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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

08-08-2013 / Thursday [長年日記]

_ 人からもらった無料映画鑑賞券があったので、何年かぶりで映画館で映画をみた。「風立ちぬ」。ジブリ映画を映画館で観たのは初めてのこと。何の予備知識もなくふらっと入った映画だった。ふとユーミンの「ひこうき雲」が聴きたくなったからということにしておこうか。好きな映画だと思った。どんな感想を、どんなふうに言えばいいのかわからない映画は、往々にしていい映画であることが多い。たとえば、「人生は、時々晴れ」(マイク・リー)。たとえば、「愛情萬歳」(蔡明亮)。たとえば、「ディーバ」(ジャン=ジャック・ベネックス)。たとえば、「ただいま」(張元)。あらすじを話したところでその映画の何かを説明したことにはまったくならないような類いの映画。映画をみてから一週間、いまだに映画のBGMとユーミンの歌が前頭葉にこだまし続けている。菜穂子が、荷物をなんにももたずに汽車に乗るところが一番気に入っている。


09-08-2013 / Friday [長年日記]

_ 100センチメートルの影と164センチメートルの影が並んで夕方の門前町をとおりぬけて、賑やかなスーパーのある広場に向かったのは、3歳6ヶ月検診の帰り道。子どもはちょうど100センチメートルだった。計測器を読み上げる保健師さんが、まるでビンゴゲームで当たったかのように甲高い声で、数字を告げると、記録する係の人が、100センチですかと重厚な声で復唱した。子どもは誇らしげでに頭をつんと上げて、さっさと自分の服を自分で着替えたのだった。スーパーでは店内にあるイートインコーナーのあるパンやさんにさっさと向かい、だれに教えてもらったのか、トレーとトングをつかんで、小さな四角に切ったミニサンドイッチのパックをあやふやな手付きで乗せている。そして「ママはこれ!」とメロンパンを掴んだ。テーブルにトレーを置いて、紙コップに水を汲みにいっている間に、器用にパックをあけてサンドイッチをもうほおばっている。一体、どこで、誰に教えてもらったのだ。小さな四角の一列を全部食べてしまった子どもは、スーパーの隣の公園に行こうと、もう立ち上がっている。パンダとトラの乗り物に交互に乗った後、滑り台を3回滑って、また動物の背に乗って満足したらしい。家に帰ると、さっさと服を全部脱いで、お風呂に入ってしまった。存分に水遊びをして歯磨きもしてしまったら、電池が切れたように寝てしまった。三歳六ヶ月というのはもうなんでもできるのである。子どもは翌朝5時に目を覚ますと、またすたすたと一日を始める態勢に入った。わたしの子ども…なのだろうか。えらいものである。


11-08-2013 / Sunday [長年日記]

_ 「ユミヨシさん、朝だ」と、なぜか口をついて飛び出したことばに驚きながらカーテンを開けた日曜日の朝。何年も読んでいない小説の、最後の台詞だ。5時半とはいえ猛烈に暑い。今日も一日がんばらなければ。


14-08-2013 / Wednesday [長年日記]

_ 頭にどんな種類のことばがつくのかわからないけれど、強迫神経症めいた状態だったのだろうと思う。7月をどうすごしたのかまったく記憶がない。それくらい暗く俯いて就職活動に全エネルギーを注いでいた。切実な理由としては保育園に子どもを預けられる資格を喪失してしまう恐怖心があった。もう終わりだ。履歴書を出したり、インターネットからエントリーした数は100どころじゃなかったと思う。もちろん全部、外れた。正確にはひとつ採用になったのがあったのだが、精神的に辛くてかかってきた電話に出られないようになっていたために、落としてしまった。どうせ残念ながら…という連絡しか自分にはかかってこないと思い込んでいたからだ。生活保護を受けるという選択は、保育園を追い出されてからと考えていた。もう切羽詰まりすぎて、どうやって毎日を過ごしていたのか覚えていない。8月になってからも出す履歴書が全部外れで、インターネットで申し込んでも「残念ながら…」と返信がくるのはよいほう、まったく反応なしという結果の連続で、就職できるのが先かあるいは…と考えていた。10日前、某国から手紙が届いた。去年の終わりに履歴書を送っていた大学からである。20対1の面接や学部長との面接を経て採用となっていたものの、ずっとずっとずっと音沙汰がなくて、こちらから出したメールにも返信がなくて、もうなかったものと思っていたところからだった。待遇もなにもかもまったくこちらの希望にはほど遠いけれど、とりあえず仕事が見つかった。たぶん、そこがベストなのだろうと思う。しばらく気の抜けた風船のような日々を過ごしてそしていま、渡航費の金策に東奔西走している。お金がなくても人は生きられるとは思うし、なければないなりになんとかはなるものだ。それでもお金があると心に余裕ができる。心に余裕ができると、ひとつの凝り固まった考え方から脱却できる。貧しくとも心に太陽をとか、清貧の思想とか、いろいろあるのも知っている。だからくじけてはいけないのだけど、みじめな気持に押しつぶされてしまうこともあるものだ。お盆の間だけはみじめに落ち込んで、それからまたしばらくがんばってみようと思う。もうちょっとがんばったら、なにかがきっと変わるはずだから。


