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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

30-12-2009 / Wednesday [長年日記]

_ 年末年始に日本にいるのは本当にひさびさのことである。昨年は、母が倒れたため、大晦日に急遽帰国というアクシデントがあったから、厳密には日本でお正月を過ごしたことになる。しかし、そういう準備が一切なかったということもあり、のんびりとした正月という感じではなかった。その当時、まさか今年も日本でお正月を迎えるとは思ってもみなかったわけで、本当に先のことはわからないものだなと思ったりしている。予測のできる先のことと、そうでない先のことがある。今さらながらにそう思ったりしている。

今日はおせち料理を作る日。黒豆はもう昨晩から水につけてある。大げさなことはひとつもできそうにないが、出来る範囲で楽しいお正月を迎える準備ができればと思う。

ミジンコさんは、昨日の夕方から夜にかけて、一体何があったのかというくらい、暴れ回っていた。一人でなにをほたえているのだろうか。


29-12-2009 / Tuesday [長年日記]

_ 早朝、如月さんから電話。曰く、「村役場から電話があって、もう子どもが生まれたんだって?!」という内容。お姑さんが言われたのだそうな。誰の子どもが生まれたのか知らんが、あなたの子どものことでしたら、まだわたしのおなかの中にいますよ、と答える。お姑さんはからかわれたのである。そして如月さんに、直ちに確認するようにと指示を出したのである。如月さんは昨日、首都まで査証を取りに行って、本日、未明に帰宅したばかり。正月早々、日本に行くということ、子どもも生まれるということで、村中の人からからかわれているだけ。村役場の人から近隣の集落の人から何から何まで、如月さんに子どもが生まれることをみな知っているような世界なのである。

_ 一昨日、散歩のときに買った小川洋子の新刊文庫、「博士の本棚」を読み終わるのがもったいないような気持ちで読了。似たような愛読書を持っていたことを再確認する。とくに「小公女」と「アンネの日記」。わたしは古い函装のハードカバー版を愛読していた。長じて、完全版だという文春文庫版も手に入れたのだが、二段組みで、硫酸紙のようなカバーがかかったサテン装の本を繙くときの秘密めいた感触を好んだからか、結局、文庫版は完読せずに本棚に積まれていたような気がする。

そしてわたしも押し入れに入り込み、懐中電灯で本を読むのが好きだった。北向きの六畳の部屋は、障子の向こう側に竹藪と無花果の木が植わっていた。風のない時でもいつでもそわそわと笹の葉が音を立てているような気がしたものだ。メリンスの布がいつも掛けられていた母の鏡台が怖いから、そっと横を向いて部屋を通り抜け、奥の廊下を通って御不浄にいくようになっている。御不浄の手前には坪庭があり、手水鉢がぶら下げられていた。坪庭には金木犀と茱萸の木が植わっていた。誕生日に35円で買ったヒヨコのぴー太郎は、この坪庭が好きだったようで、よく枯れ葉をつついてミミズなどを探していたようだ。ぴー太郎がイタチに襲撃されてからは、この坪庭を見るのが辛く、廊下を渡るときはいつも俯いていたような気がする。

この神聖な北向きの部屋には半間の押し入れがあった。押し入れの上段に這い上がって、ひとりで隠れん坊をしながら、懐中電灯の明かりで本を読んだ。「小公女」「トム・ソーヤーの冒険」「かぐや姫」「赤毛のアン」「誰も知らない小さな国」。懐かしい本の中に、その当時はまだアンネ・フランクの日記は含まれていなかった。本を読む自分だけの空間というものが必要な年齢というのか、そういうのがあるような気がしたりする。そんなことを考えながら、小川洋子を読了。


28-12-2009 / Monday [長年日記]

