_ ちょうど一週間前。納戸で荷物の整理をしていたら、DVDの箱を見つけた。しばしタイトルを眺めて、時間ができたらまたゆっくり映画鑑賞しようと思って箱を閉じ直した。その翌々日、テオ・アンゲロプロス監督の訃報を知る。虫が知らせたということなのかどうなのか、監督の映画の極東の一ファンとしてなにか通じるところがあったのかなかったのかそういうことが言いたいわけではない。ただ、2012年現在のギリシアの巨匠映画監督が、映画撮影中に、交通事故で亡くなったということの、何とも言えない喪失感にただ浸ることすらなぜかためらわれるような、あっけなさを前にして、言葉を失ってしまっている。無念。
_ 髪をカットするときに、これくらい切ってくださーい、などといって、親指を人差し指でチョキあるいはピースサインを出すことが、あったりしませんか?某国で髪をカットするとき、5センチとか10センチなどと言っても絶対にそのとおりにならないということがわかっていたので、ボディランゲージで示したつもりだったのです。そしたら、髪の長さが「これくらい」になるまで切られてしまいました。肩胛骨あたりまであった長さの髪が、一気に、逆モヒカン風にシャカシャカと切られ、ええー!あ゛〜!とかいう間もなく、鮮やかな手つきでばっさりと切られたのが12月1日のこと。うっそー、という絶句すらできないくらい、呆然として、カット料金およそ100円を払い、こんな安いところで切るからや〜という後悔とか反省もできないほどのショックを受けて、ロボットのようにぎくしゃくしながら、とにかくよろよろと家に帰った。そして合わせ鏡で全体をチェックしたときの衝撃は、忘れることができません。まるでマレット(ベティ・サイズモアで、アーロン・エッカートがしていた髪型、この子のお父さんお母さんは昔ちょっとヤンキーやったんかなあ、、なんて思ってしまうようなちょっといちびりな子どもの髪型、そう、全体は短いのに、襟足だけビミョーに長いというあの髪型)になっていました。
一度タンスの奥にしまい込んだ手鏡をもう一度勇気を出して取り出して、入念にチェックしてみれば、つむじの部分が一番短く刈り込まれています。絶句どころか、もうわらうしかありません!わたしは財布を掴んで、ちょっと大きなスーパーに行き、まずはジェルとかムースとかを買わねばと思ったのですが、なんとこの国には女性用の整髪剤というのが、存在しないのでした。男物のチックみたいな、MG5みたいな、なんかへんな臭そうなものしかありません。どうしよう、、いっそ剃髪してしまうかムスリムの被り物を被るかどうするかというたいへんな二者択一を迫られました。で、友だちにSMSを送って相談。「カット失敗、どうしよう〜」「子ども用ピン留めをたくさんつけてごまかせ!」。親子でピン留めたくさん付けたらごまかせるかな、なんてわらにすがる思いで、なんかいろいろ購入。で、微妙な感じの頭に落ち着いたところで、子どもを保育園に迎えに行く時間が来ました。いつもは挨拶する警備員さん、受付の女性、用務員さん、、だれもがわたしの頭のことについては絶対にコメントしてはいかん!という暗黙の了解事項を事前打ち合わせもなしに共有したのでしょうか、だれも挨拶もしてくれませんでした。子どもの先生も!子どもだけが、実に純真に無邪気に、あれー、なんかへん?という顔つきでかけよってきましたが、子どもなので、そんな細かい違いは気にせず、二カニカと笑っています。。まあそんな頭で、年末まで過ごし、のんきに河童国で友だちと会ったりしたのですが、この友だちが開口一番「あなたはその髪型をしていると、とっても日本人に見えるわね!」というなんと解釈してよいのかわからんコメントをくれました。アメリカ人って髪型の変化とか洋服の着こなしとかに絶対なにかコメントしないといけないと思ってるのかも知れませんが、もうその頃にはわたしも自分の変な髪型を受け入れていたので、へへ、そう?などといって、ふたりで大繁華街のユニクロへ行き(子どもも一緒でした)、冬服を持ってくるのを忘れたわたしはヒートテックのパッチを買い、これからハノイに行く友だちはフリースジャケットを買いました。そして、日本に帰国したわけですが、母は「あんた、なんやの、その髪型、、、」と、開口一番。「ひどいわね−、もうちょっとなんとかならんかったのん?」。夫でさえ、「お、新しい髪型か」としか言わないでくれたのに。とにかく。翌日、まだ開店前のジャスコに自転車で乗り付け、目に付いたニット帽を一万円札で購入して、すぐにその場で装着。ああー、これで新年が迎えられる−、と思ったわたしでした。なのですが、ここに来て、17年ぶりに出頭してきた御仁が被っておられるニット帽が、わたしのとはもちろん違うのですが、どうも自分はいかにも変装しているように見えるかも知れない、、という恐怖を呼び起こしたのでした。ああー、どうしよう、、ベレー帽を被ってかわいこぶりっこしないといけないなー。。育毛剤でも振りかけようか、、というマンガにもならないような煩悩を抱えて新年が始まりました。嗚呼。
