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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

10-10-2005 / Monday [長年日記]

_ なんと。本屋だけでなくて、市内の主な映画館も今年中に閉館らしいですね。。信じられない。古い話だけど、中学とか高校時代から親しんでいたルネサンスが閉館して、スペース・ベンケットがいつのまにかなくなって、コマ・ゴールド、コマ・シルバー、朝日シネマ、イタリア会館がなくなって以来、いつそうなってもおかしくはないなとは思ってきた。映画を観る場所もなくなっちゃうんだな。日本全国、均質空間に占領されてしまって、ちっちゃな地方都市が地方都市であるが所以も、もうどうでもよくなってしまうのだろうか。今はもういろいろなカフェやローカル・ラジオ局やレストランが入っている古びたビルに、まだ新聞社があったころ、私はOBを訪問に行ったことがあった。マスコミは全部、落ちてしまい、合格したのは大学院だけという笑い話をようやくはなせるようになった頃、新聞社もどこかへ移転してしまっていた。場所と人と記憶と。

_ 丸善。

帰国した日から、丸善に連日、足を運び、うだうだと徘徊してきた。夕方、寄ってみると、1階の檸檬特設コーナーに、人々が列をなしている。檸檬をすでに3冊(!)も買っている私は、もうそんなことはどうでもよくて、とりあえず、文庫階へ。文具階にも行きたかったのだけど、友だちと一緒だったので、センチメンタリズムに付き合わせるのは悪いと思い、友だちに「最後に丸善で買う一冊」として、小川洋子の一冊を強力に薦めて買わせた。自分は、丸善で買ったあれこれの本の事とか、文庫棚の前で待ち合わせて以来、疎遠になった友だちのこととかいろいろ短い間にあわただしく思い出していた。いつにない混雑。冷静に買うべき本を選んだつもりだったが、しっちゃかめっちゃか。

未亡人の一年(英語版で何度も読み返して、まだ読むのかいな)/忘れられた日本人(今、手元に2冊ある:旅本だからいいんだけど)/岩波の野上弥生子訳ギリシア・ローマ神話(北欧神話も入っているので買った)/エマ(オースティンのほう)/愛の続き(マキューアン)。

記念の原稿罫線入りメモ帳。記念撮影。一人だったら、カメラを取り出す勇気がなかったと思う。私が取り出したら、みんなも取り出したのがおもしろかった。用事を済ませたのが8時過ぎ。あと1時間、名残を惜しもうと思って、引き返してきたら、今日は7時で閉店だった。

さようなら、「檸檬」の丸善。

夕方、梶井基次郎が檸檬爆弾を買った果物屋の前を通ったのだけど、こちらはしんとしていた。

ソニープラザも今の場所では、今日で最後。朝日シネマはとうの昔に閉館。サンシャイン・カフェはすんごく今時の場所に移転(not so badな場所なのだけどね)。思いっきり、センチメンタルに浸りながら、帰ってきた。ヴァージン・メガ・ストアがなくなって以来、まともにCD屋をのぞかなくなったものなあー。本屋は生協とブックファーストと丸善の三本柱で来たので、あのときほど打撃を受けることはないだろうか。うーん、それにしても、なんでこんなことになるのだろう。うーん。

_ 昔からそうだったのだけど、日本から外国へ行くときは、まったくなんの問題もなくすっと現地の生活に入り込める。行き先がどこであれ、問題はなかった。ところが、日本へ帰ってくると、なかなかこちらの生活になじめない。ひとつには、旅の間の緊張と疲れが一気に表面化するからだろう。だから普通は、丸一日ゆっくりやすんでから、まずは身体的な疲れを取り除いて、それから徐々に生活環境になじんでいこうとする。それにかかる時間が異常に長いのだ。日本って、こんな感じだったっけ、前もこんな感じだったっけ、と思いながら過ごすからなのか、外国でみる新しいものやめずらしいものになじむ感覚とは根本的に違って、思い出したり、修正したりに時間がかかってしまう。帰国してすぐの日本の印象は、張り子の国。すくなくとも都会のありとあらゆるものが作り物に見える。郊外へ行く電車などに乗って山や川や田んぼをみるとはじめて、真実のものをみた気持ちになる。そこれで落ち着いて街に戻ると、もうなんの違和感も消えている。自分の知っている日常生活にすっと戻られる。それまでは、透明なフィルター一枚を通して世界をみている感じがする。不思議なことに、今もまだそんな感じがしている。現実に戻ることへの拒否反応みたいだ。


