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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

16-06-2016 / Thursday [長年日記]

_ こちらに来る前に二本買ったパンツ、ほとんど毎日、交代ではき倒した結果、3年半で膝が抜けてしまった。本当によくはいた。普通のベージュのチノパンは、昔懐かしいDO!Familyのものみたいな感じで、もうひとつのもう少し茶色いものはフレンチウォルナットという色名とかで、黄色いチュニックと合わせてよくはいたものだった。上が濃い色でも薄い色でもなんでも似あったので、着回ししやすくて、本当に重宝した。同じものを買おうと思ったのだけど、もう色番が変わってしまっていて、デザインは同じでも、色がなくなってしまっていた。それでユニクロのパンツを買ってみたら、をを、はきやすいことこの上ない。色がやっぱり若干のダサさを伴うのはもう仕方がない。それでも今、ほとんど毎日のようにはいている。今、このユニクロさんと着回しのローテーションを組んでいるのは、こちらで買った細かい花模様の細いパンツさんだ。これは白黒なので、上が淡色のときはよくはいている。で、このパンツに合わせるために、単色のチュニックを二枚買った。安物だけど、とにかく縫製がしっかりとしている。体型カバー機能はなく、とにかくシンプルにすとんとしていて、一枚でしっかりとおちつく布でもあるから安心して着られる。年取った妊婦さんみたいには見えないところが気に入っている。またそれ一枚でしっかりと決まるチュニックなので、カーディガンとかそういうのを合わせる必要もない。でもあまりにもシンプルすぎて辛気臭い感じになってしまうため、スカーフをあれこれ巻いている。ほとんど毎日、そういう服を着ている。もうおしゃれとかそういう次元の話ではない。とにかくずっと同じ服を着回ししている。いわば制服である。個性とかそういうのはみじんもない。そういう毎日なので、今日、久しぶりにあった人に、「いつもスチュワーデスさんみたいですね」と言われたのであった。判で押したようにしっかりと崩れないように巻いているスカーフとか、屈んでも両手をあげてもどこからも何も見えない服とか。要するに、仕事着である。なので、勝手に仕事がよくできるイメージだ!と受け止めることにした。ただし、制服美とかコスチュームの色気とかそういうのも一切なし。これでいいのである。


06-06-2016 / Monday [長年日記]

_ 6歳の6月6日からお稽古を・・・とずっと前から思っていたのだけど、結局叶わず。でも今年中になんとか子どもにピアノを習わせるべく、がんばりたいところ。

アリス・イン・ワンダーランドとかその続編の鏡の国編とか、当地でも公開されたのかまだなのか判然としないというのに、なぜかブートレグ屋ではもう出回っているわけです。ほんと、不思議。ジブリのかぐや姫の物語も、つい先日、なぜか店頭平売りで、出回っていた。大方、映画チャンネルか何かで放送されて好評だったのではなかろうかと思う。

最近、よく家で食べる料理は、一見、手抜き、実際、手抜き、なのにどんなに手をかけて作った料理よりもおいしいという不思議料理。その名も「白菜春雨鍋」である。材料は、白菜、緑豆春雨、あとは適当にしいたけとかもやしとかほうれん草とか豆苗とかすぐに煮える野菜類と、手羽先とかちょっと骨が入っている鶏肉だけ。最初に水少なめで鍋で中火にかけ、沸騰してきたら、ごま油少々、醤油とか老酒とかみりんぽいものとか適当にすべて大さじ1程度入れる。それから様子をみて、スープの元とかそんなのを少し入れたり入れなかったり。どんどん煮立ってきたら、緑豆春雨とほうれん草を同時に入れる。春雨がやわらかくなったら、火を止めて適当に切ったネギをざっくりと入れてふんわりかき混ぜる。できあがり。ただこれだけなのに、おいしくて、体が温まって、とても幸せな気持ちになる。豆腐を入れてもおいしい。

今日は、魚肉かまぼこ系ローカル練り物と豆腐とほうれん草しかなかったのだけど、春雨と鶏肉、そして白菜だけでも普通においしい。こういうあっさり料理がやっぱりいちばんおいしい。料理ともいえない簡単さなのだけど、子どももよく食べる。