_ もう十日戎になってしまいましたが、あけましておめでとうございます。年々、更新頻度も低くなってきて、何か書いておきたいというモチベーションはあるものの、時間がなかったり、眠たかったり、他にすることがたくさんあったりで、昔は何を置いても優先順位の上にあったことが、どんどんと低下してきたということなのだろうか。それなのに、ときどきここを覗いてくださる方々がいてくださることに感謝しています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
_ 年末、久しく国際線に乗っていなかったために、びっくりするくらい初歩的なミスをしてしまって、飛行機に乗り遅れてしまった。すでにチェックイン、スーツケースも預けていたため、結局、no show feeを支払う羽目になったのだが、皮肉なことに、この飛行機会社を頻繁に利用していた頃から、マイレージカードのわたしの名前は、旅行代理店が変に気を利かせてくれたおかげで、Dr.という敬称が、Ms.の代わりに使われている。カウンターで、一応、ダメ元で罰金をまけてもらえませんか〜という交渉をしようと思っていたら、係のの人が、チョットマッテと言う。どこか偉い人に電話をした模様で、行儀悪く、会話に耳を欹てていると、「この人は、ドクターだし(医者と間違われた可能性が高いっす)、小さい子どもがいるから、罰金はちょっとまけたってー」という内容であった。で、目出度く、本当はン十万円なんだけど、1万5千円でええわー、ということにしてもらえたのだった。多分、年末ということもあっただろうし、なんといっても、深夜0時30分という出発時刻を、勘違いしてしまう人は多いからね〜という同情をしてもらえたのが大きかったのかも。つまり、たとえば、30日の深夜零時30分という時刻を、まったくなんの疑いもなく、30日の夜の12時30と読み違えてしまうと、これは31日の深夜零時30分に空港にきてしまう人がたくさんいる、、ということなのでしょうね。。なんかややこしい書き方をしてしまいましたが、そういうわけで、わたしは丸一日、時間を間違えて空港に現れたのでした。でもなんとか無事に帰国できて、お正月を迎えられたので、河童航空のみなさんに深謝深謝です。
こどもは2歳になりました。某国では、あっちこっちの保育園に預けられたり、何度も飛行機に乗って初めての場所にたくさん出かけて、たいへんだったと思うのですが、病気もせずに、元気にそだってくれました。最近は某国語と英語が先行してしまっていて、日本語がなかなか口から出なくなっているようですが、日本に帰ってきてから、少しずつ、またことばを思い出してきたようです。Milkという単語の発音がとてもきれいで、英語が苦手なお母さんは、それだけで尊敬してしまっています。帰国してから、妙な習慣が付いてしまっています。自宅で、部屋から部屋へ移動するだけだというのに、お店の紙袋や自分の幼稚園バッグに、ありったけの自分の持ち物を詰め込んで持ち運ぶのです。「家出」と呼んでいますが、なんなんでしょうね。。ごはんやおやつの残り物をわたしが食べようとすると、烈火のごとく怒り、泣き叫びます。ブツヨクがすごいんだな〜なんて思ったりしましたが、自分のモノという考え方が芽生え始めているということらしいです。それにしても、ほんとにすごい勢いで怒って泣くので、それを宥めるのにぜいぜいしています。
そんな新年を迎え、まあ深刻な問題は何一つ解決していませんが、楽しく元気に過ごせる一年になればなあと思っています。
_ あと10日ほどで帰国する。今回の滞在ではいろいろいままで気がつかなかったことを山ほど見聞きしたり、たくさんの人と関わって、ああーやっぱり、この地域の人々と自分の間には、少なくとも3枚くらいはカーテンないしは緞帳のような帳が下りているんだよなあ、、とつくづく思ったりした。近所づきあいとかそういう社会関係が濃密なところであるという研究者の人の論文を山ほど読んできたから、さぞかし、濃密なんだろうなあと覚悟していたのだけど、全然違っていたという感じがしている。濃密というのは、濃疎?いや劇淡というのか劇薄というのか、そういうのと紙一重、いや、そのものなんじゃないかとさせ思われてくる。ようは、立ち位置というやつなのだろうなと思った。一見、社会の内部に入り込みつつも、透明人間を装う研究者の時には絶対にわからなかったようなことが今、これでもかこれでもかと前に沸き上がってきている。誰かのこと、よその社会のことをわかるということは、ことほどさように一筋縄ではいかんのだなあということが、ようやくわかったということなのだろう。無知の知ということば正鵠を射てるとはいえないかもしれないけれど、今、わたしが感じているのはそのことばかりである。