09-10-2005 / Sunday [長年日記]

_ 『エマ』。森薫。自由の国アメリカで、おそらくはハッピーエンドを迎えるのだろうと思う。新天地とか、自由の国とか、今の私にとっての彼岸はどこにあるのだろうか。もう長らく、探そうともしていないけど、もしどこかにあるのならば、そこがどこなのかが知りたい。まだ見つけられるのだろうか。

_ iPod nano を見せてもらった。単純に、iPodに比べて軽いというところがよろしいのではないかと思ったのだけど、いろいろな人もいうように、容量が小さいのと、こうなったら動画が見られるというところまで来て欲しい、というのがある。買わないと思うけど、なにかで当たったりしたら、うれしいかもしれない。

_ お天気がちょうどよい。

朝から洗濯機を二回まわして、午後からは外出。丸善にレモンをおいていく人が絶えないそうだが、私もおいてみたい衝動に駆られている。

_ 今年のイグ・ノーベル賞の文学賞は、「メールを使ったナイジェリア詐欺」とか。笑った。夏前に、実は、まったく覚えのない人から手紙が来た。某国の入国管理事務所の職員。どうふうされているのは、本物の私の名刺とその人のIDカードのコピーと、銀行の通帳の残高明細のコピー。手書きのわかりにくい文字を解読したところ、「困っているので、お金を貸して欲しい」、と読めた。もちろん、無反応を決め込んだのだけど、この手の手紙はしょっちゅう来る。メールでも来る。ナイジェリアなどという確実に知らない人ばかりの国ではなくて、会ったこともあるし、話したこともある人から来るメールは、時には切実で、真剣。そっか、文学賞の対象となりえたか。これからは、捨てずにおいておこうかと思ったり。

_ 『アムステルダム』、読了。正直なところ、マキューアンだったら、他の作品のほうがおもしろい。

_ 着なくなった麻のシャツを裁断して、小さい袋ものをいくつか縫う。

_ やはり丸善がなくなるのはさびしい。探している本はほぼなんでもあって、なんでもあった文房具階。店員さんが本当に、とても感じがよかった。本屋の店員さん、という感じ。本を買っていく人を、ひっそりと見守ってくれる雰囲気。おいてある本に対して、礼儀正しく接しないと、などと思ってしまうような本屋だった。自分の本は、とうとう丸善におけなかったな、というところがさびしい理由なのだろうなと思う。全国に丸善はあるのだけども。

今まで、いろいろなお店がなくなってきたけれど、丸善閉店とソニープラザの移転は、なんだかいろいろな意味を与えておきたいような気がする。


08-10-2005 / Saturday [長年日記]

_ 別段、落ち込んでいるわけでもなんでもなし。ただ、今ごろになって、ようやくテロに遭わなくてよかったと思えるようになったということ。バリ島のときも、ニューヨークのときも、一日の差で免れた。生きていてよかったと思うのみ。生きていてよかった。

_ 初めての海外旅行に出かけるとき、搭乗してベルトまで締めた飛行機が、機体不良とかで飛ばなかった。空港近くのホテルに泊めてもらうことになり、一応、自宅に電話した。両親は、すぐに帰ってきなさいと言う。だんだんと不安になってきたのだが、同行のクラスメートはだいじょうぶ、だいじょうぶ、と意に介さず、さっさと寝てしまった。翌日、飛行機は無事に飛び立った。その日、深夜に目的地に到着したとき、機内ではみなが拍手をした。

