_ 退官講演の隙間を縫って、お昼ご飯はたこのスバゲティ・アラビアータ。ものすごくおいしかった。たこがぷるぷると歯ごたえよく、ソースとの相性がとてもよい。ものすごく満足して食べていたら、横に座った男性が(断りもなく)、ものすごく匂いの強い煙草を吸い始めた。。。そそくさと食べてしまったのが残念。
食後のコーヒーは、このお店に限る。ほんとうにおいしい、牛乳もお砂糖も、何も入れなくても深い味わいがすーっと口中に広がるのが、麻薬的なおいしさ。コーヒーは昔、薬の代用品だったというが、ほんとうにそうだったのだろうな、と思わせる味。喫茶店でも、この味わいは、ちょっとなかなか、お目にかかれないように思う。
今日も暖かくて、とても気持ちのよい日。
_ 女の人は化粧をするかどうかで随分と見た感じが異なるものだが、男の人はスーツを着ているかどうかで随分と印象が変わるのだな、と思った。ただし、日頃、スーツを着ていない人に対してそう思うことが多いように思ったりした。上下揃いではなく、別々の組み合わせで上手に着こなしている人をみると、ついついほれぼれとして見入ってしまうこともあるが、それは日頃スーツな人びとを見る機会が少ないからなのかもしれない。日頃、もしかすると寝間着かな、とおもう服装の御仁が、今日はカジュアルとオフィシャルの境目の、上手な着こなしをしているのを見て、ものすごく目に鮮やかな印象を受けた。今日は全体に、みながダーク系のおしゃれをしている中で、俄然、さわやか系に見えたので、ついつい長く話し込んだりする。もちろん、仕事の話。
_ 花粉が多い。花粉症ではないのだけど、飛散度が高い日は、少しだけ反応するようだ。目がかゆくなる。私が反応するような日は、花粉症の人だともっと反応するようで、今日はあちらこちらでくしゃみの声を聞く。
昨日の夢は、黒板に書き物をしている夢。内容はほとんど覚えていないのだが、私は滔々と話している。誰かになにかを説明している風情。
_ 巴旦杏はアーモンドのことだという。ことばの響きにリズムがあって、昔から好きなことばだったのだけど、意味を知ったのはわりと最近のこと。バラ科の樹木なので、今の季節になると、桜と見間違えるような花を咲かせる。枝のつき方が、少しだけ桜とは違う。幹から、どちらかというと鋭角気味に、上に伸びるようについている。よくみると、花の色も、少しだけ濃いめのうす桃色。
美人を形容することばは、地域や言語によってずいぶんと違う。「巴旦杏」ということばをしったのは、たぶん、中国の児童文学を読んだときで、「巴旦杏のような瞳」の女の子が登場するもの。これはなんだろうと思いながら、随分と長い間、調べないでいた。中国の果物なのだろうなあ、などと思いつつ。アーモンド型の目が美人の形容詞になっているのは、中国だけなのかなあ。桜の花がもう咲いているのを見て、これはアーモンドなのかな、もしかして…などと思ってみた。
_ 寒いなー、遠くの山は頂上のあたりが真っ白だなー、と思いつつ、半袖のセーターとスカートで出勤。間違った。とはいえ、それほどに風は冷たい感じではなく、首元をマフラーで防御していると、大丈夫な感じがした。お昼はあまり食べたいものがなかったのに、タラコスパゲティ(大盛り)というのを頼んだのも、考えてみれば矛盾した。ところが落とし穴があって、スパゲティの量は1.5倍なのだけど、タラコペーストの量はそのままだったこと。ううん。食べた気がしなかった。
_ 同行者のみなさんの勧めもあって、タラコスパゲティにシソドレッシングとタバスコをかけてみた。味がついた分、食べ物になった感じがした。良心的なパスタ屋さんは、大盛りでも普通サイズでも、お値段がおなじだったりする。女子のみんなも女子同士だと大盛りを食べることがあるが、男子が一緒だと普通サイズにしてしまって、後から後悔することがままある。そういう話を食券を買うレジの前でしていたら、キャッシャーのお姉さんが突然、「わかるわよー。でも大盛りっていっても、1.5倍しかないから、私でもぺろりとたべられるわよー。ものすごくよくわかるわよー」と力説してくださった。大盛りを食べる女子が少ないから弁護に回ってくださったのか、共感してくださったのかわからないけど、やはり自分一人だったら普通サイズを食べて、いかにも普通の女子的に振る舞うような気がしないでもなかった。