_ ところで、そのほかこの国全体にのことなのか局所的なことなのかはわからないけれど、目新しい潮流となるキーワードは、今更かもしれないけれど、「エコ」である。もっとも、これはどの国でもきっとそうだと思うのだが、「エコ」に敏感になる余裕がある中間層の間ではやっているということである。そういう層が、着実に形成されているということである。健康志向と合わせて、大学街であるこの街のあちこちで、オーガニック素材を使っていることを打ち出したレストランやカフェが雨後の竹の子のように毎日どこかでオープンしている。食材のみならず、建物の建材もオーガニックを謳っているところもあったりして、微笑ましかったりもする。発端は、おそらくは、欧米ツーリスト向けのエコとベジタリアンをメインキャッチセールスにおいたカフェの誕生なのだと思う。有機栽培の新鮮野菜を使ったベジタリアンサンドウィッチやパスタやビザが、いつの間にか、ツーリストと関わりを持つようになった若い人たちの間に取り込まれるようになり、もっと低価格で学生街でも食べられるようになっていった。そうこうするうちに、マーケティング的に、エコを全面に売り出せば必ず売れると言うことがわかってきた人たちがいたのだろう。全国チェーンや外資系のスーパーでは、大きなショッピングバッグをエコバッグとしてレジ近くに常備し、エコバッグを使えばポイントシールをくれるところもあった。。。つまり、こういう邪魔くさい習慣は根付かなかったということ。エコバッグは不織布製で、荷物を運ぶのにとても便利で経済的と言うこともあって、もっぱら中央市場に買い出しに行く人が使っていたりします。
ベジタリアンレストランは、今ならば、どこでも既存の一般食堂の値段とほとんどかわらない値段で、料理を提供するようになっている。契約農家で栽培している新鮮な野菜類のほか、グルテン素材の肉や魚を模した料理。真っ赤に着色されたチャーシューみたいなのもあったりするので、これはもしかして、この仕掛け人は華人系の人じゃないかななんて思って、豆腐料理を頬張っていたら、どんぴしゃりでした。なぜわかったかというと、この店のロゴはそのまま、店名やキャッチフレーズを漢字で書いたブルゾンを着た人が入ってきたのだった。そこには紛れもない「素」の文字がある。「素」といえば、この看板を出しているお店は、中国では回教の人たちのためのベジタリアンレストランであることが多い。回教がターゲットなのではなくて、食材に肉類を使っていないと言うことである。チャイナタウンだったらばいざ知らず、町中で漢字でそのような看板を出しても、「おしゃれ」ではないから、全部英語のキャッチフレーズにしたのだろう。
そんな感じで、いろいろ全体に、変わりつつありますなあ、、ということをあちらこちらで確認している。日本だったら、1円玉に相当するような小額硬貨があたかも存在するかのように、498円とか、1016円とか付けられていた値段も、釣り銭を半ば強制的に何かの財団に寄付するように言われたり、あめ玉で支払われたりするのが、わたしはとてもいやだった。けちんぼだからではない。なにか、お金を出して買うという行為をとても馬鹿にしているとでもいうような、変なにおいがしていたからだった。それもこの頃はなくなってきた。たとえば、下三桁が350円だったする。実際には50円硬貨はもう流通していないから、お客さんの心理について熟知している大型スーパーは、下二桁を切り捨てして計算してくれる。60円以上の場合は切り上げになることが多いけれど、あめ玉なんかを出してきたり、もっともらしい顔つきで○×財団への支援にご寄付をなんてこともいいださないから、かえって出口のところにある募金箱に細かいお金を入れて帰ったりする人も多くなる。全体的に、昔のように、はあ〜?とか、なんちゅうーことを!なんて怒ったりあきれたりすることが少なくなったような気がする。別にわたしが某国に完全に慣れたということではなくて、某国の方が変化してきたということである。それを「成熟」と呼ぼうと思えば、そうできるのかもしれない。でも、そんな上から目線で(って、今更ですが)なく、普通になにかの全体的な大きな変化なのではないかなと思ったりしています。おしまい。