16-08-2013 / Friday [長年日記]

_ 仕事は決まったというのに、先立つものがなくて渡航できないというのは、もう笑い話である。どうしたらいいのかもう考えられなくなってきた。笑うしかないか。


17-08-2013 / Saturday [長年日記]

_ 引っ越しの準備がまったく進まず、気持がまったく沈んだまま、必死になって元気を出そうとしている。だからなのかずっと頭が痛い。元気を出してひとつずつ片付けいかなければ。2年前に退官された恩師の奥様からどんな準備をしていけばいいか電話で教えてもらった。奥様は凸凹大の同窓でもあるし、やはり日本語を教えていらした。それで久し振りに人と話して笑って、ちょっと頭に空気が通った。ちょこちょこと必要な本を集めているんだけど、わたしにできることってなんでしょうという質問に対し、やっぱり誰しも専門性というのがあるから、あまり日本の公式な日本語教育の要領に従うのではなく、アカデミックライティングとかきちんとした文章が書いたりするような指導を目指したらと言われる。そんなことができるんだったら、今ここでこんなことしてないよな…と思ったりしたけれど、そういう余計なこと考えるから頭が痛くなるのだと思い直して、持って行く本を選びなおしたりした。でも本当に、しんどい。頭の芯がずっとぱんぱんにふくれあがっているような気がしている。


22-08-2013 / Thursday [長年日記]

_ 商店街を歩いているとき、歯医者のウィンドウに映った人影がものすごく暗いオーラを放っていて、ぎょっとしたら、自分の姿だった。背筋を伸ばして歩かなければ。あるいは前を向いて歩くとかしないと。


23-08-2013 / Friday [長年日記]

_ -4千安打を打つために、8千回悔しい思いをしてきた…-

比べることに意味はないのだろうけど、わたしはまだ1千回の悔しい思いもしていないのかもしれない。こういうことばはなかなか出てこない。やれることをきちっと重ねていかねば。だめでも体がきくうちは、ずっと挑戦し続けていくしかない。それしかない。


26-08-2013 / Monday [長年日記]

_ いろいろと、心配して助けてくださるかたがたに恵まれていることに感謝しつつ、ようやく本当に出発する用意が調った。それだけのものを背負っていくわけだから、がまんできないと退却することはもうできない。

久し振りに大学に行って、何人もの恩師にご挨拶をして、お世話になった図書館の司書のかたがた(もちろん母校のほう)といろいろな話をして、もう疲れてしまって行けなかったので吉田山に向かってぱちぱちと手を叩いて頭を下げて、久し振りにミルクコーヒー飲んで帰ってきた。帰りに鴨川がみた風景が、ずっと大昔、新入生だった頃からまったく全然変わっていなくて、ゆくかわのながれはたえずして、しかも、もとのみずにあらずとはいうけれど、全然、なにもかわっていないんだな、いつか自分も周りもかわったなあと思うことがあるのかなと思ったり、若い頃の真剣な意欲は確かに消え失せてしまったよなあと思ったりして、茫然としていた。

明日からまた元気を出して、きれいにして出立しよう。


30-08-2013 / Friday [長年日記]

_ 子ども、保育園最後の日。朝一番の先生が泣きながら、「こんなにかわいい子がもう来週から来ないなんて…」と涙ぐんでくれたのを見て、わたしも目が潤んできた。3ヶ月から待機児童として一時保育でお世話になり、この保育園でたくさんのことを学んで大きくなってくれた。わたしだけではとても今の成長ぶりはなかった。子どもも保育園が大好きでお友達が大好き。今のままの元気で素直な子どものよさをずっとキープしていくのは、今度はわたしの責任だ。

子どもの代わりにと、オリーブの小さな鉢を持って行った。子どもは貼り絵で作った先生や友だちへの手紙を持っていき、人生で初めて、好きな人や場所に別れを告げるという経験をする。夕方、迎えに行くとき、きっとわたしも辛いだろうなあ。今日は子どもに精一杯、甘えさせてやろう。


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