_ 朝からmoxaを三セットずつ。ゆったりとした心構えでいなければならないということは重々理解しているのだが、ちょっといらいら気味である。どんなに逆子体操をしても逆子が直らないことや、それに伴って帝王切開の日程が決められており、それが如月さん日本到着の二日前であること、そのことで病院と交渉したのだけど、やー、病院の石頭め!入院の荷物を詰めるのもまだぜんぜんやる気にならなかったり、なんかとにかくあれこれもう一杯になってきた。胎教にもよろしくない。ミジンコさんが出てきてくれても、保育器に入れられるそうだ。帝王切開だから肺機能が不完全な場合があるのだという。それにしては、予定日よりも二週間も前に手術をおこなうわけで、それはなぜなのかと問うと「子どもは十分生育していることと、陣痛が起こってしまっては緊急帝王切開ということになり危険度が増すから」と説明された。少々矛盾が生じているから突っ込んでもよかったんだけど、病院とけんかしたくないから何も言わなかった。言わなかったことでもやもや感が芽生えてしまい、それがなんとなく病院に対する不信感へと成長していっている感じがしている。。うーむ。。だめ循環に突入してしまった模様である。

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_ Wswmxvit [ http://www.stlouisbusinesslist.com/business/5021837.ht..]


27-12-2009 / Sunday [長年日記]

_ 朝、moxaをすえ、のんびり。暖かくて、もうすぐお正月なんて気がまったくしないですな。午後、少し遅めの時間に、商店街まで散歩。本屋で新書と文庫を各一冊。手芸やさんでぬいぐるみにいれる鈴をひとつ。アーケードで鶏の唐揚げ(あまりにみなが買っていたので、つい手が出てしまったのでした)を一パック、ちょっと高級なスーパーで、如月さん用の食材や調味料などをいくつか、焙り鯖寿司を一パック、やす〜いダージリン紅茶のパックを一つ。たぶん、年内最後の買い物。

まあいろいろ先のことを考えるとたいへんなのですが、とにかくまずはしっかり来年を迎えよう。


25-12-2009 / Friday [長年日記]

_ 風邪をを引いたのかもと思い始めた12月初旬から、実はずっと毎日、DVDで「チャングムの誓い」を観ておりました。某国で長期滞在していた数年前、某国でも放送されていた。わたしが住んでいた村では当時、予定停電が一日置きに実行されていた。なので、一晩置きに、懐中電灯を持って、隣の集落に住む友人の家を訪れ、この番組を観ていたという次第。が、本来、仕事で行っていたので、必ずしも毎晩、番組を観られるというわけでもなかった。某国では日本みたいに毎週放送されるのではなく、月曜日から金曜日まで毎日、定時に放送があった。

それから数年、今ならたっぷり時間もあるし(ほんとはないんだけど)、母も観たいというので、思い切って、レンタルしてきたというわけであった。それ以来、我が家はたいへんなことになっていたのである。。文字通り、時間があったら、親子でチャングムをずっと観ていた。実は母などは、もうすでにこれで3回目くらい、全部を通して見ていたはずなのに、誰よりも熱心に鑑賞していた模様。最前より、如月さんは親ばかを発揮して、「我が子は医者にしよう」などと言っていたものである。これも某国におけるチャングム人気の余波である。昔、おしん、今、チャングム。某国やら某国界隈やらを歩いていて、「おしん!」と声をかけられなくなったのはいつ頃のことだっただろうか。今は大概、「あんにょんはせよー」と声をかけられるのである。「ちゃんぐむ!」と声をかけられたこともほんの数回ではあるが、経験している。わたしたち、ちょっと古い日本人は、華人系・韓国の人・日本の人を、歩き方やら服装、ちょっとした所作で区別できるところがまだ残っている。ちょっとした目線とか、お箸の使い方、ご飯の食べ方、鞄のかけ方等々。しかしこの3地域出身の人びとで、20代以下の若い人びとは、もうほとんど区別できるような差異がなくなりつつある。どれかひとつの特徴が突出して他を凌駕したというよりは、三者がひとつの求心力の中心に向かって、収斂されていったとでもいうような感じだろうか。

チャングムを観ながらそんなことをときどき考えたりしていた。ミジンコさんは、さて、なんと呼ばれるようになるのだろう。


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