_ 夕方、小雪が舞い散る中を歩く。とても気持ちがよかった。コートの中はほかほかと温かく、顔に当たる雪はひやりと冷たい。午後5時を過ぎてもまだ明るくて、春が近いのだな、とうれしい。
_ MDを買う方がいいか、CDプレーヤーの方がいいか、随分悩む。自分が音楽を聴くときは、なにかをしながらということはあまりない。なので、どちらにしても目的は語学の練習のために、と位置付けている。待ち時間や移動のときには、今までは本を読むことしか選択肢になかった。ここに、語学の勉強というものを加えたい。今はNHKの語学テキストもCD付きになっているから、それを考えるとCDプレーヤーの方がちょっと安いし、気持ちは傾く。が、よりコンパクトで、今の自分のステレオに接続しやすいと言う点ではMDなのかな。迷う。
_ 携帯電話も買わないとと思っていろいろみていても、もう私には理解できない。。。たいへんな世の中になっているのだな、ということはわかった。電話はもう、自宅に設置する固定電話だけでいいか、と思った。携帯がなくて困るのは私ではなく、私に連絡を取りたい携帯を持っている人なのだ。たぶん、私が困ることはあまりないとも思われる。私の身の回りでも、携帯電話を持っている人の方が少ないから。でもこれだとやっぱりだめなのかな。。。
_ バス停で、この頃流行の小型犬を「懐」に入れている人を、続けてふたりも見た。今、こういうふうにするのが流行っているのだろうか?一瞬、ぬいぐるみを抱いているのかと思ったくらいに、愛らしい顔が覗いていたので、ぎくっとしてしまった。犬は歩きたいなどと思わないのだろうか。
_ お天気はよいが、冷たい。この季節になると、室内の方が外の気温よりも低くなったりする。
部屋の片づけをしないといけないのだけど、なかなか動けず。しないといけないことが盛りだくさんなのだけど、そう思うとますます動けず。お茶も飲まずに一日中、座り尽くしていたりした。気持ちをもり立てるための動機付けというのは、じっとしていてもある日突然降ってわいてくるはずなどないのだ。経験的にわかっていても、それを待ち続けるというのは、学習していないからなのだろうか?
_ 昨日の夕方のテレビで、外国語を話す人びとが、みなで松尾芭蕉の『奥の細道』紀行をする番組を見る。季語が国によってかならずしも明確に存在するわけではないため、外国で俳句を理解しようとする人にとっての共通の技法は、「ハイク・モーメント」を感じるがどうかなのだという。つまり、ホメロスみたいに、時間的に長い詩の対極的位置付けとして、その瞬間の自然に感じる「俳句的瞬間」を短いことばに置き換えるのだという。外国の方が作った俳句をいくつか日本語的に訳していたのをみたが、やはり、季語というのは大事なのかな、と俳人でもなんでもないくせに、思ったりした。かといって、私に俳句が詠めるわけでもなんでもないのだ。
_ うちの母は、「みんなが高校に行くからという理由で行くくらいならば、やめなはれ」と通告するようなタイプの人である。どちらかというと怖い。なのだけど、私が生まれてすぐくらいから、ずっと絵本付きのおはなしレコードを聴かせ続けるという繊細な教育に関心をもっていたこともあるようで、このことは、私にとってはものすごくありがたいことであった。とにかく一度聴いた音はすぐに覚えるようになった。絶対音感というものが備わっているわけではないのだが、聴いた音をそのまま鍵盤に落とせる。また、その時にきいていたおはなしの内容はさておき、そのミュージカル仕立ての曲と歌詞はほとんど今でも覚えている。
♪ふさふさふさ、たてがみー/あれはひとのものー/きれいな毛皮もー/あれは人のものー/
あーるのはちいさなー/ぶたのしっぽ/ぶたのしっぽぉ、おぅ、おぅ…
という『三匹の子豚』の歌がとても好きだった。うちにもまだLPが残っているのだけど、絵本がもうぼろぼろになってしまって見つからない。もし手にはいるのであれば、ほんとうに欲しいなと思う。親子で歌えるようにと、かなり高度なピアノ楽譜が残っているので、ときどき弾いてみたりもするのだけど、絵本が読みたいな、と思う。恵文社をのぞけば、見つかるのだろうか?
_ きっちょむさんとか桃太郎、浦島太郎という日本昔話の古典から、シンデレラ、みにくいアヒルの子、イワンのばか、などもあった。個人的にはイワンのばかの歌がものすごく好きだった。
♪イワーン/イワーン/イワンが笑うー/ばーかのイワンがにっこり笑うー
というもの。