もう学年末試験が始まっている。ことしの3回生は着任して初めて教えた学年であり、贔屓目もあるのだろうけど、全体的にバランスよくみなよくできる。なので、思い出にということもあって、卒業文集を作ることにした。勤務先の大学では、4回生になるともう必須授業はないし、ゼミもないし、選択科目だってつまらないものばかりになる。だから3回生時点での学力がピークなのである。4回生になると、もうだめになってしまう。こういうのをなんとかしてあげたいとずっと思っているんだけど、なんともできないということが3年がかりでわかった。せめてもと思っての文集作りである。みんな卒業しても元気に頑張ってほしいなと思っている。


04-06-2016 / Saturday [長年日記]

_ 先週の日曜日は子どもの友だちの誕生日パーティーだった。

ファストフード店でおこなう家庭も多いけれど、自宅でする人もたくさんいる。飾り付けもすごく凝っている。ドレスコードもあって、付き添いの親もそのとおりの格好で行かなければならない。先日のコードは上が白っぽい服、下がデニム系というカジュアルドレスコードであった。まず最初のケーキカットの儀式。30人くらい来ている友だちのお母さんたちの中から代表者が挨拶して、その人が宗教的な祝辞を述べて、みなそれぞれの宗教のお祝いの文句を唱える。それからケーキカット。このケーキがすごいのである。もしかすると日本でもこういう技法がすでにあるのかもしれないけれど、誕生日の本人の写真がケーキの表面にデジタルプリント?してあるのだ。もちろん食べられるます!30センチ角の大型ケーキを人数分に薄く薄く切って、全員分はあるまいと思っていたら、大人用の渋いチーズケーキも用意してあった。まったく同じ寸法。このケーキがどちらもすこぶる美味しいものだった。敢えていうならば、ヨーロッパでわたしが食べたどんなケーキよりも、もちろん日本やその他の場所で食べたいかなるケーキよりもおいしいものだった。びっくりした。ケーキって、おいしいんだなあ~とひたすら感激して、われわれ親子はひとりあたり二回もケーキを食べてしまったほどであった。聞けばこのケーキ屋は伝説の店で、半年前に予約しても遅すぎるほどなんだとか。しかし値段は、モールなんかで大きな顔をしているケーキ屋なんかよりもはるかに良心的な値段であるという。支店を構えない方針で、店の規模もガレージ程度の店舗で奥が工房だとか。

でケーキの他にももちろん美味しい食べ物がたんとあった。珍しい料理もたくさんあって、ほとんどがローカル料理なのだが、ナポリタンスパゲティとスコッチエッグがあった。をを!と食べてみたら、これがまたおいしい。。某国だって、ほんといろいろあるんだな~としきりに感激した一日だった。とにかくなにもかもお料理がおいしくて、未だに余韻に浸っているわたし。。


21-05-2016 / Saturday [長年日記]

_ わたしは学部で語学を専攻していたというわけではないため、大学で語学を学ぶということがどういうプロセスでおこなわれるのか、よくわかっていない。自分が日本語教師の資格を取るときに勉強したのは、国内の日本語学校付属のコースだった。何回か日本語学校の授業見学もあったので、なるほど、今まで自分が受講したことがある外国語学習コースとなんとなく似ているんだなと思ったものだった。それが外国の大学の日本語学科で教えるようになってすぐに気がついたことは、「あれ、日本の日本語学校の授業とよく似ているなあ」ということだった。似ているのはカリキュラム。文法(文法事項導入)、漢字、会話、聴解、少しできるようになって来たら、読解と作文が加えられる。専門的な知識というのはすべてこれらの科目に集約される。

日本に関して知っておいたほうがいいという知識として、日本の歴史(主として20世紀以降)、日本事情(日本地理)、言語学(日本語のというわけではなく、あくまでも一般的な言語学的知識)、文学(これも日本文学ではなくて、文学理論とか分析理論のこと)が3回生である。しかし専門性はまったくない。日本の大学のようなゼミはない。ゼミみたいなものはあるが、これは卒論作成の技術を学ぶためのもの、発表のスタイルを学ぶためのもので、個別のテーマについて、みんなでとことん議論するというのはない。だって、30人前後のゼミなんて成立しないからだ。卒論のテーマが決まったら、基本的には先生と一対一で書いたものを持って行ってコメントをもらう、出直す、またもらう、という過程を経て、卒論ができるようになっているらしい。。。

