_ 数日前から喉がいがいがとしている。無論、間違いなく、風邪の兆候。このところ、喉をやられる風邪によくかかるようになって、このいがいがに悩まされる段階から、咳も止まらなくなっている。喉はひりひり、頭はぼーっとするはで、すぐに薬を飲むことに。いつもは常備風邪薬を服用するのだが、今回は、前回、某国に行ったときに、ふと気が向いて買ってみたアスピリンを試してみた。アスピリンということばには、どこか甘やかな、しかしすこし冷たい青みがかった色が見えるようなイメージがある。実際に口中に投じてみた変哲もない小さな錠剤は、思いがけず、酸っぱい味がした。アメリカの小説を読むと、かなりの確率で登場する薬は、もちろん麻薬ではないけれど(中毒性はあるようだが)、どこかしら密かに憧れを感じさせるようなものでもあった。雑貨屋の薄暗い棚で見つけたアスピリン。効き目はというと、このタイプの鎮静剤を飲むのが久方ぶりだったからなのか、とてもよく効いたように思う。喉の痛みと発熱は、しばらくのちにやってきた眠気に襲われて二時間ほども微睡んだあとには治まっていた。こんな味だったのだなあ。わざとすぐに水を飲まずに、舌の上に乗せるとすぐに溶け始めて広がる苦みを記憶に刻み込みこんだ。夢と夢の間で再読したカズオ・イシグロの小説は、だからアスピリンの味がするようになった。
_ 2歳二ヶ月を過ぎて、とんとスムーズに食事をしなくなった子ども。あれこれ試行錯誤を重ねるうちに、大好きなぬいぐるみさんに一匙あげてからだと、彼女も一緒に食べることがわかった。なので、都合ふたりの小さい人を並んで椅子に腰掛けさせて、ご飯を食べている。ぬいぐるみさんのほうが時に食欲があることもあるけれど、子どもも少しは楽しく食べてくれるようになった。もっと小さいときの方が積極的に、なんでも食べていたのは、まだいろいろな食材や味を知らなかったからなのだろうか。今はそれなりに好みができてきたから、あーんとする前に、味や食感に想像が付くようになったのだろうか。できるだけ楽しくおいしく食べるようにしているのだけど、わたしももっと工夫しないと。
_ 久しぶりに友だちとランチ。地元では比較的新しいお店だけど、薄くてぱりぱりとしたピザのお店。手作りのトマトソースがほんとうにおいしい。短い時間だったけど、とてもい気分転換になった。このお店はまたぜひいつか行きたい。空間が広くて、風が吹き抜けるので、とても快適。今回は食べなかったのだけど、このお店の定番マルゲリータは、自家製無農薬のバジルとトマトがざくざくとトッピングされているのだとか。子どもがトマト好きなので、もっと大きくなったら一緒に行こう。このお店のトマトソースは甘くて酸っぱくて、でもまるでさらさらとしたトマトジュースのようなさわやかさで、濃厚とはほど遠いのにしっかりとトマトを食べた気分になるのである。きっと粗めにざくっと刻んだトマトがふんだんに使われているからなのだろう。とてもおいしい。
その後、ほんの30分ほどだけコーヒーを飲みに行ったお店は、とある演劇人で、わたしがとても好きな俳優さんが「プロデュース」しているお店。運良く、この俳優さんが、看板女優の方と一緒にお店で、なにかの打ち合わせ中であった。遠目にちらちらと見ながら、久しぶりの短い自由時間を楽しんで、大慌てで帰宅。こういう時間、もっと上手に作りたい。
_ あっというまに3月も半ばになっていたんですね!
ま〜、この間、一体なにをしていたかというと、書き出すとものすごく長くなるので、ちょっと別の機会においとくことにして、今日は最近読んだ本のことを。といっても相変わらず、藤沢周平ばかりで、ついにやっと、『暗殺の年輪』を読んだ。今の直木賞の基準からすると、そして、なんというのか、中編と呼ぶのでさえためらわれるような短い小説(あるいは短編)で、たしかに全く無駄のない構成で、いきなりプロの技が光る。しかし、その後の藤沢周平を先に読んでしまっているからか、もうちょっと深く書き込むこともできたのではないのかな、なんて思ったりもした。書かないでいることの美学というのもあるから、好みの問題かもしれないけれど、なにか物足りない。藤沢周平自身、この時期の自分の小説を「暗い」と評しているくらいだから、起承転結がついてなお、救いのない暗さに胸が痛いような気持ちになるものも多く、誰にでも勧められるような短編集ではないけれど、大切に本棚に並べたい一冊。
_ 近所の高校生がアコースティックギターでクラシックを弾いていて、なんだかとっても楽しそうで、いいなあと思っています。
最近、子どもの寝付きが悪くて、ほんとに参っている。寝起きも悪い日があって、今日などは厄日だった。「きのう、でんしゃ、のったね」などということばを発することができても、「なんか、のみたいの」と訴えることができても、泣いている理由を尋ねられて、「牛乳が飲みたい」とか「ごはんが食べたい」ということができない。抱っこして欲しいとか、今、本当に思っていることがことばにならないもどかしさを感じるから、泣きじゃくるのだろうか。いつまでたっても、子どもの気持ちになって考えることができない。申し訳ない。
_ 髪の毛がようやっと伸びてきて、帽子で隠さなくてもなんとか外を歩けるようになってきたこの頃、少しお金はかかるけれど、普通にサロンに行ってカットしてなんとかへんな髪型を脱出しようと思ったのだった。が、やっぱり、頭頂部から後頭部にかけての恐ろしいカットのおかげか、今、修正を施してもやっぱり少しおかしいという結論に達したので、襟足だけを整えてもらった。やっぱり春先まではもう少し髪が伸びるのを待った方がよい雰囲気である。
_ iTunesの整理なんかも。どういう具合か、同じアルバムが二重に取り込まれていたり、一枚のアルバムの中で、ボーナストラックの部分だけが、海外版のデータで登録されてしまっていたりとかがある。それらを可能な限りに修正。そしてもう聞かないPodcastも削除したり。
_ こどもはこの頃いつも、「なんか…食べたい(飲みたい、見たい、行きたい)」というように、「なんか」を使い始めるようになった。まじめな顔つきで、そういうのがとてもおもしろいのだけど、笑ったりするわけにはいかないので、ぐっと我慢して、たとえば何が食べたいの?などと聞くと、ミルクを指さしたりするので、実は厳密にはことばの意味がわかっていないのかもしれない。でもほんとにこどもの言語取得能力には驚かされている。
_ ラギ [うんうん。情けないけど、うちはいまでもそんな感じだな。もう来月から小学生なんだけど。ものすご~く少ない語彙で、すべて..]
_ ね [コメントありがとう。お返事、遅くなってしまいました。すみません。 そっか〜、「ねむたい」で何でも代用されてしまうと、..]