_ 子ども関連のことでもう少しだけおもしろかったことを。その後、何度も本屋に出かけては、出版文化の大躍進というかそういうのを見て、おもしろがっていました。大きく分けると、観光と子どもの二本柱。前者は、国内旅行に関する情報文化の発達で、日本のB級食文化に相当するような感じのご当地メニューを中心とした屋台やレストラン、カフェの情報を中心に据えつつ、地方文化と歴史に触れる旅をしていましょうと、安宿情報と地方交通事情を合わせて、紹介する旅本に象徴されます。この旅本が、「歩き方」を余裕で凌駕する内容を伴うものものあって、本当に関心しています。歴史旅歩き本については、小学校の歴史教科書の変化に伴うものなのかもしれません。つまり、この数年、学校教科書の中身が、昔の学研のまんがで紹介する、○△の不思議とか、秘密とか、そういうのに相当するようなものに変遷しつつあるのです。教科書でなくても、人体の不思議とか植物の不思議のような感じの科学学習シリーズは、何種類も発行されていて、中身は確かにウェブで無断で拾ってきたような不鮮明な写真を使っているものもありますが、総じてとても丁寧な作りになっています。おそらくは、中国や台湾あたりの教科書を元本として、適当にアレンジしているのでしょう。こういう教科書的科学本の3割くらいは、英語と現地語のバイリンガルで書かれています。先日、紹介した絵本については、この1年以内に刊行が始まったシリーズでは、完全バイリンガルが半分以上を占めています。英語だけというものもあります。輸入本ではなく、現地で印刷発行されているもので、英語だけというのは、小学校での英語教育が導入されて5,6年になる当地であれば、当然のことなのかなあとも思われます。小学校では英語とパソコン学習が必須科目になっていますので、本屋のデジタル教材コーナーに行くと、ほんとに目を見張るばかりのあれこれが揃えられていて、びっくりします。まんがで紹介する科学や歴史、偉人伝の中身も、アメコミ風のちょっと怖い劇画調のものもあれば、ヘタウママンガ的なもの、日本の少女マンガ的なものなど、さまざまにそろっています。ほんとによく出来ています。
そこで結局問題になってくるのは、こういうマンガを子どもに買ってやることのできる世帯と、そうでない世帯の格差的な問題、さらにはやはりこの国で長らく問題となっている公立学校の教師のクォリティの問題をどう解決するかということなのだと思います。旧制度の師範学校を卒業しただけの教師については、大学卒の資格が得られるように、特別なシステムが導入されたのが約5年前。都市部ではさすがに師範学校卒の教師はほとんどいませんが、教師であるまえに公務員であるという自覚と自尊心のほうが突出している人たちの思考を変化させるというのは、なかなか至難の業であるように思います。いろいろな小学校の視察に行きましたが、正直なところ、ナンバースクール下位校や地方学校の現場は、制御の効かない幼稚園といった感じがしました。そういうこともあったので、今、カルガモさんが通っている保育園の指導方針というのが、余計に「すごい」ものにみえたという背景があります。しかし、この手の保育園が、今、あちらこちらで新しく開園されており、そういうところに子どもを預けて、しっかりとした近代的な教育を受けさせたいと考える親世代が出てきているということは、とても重要なことです。国家の長期的で比較的ゆったりと将来を見据えた改革を、つねに刺激し続ける役割としての民間学校の教育に対する挑戦があって、今、この国の基礎が少しずつ変わろうとしているのかなと思ったりもします。しかしこういう傾向は、あくまでも私の知るところでは限られた都市部で確認されるものです。中規模地方都市ではどうなっているのか、もっとしりたいところですね。。といっても、わたしは別に研究者ではないので(笑)、無責任に適当なことを言っています。で、普通の日本人の子供らはどうしているかというと、圧倒的に日本人学校ないしは欧米系インターナショナルスクール、あるいは国内の金持ち学校(というと普通は華人学校です)に子どもを入れています。日本人学校以外は、基本的に英語教育(欧州語のところもある)なので、あとは親の考え方次第で学校を選ぶだけです。もしわたしがこの国に住むことになったとしたら、地方最下位校に子どもを入れるしかできませんので、下手に日本を離れるわけでには行かないなと思ったりしています。なんかえらく熱く教育について語ってしまいました!おしまい。
_ ラギ [御帰りなさいませ&あけましておめでとうございます。 娘さん、2歳おめでとうございます。2歳って、後では絶対得られない..]
_ ね [ラギさん、あけましておめでとうございます〜。2歳児はかわいいですね−、確かに!しかしとっても憎らしいこともあります(..]