そんなわけで、大学の語学専攻って、どんなことをやるんだろうか、というのがわたしの目下の一番の関心事項である。語学を学ぶって、いったいどういうことなんだろうか。語学のテクニカルな面だけ知っていても、それは運用能力とはまったく別のもんだいであったりする。文法的に正しくても社会的な文脈にふさわしくない表現というのもあったりするわけである。それに書き言葉と話し言葉は結構違うもんだ。だけど、本格的な日本語の論文を読む授業というのもなかったりするのである。「読解」という授業は、主として日本語能力検定試験対策であったりするからだ。

せっかく専門的な知識を持った日本人がいても、教えるようにと言われるのは文法ドリル(口頭練習)と作文メインである。これで本当にいいのかと思うこともあるし、もっと上手に専門知識を持った人を使えばいいのになんてもったいないと思うこともあるし、やっぱりこちらの先生にはできないことをまず教えないといけないんだなと思うこともある。どれがいいのかはよくわからない。でもとにかく、一番強く思うことは、別に日本語に対する情熱がなくても大学の先生になれてしまうこちらの大学のシステムの複雑さと不可解さのことだ。先生たちの日本理解は、ものすごく偏っている。先生たちが学生だったときのトレンドとか、今、ニュースサイトなんかのヘッドラインに出てくる現象がすなわち日本の本質だと思って話していたりするのである。確かに間違いじゃないんだけど、それはどうなんだろうかと、本当にいろいろなんである。授業の進行にしても、学術的な潮流の認識に関しても、なんでそうなるの?!ということがあまりに多すぎて、さっぱり理解できないことが多い。それでもよくできる学生も多いは、偏差値が高い学生ばかりだから、自分でなんとかすることができるからなのだろうと思う。ときどき、とてもよくできる学生と超級の日本語でおしゃべりをするのはとても楽しい。インターネット世代の若い人は、先生になったような人とはまったく違って、日本が直面している問題についてもよく考えているからだ。


20-05-2016 / Friday [長年日記]

_ あと一週で今学期も終わり。長かった。長かった。教える技術というか、テクニックは少しずつ身についてきたような気もする。でも日本語ということばについての学術的知識とか、専門分野としてやってこられた先生ならばすぐにわかるような、ある文法事項や単語がよく使われる教科書の第何課で出てくるとかがパッといえるとか、そういうことはまだ全然できない。勉強が足りていない。とてもメジャーな文法事項、たとえば可能を表す表現だとか敬語とか受け身とか、そういうのはおぼろにわかるようになってきた。でもそこで絶対におしえなければならない文法事項はなにかと問われたら、やはりいまだに虎の巻とかそういうのを見ないとわからないのである。使役(~させる)と使役受け身(~させられる)では、ときどき間違った活用を教えているような気がして、未だ自信をもって教えているとはまったく言えない。そういうわけだから、先日、なんのかんのと理由をつけて止めてしまった英語学校の先生に対してもずっと同志的なシンパシーを感じてはいたんだけど、そこでとことん包容力をもって理解を示すことができないのが、わたしという人間の限界なのである。冷たい人なんだと思います、はい。

日本語を教えることは国語を教えるのとは全然別物であると、よくベテランの先生はおっしゃる。そのとおりだと思う。だのに、やっぱり自分が求めてしまうのは国語的に理解することであったりする。それはわたしの中では文学的に文章を理解するということに通じるのだけど、それもやっぱりむずかしいらしい。わたしは日本語を勉強する人の気持ちに寄り添うにはあまりにも冷たい人間なのだと思う。だから、心のどこかで、なんでこの文章の意味がわからないんだろう、どうしてわからないんだろう、と思うものの、その原因を突き詰めて考える努力が足りていないとも思う。だから、できる人にとってはネタの豊富な研究者みたいな先生であるかもしれないのだけど、できない学生にとっては、ずっとおいてけぼりにされているという気持ちが強いのではないかとも思う。もちろんわたしが勝手にそう思うだけで、学生の評価は違うのかもしれない。でもわたしが学生だったら、やっぱりこの先生、わかってない!って思うはずだ。だからで毎学期、かならず新しいシラバスを作って、前に失敗したことを繰り返さないようにと思ってやってきた。それがうまくいっているのかどうかはわからないけど、とにかく教え方を毎回毎回、反省しながら、上手になりたいと思っている。もっともっと精進して、学生のためのいい先生になれたらいいんだけど。たとえどこの国で教えることになったとしても、ずっと毎回、勉強を続けて、しっかりと学生のことを考えていけたらと思う。


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