもしれない。でもわたしが学生だったら、やっぱりこの先生、わかってない!って思うはずだ。だからで毎学期、かならず新しいシラバスを作って、前に失敗したことを繰り返さないようにと思ってやってきた。それがうまくいっているのかどうかはわからないけど、とにかく教え方を毎回毎回、反省しながら、上手になりたいと思っている。もっともっと精進して、学生のためのいい先生になれたらいいんだけど。たとえどこの国で教えることになったとしても、ずっと毎回、勉強を続けて、しっかりと学生のことを考えていけたらと思う。


18-05-2016 / Wednesday [長年日記]

_ あっという間に五月も半ばになってしまっている。この間にまあ相変わらずいろいろとあった。まず英語学校はもう止めてしまった。話すことがメインのクラスとはいえ、コースの半分くらいが英語劇で、しかもそれを映画のように撮影して、教会の行事で発表するということを聞かされて、急速に学習意欲が萎えてしまったのだ。英語劇がきらいなのではなくて、その準備のためにみんなで集まったりとかそういうのが、事実上、わたしには無理だからである。それでもクラスが好きだったら、無理して時間を作ったのかもしれないけれど、そういうふうに思えなかったのは、やっぱりプレイスメントがちょっとまちがっていたからなのかなとも思う。まあこれはわたしが言うべきことじゃないんだけど。とにかくモチベーションが全然、上がらなかったのだ。その理由は例えば、先生が宿題を出したことを忘れていて、ほぼ毎回、宿題の答え合わせだとか回収して採点とかそういうのがなかったこととか。一緒に受講した友達は、一人はすぐに脱落、もう一人は健康上の理由で脱落せざるをえなくなっていた。それぞれにわたしと似たり寄ったりの理由である。なかなかうまくいかないものである。

そのほかのイベントは、またひとつ年を取ったこととか、あやうく滞在ビザの更新を忘れかけていたこととか、新しく下の階に引っ越してきた夫婦がふたりしてまるで機関車のごとく煙草をすう人々であらゆる家の隙間からたばこ燻蒸のように煙が入ってきてたいへんな目にあったこととか、初めて子どもをバイクの後ろに乗せて、新しいダンスの教室の見学に行ったこととか、そのときに命綱ならぬ腰布で子どもに命綱を巻いたのだが、それがあまりにもぎゅっとわたしの背中にくっつけて結んだものだから、子どもの頭がぐっと上向きに反り返る状態になって、窒息しかけていることをま~たく知らないでバイクを走らせていて、あとで横に並んだ別のバイクの人に注意されてこととか、それを知って心臓が止まりかけたこととか、まあそんなこんながありました。なんかほんとうにたいへんでした。でもまあいつものようになんとかした。

大好きな5月だけど、誕生月は実はそんなにいいことが起きるものでもないとかいう話もあって、こんなものかなとは思う。

あとは何冊かまたもらった本を読んだ。読んだあとにきわめて不快な気分になる本が2冊あった。こういうのを最近はいやミスと言ったりするんだっけと思ったんだけど、登場人物に誰一人感情移入できる人がいない小説って、なんともいえないものである。家においておくのも不吉な気分がする。

というわけで、全体的にぱっとしない毎日を過ごしていました。相変わらずのことなんですが(笑)。

もっと親日的で、食べ物がおいしい国に引っ越しをしたいものです。この国は、研究者としていたときのほうがもっと好きだったような気がする。それはつまり、この国の本質に絶対に迫ることができないからだったということが、今ではわかる。その表層的な事実だけで、あれこれ知ったようなことを話していたことはウソではないと思う。だって、もしそれがウソだとしたら、これまでの研究の蓄積はすべて虚構になってしまうから。その虚構も含めたものがこの国の「本質」なのだろう。本音と建て前は、日本の専売特許ではないのだろう。そんなことをずっと考えていた5月前半だった。


25-04-2016 / Monday [長年日記]

_ 昔の若者は、好きな音楽を編集したカセットテープをよく作ったものだった。わたしがそのようなテープを作るようになったきっかけも、当時、ひじょうに親しくしていた人がくれた編集テープだった。

このテープにはドイツ語で、「ふたりが別れるとき」というタイトルがつけられていた。

そのテープに収められていた音楽は、その後のわたしの音楽に対する関心を決定的に方向づけることとなった。なかでもいちばんよく聴いたのが「The Ladder」。このテープに収められていたひとつひとつの楽曲が含まれるLPレコードを、わたしは一枚ずつ、探す旅にも出た。もちろんそれは「ふたりが別れたあと」のことだった。

そのテープに収められた音楽を作った人が、少しずつ死んでいく。いつかどこかでもう一度、その音楽を聞きたい。もう一度、ゆっくりと聞き返しながら、わたしが生きてきた時間を振り返ることができたらと思う。

Everybody's looking 4 the answers
How the story started and how it will end
What's the use in half a story, half a dream
U have 2 climb all of the steps in between (yeah, we ride)
Everybody's looking 4 the ladder
Everybody wants salvation of the soul
The steps u take are no easy road (the steps you take are no easy road)
(It's not that easy)
But the reward is great
4 Those who want 2 go (I do)

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