_ 事故に遭った。右側面からバイクに当てられた。気を失う直前に、辛うじて連絡先を助けてくれた人に伝えたらしい。その助けが来る前に、ふらふらとまたバイクに乗り、走り出したらしい。そして途中で気を失い、前を走っていた車に追突して転倒したらしい。どのようにして助けが来たのかわからないが、とにかく病院に運ばれ、すぐにCTスキャンを受けたらしい。医師は、頭蓋骨骨折、脳挫傷の疑いありと診断を下し、緊急入院を指示したらしい。なのにわたしは家に帰ると強硬な態度を取り、医師は一筆書かせた上で、帰宅させてくれたらしい。葬式みたいな雰囲気の車の中の風景を、なんとなく覚えている。その後、わたしは自分がなにをしていたのか、まったく覚えていない。それどころか、ここまで書いたことは、すべて、人から聞かされたことで再構築した記憶のつぎはぎである。一昨日の夜、雑踏の中を歩いているとき、日本からの電話で自分が事故にあったことを知り、慌てて、大きな街に出てきた。今度はMRI検査を受けた。頭はまったく正常で、骨折どころか脳内出血もまったくないという。目立った外傷は右肘の擦過傷と、倒れたときに圧迫されたのか、指輪をはめていた指の内出血のみ。記憶は喪失するし、外傷はないし、何を聞かされても知らないことばかりで、それなのに元気である。こうして日記を書いているわたしは生きているわたしなのか、そうでないのか、どうやって確かめたらいいのだろうか。胡蝶の夢?わたしは誰なのだろうか。人は自分が自分であることを、どうやって確かめることができるのだろうか。
_ 飛行機が着陸する寸前に、その手前を旋回する小さな丘がある。かつては王国がそこに栄え、丘のてっぺんは、宮殿があった場所らしい。いつかバイクで行ってやろう、そう思いながら、いつのまにか長い時間が過ぎていた。ある日、ふと思い立って、その丘に登った。矢印に従って、小さな細い、しかし辛うじて観光バスがぎりぎり一台通ることのできる道を登った。小刻みに減速しながら、最後にはほとんど停車寸前というスピードでたどり着いたのは、まさに丘のてっぺん。この国にしては珍しく、平らな広い風景が広がっていた。宮殿とは名ばかりで、現在、発掘中の遺構があちらこちらにある。兵隊がかつては集まっていたのかもしれない広場を抜けると、神殿風な場所に着く。その背後には、沐浴場がある。男湯と女湯のように、真ん中にある階段から対称に広がる。自然にできた水場なのか。層を一枚一枚剥がしてできたような水たまりがいくつもあり、思いがけず透明な水を湛えていた。
雰囲気としては、ベトナムはフエの阮朝の王宮のよう。強者どもが夢の後な雰囲気が漂う場所であった。誰もいない。ときどき思い出したようにどこからかヤギやヒツジが現れる。現代の家畜に姿を変えた王宮の人なのだろうか。無表情な顔つきで、草をはみつつ、いつのまにかまたどこかへ消える。
わたしはこの国で、この場所が一番気に入った。静かで、何もないところが気に入っている。屋台も土産物屋も、ここにはない。視界が開けた場所が一カ所あって、そこから丘の下に広がる平野を眺める。霧がかかったような空気の色は、鋭い太陽の日差しをやわらかく屈折させる。しばらくぼーっと、そこに立っていた。持ってきた水筒の水を少しずつ飲みながら、広く見渡せる風景を目に一杯に取り入れる。思いがけず4時間くらいをそこで過ごし、正午過ぎに丘を下りた。しばらくは田園地帯を走り抜け、慌ただしい市街地に戻った。丘を眺めようと下から目をこらしてもなにも見えない。下からは見えない場所に、王は君臨すべき時代だったのだろうか。標高300メートルあるかないかの丘に過ぎないが、そこに漂っていた王国の威厳は、千年以上過ぎた今でも、まだ残っていたのかもしれなかった。
_ バイクで走るのが楽しくて楽しくて、週末はほとんどバイクに乗りっぱなしの生活。景色を見ることができるスピードは、時速30kmくらいまで。いや、20kmか。わたしみたいに70kmで走ると、景色は色の塊となり、どんどんと左右に流れる。前に続く道をひたすらにらみつけながら走ることの何が楽しいのかといえば、上手く説明できない。次の瞬間、どこかへ放り出されてしまうかもしれないことを考えながら、一定の速度を維持させていることの達成感めいたものなのか。給油のあとジュース飲みながら座っていると、バイクの振動が体中に残っているのを感じたりする。夕日に向かって走るのと、夕日に染まる雲の塊を目指して走るのと、朝の冷たい空気をかき分けて走るのと。丘の向こうに海が見える場所。遠くにかすかに見える寺院を目指して走る道。どこかへ行きたいのだけど、どこにも目的の場所はない。その苛立ちがスピード狂にさせるのか。初めてとおる道は、少し、緊張する。どこに穴が空いているのか、どこにカーブがあって、どこに坂道があるのか。直感だけで走り抜ける山越えの道。直角に下りていくような道を進むときは、それでも下から上ってきてすれ違う他のバイクに励まされる。上らざるを得ない道、下らざるを得ない道がある。オレンジ色の電球がすっかりと灯された頃に戻ってくると、急に力が抜けて、ほっとする。楽しいと思い込みながら走っているのだけど、全身で緊張しているのだよなとも思ったり。道ばたの埃っぽい食堂で、ダンプカーの振動で揺れる紅茶カップの表面を凝視しながら、いつからそこにあるのかもわからないようなチキンを囓る。休息のために下りてきた十数人の砂利取り作業員の人たちの視線を独占しながら思うのは、いや、わたしなんかほんとのこの国の生活のことなんて、ちっとも知らないのだよな、ほんとのところ、ということ。なにも知らない、わかってなどいないということを感じるために、バイクに乗るのかもしれない。
_ リービ英雄の『越境の声』。中国におけるユダヤ人の痕跡を辿る旅について、もっと読みたいと思った。もう10年以上前から「越境」ということば、人文社会科学のいたる分野でキーワードになっていたように思うのだけど、萌芽的状況が続いていたのかな。あんまりまとまったものを読んでいないから、知らないだけなのかもしんないけど。
_ 日本になじめないです(苦笑)。
_ 某所でなくしたアクセサリー、買ったお店では片方だけ購入することもできたのだとか。それを知らずにまったく同じものをまた買っちゃったりしちゃったりなんかした。アクセサリーと香水、それで7ヶ月を乗り切ったといっても過言ではない。香水は、長らく同じものをつけていると鼻が利かなくなってくる。なので、おなじブランドのものをふたつ、別のブランドのものをひとつ、ローテーションで使っていたけれど、好きなものはやはりすぐになくなってしまう。あまり減らなかったものをなくして、新しいのを開拓しようかなと思ったり。どうでもよいことを必死に考えて、気分を紛らしている。
テレビ見ても知らない人ばかり、週刊誌を読んでも恐ろしい事件ばかり。どこに住んだっていいじゃんか、という気持ちがますます強くなるばかり。