そのとき、タラップを降りて、初めて経験した外国のにおいが忘れられなくて、未だに旅をしているのかなと思う。甘いにおいと、独特の香辛料のにおい、そして夜のにおい。その旅のことはほぼ忘れかけているのだけど、タラップを降りたときのことだけは、今でも不思議なくらいに鮮明に覚えている。自分の来ていた服、足が少しむくんでひもがきつくなったスニーカー。今ほどに明るい照明ではなかったのか、空港の周囲の様子はまったくわからない。白タクのようなものの値段交渉をしたのはクラスメートだったし、どこに泊まるかを決めたのも彼女だった。外の様子がまったくわからないままに、車は走り出した。暗闇の中で手探りをして、倒れ込むようにベッドに横になった。翌朝、目が覚めたのは表の道を通り過ぎた馬車の鈴の音のせいだ。明るい日差しの差し込む部屋を見渡したとき、ああ、外国に来たのだなと思った。どうやって街中に出たのかはもう覚えていないけれど、朝食を食べそびれたわれわれは、適当なレストランに入った。旅慣れた友だちは、さっそくローカル・ディッシュを選んだ。私はどこかにまだ弾けきれないところがあって、悩んだ末に、スパニッシュ・オムレツを頼んだ。もちろん、友だちの選んだもののほうがおいしそうにみえた。

本当は旅が好きなわけでもなく、楽しんでいるのでもないのかもしれないと思うことがある。同様に、友だちといるのは煩わしく、去る人がいればわざわざ理由を問うたりもしない、人間関係に淡泊な人間なのだなと思うこともある。そのあたりのことは詳しく書かないけれど、結局、無難に過ごすほうを選んでいるように思ってきたし、そう見えるだろうと信じてきた。それでよいと思うこともあるし、だからだめなんだなと思うこともある。人が去っていく理由には、いろいろあるのだろうから、なぜかを問うてみたところで、お互いしっくりといくはずもない。黙っているのが一番だなと思ったりする。

私について何がわかったのでしょうか。私は誤解を恐れるし、一歩踏み込むことができないので、もうこのまま連絡を取り合うこともないのだろう。もらったメールの返事はまだ書いていないけど、もう書けそうにもない気もしている。

_ 今度の出張、最初と最後はお仕着せの業務があるのだけど、間の10日ほどは、自由行動。この機会に見ておくべきもの、歩いておくべきところをリストアップして、移動プランを立てている。ただ、初めてのところなので、慣れるまでの時間とか、ゆっくりみたいところのプランとか、そういうところを考えながら作ると、これは本当に行ってみないとなんともわからないなあ、などと思って先に進めなくなってしまった。まあ実際のところ、今週中には旅行伺いを出さないと行けないので、適当に決めてしまうのだろうけれども、有意義に過ごしたいものだ。

_ 『アムステルダム』(イアン・マキューアン)。まだ半分なので、どのあたりがブッカー賞なんだろうとおもいつつページを繰っているところ。翻訳をいつもしている小山太一さんというかた、ものすごく翻訳のスピードが速いのだろうなあ。ジーブズもこの人が訳している。うまいなあ、簡潔だなあと思いつつ、読む。

こないだ買ったセミオーダー・シャツ屋の人と話していたときのこと。布の持ち込みもあり、とのこと。「たとえばですね、アニエスのシャツがすきだというのであれば、そのパターンをうちで起こして、仕立てることもできるのです」という。パターンを起こしてくれたりもするわけなので、そうなると、シャツを仕立てる技術のみを提供してくれるということになる。私はもともと服を仕立てるのが趣味なので、こういう話を聞くと、一体、どれくらい手間賃がかかるのか気になるので、尋ねてみたところ、5万とか、6万…とのことだった。。なんだか、やっぱり高いのだな。

花はまだ見えないのだけど、金木犀の香りが雨上がりの空気の中に、ほのかに解け合って、うっとりとする。


07-10-2005 / Friday [長年日記]

_ なんかいろいろ、語り合う。男どもの考えていることはよくわからないが、女の子に振られたことをあちこちで言いふらしたら、その女の子が居たたまれなくなることに、思い至らないのだろうか。思い至らないから、振られたのだと、私なんかは思ってしまう。男どもというのが大学のセンセイだったりすると、いろいろな意味で抵触すると思うのだけど。というか、そういうことはいわないのが仁義ではなかろうかと。女の子のほうとはなかよしだったので、他ならぬ、私が居たたまれなくなったりしている。かたはらいたし。あと、頭が固い人って、センセイにおおいような気がする。私はセンセイじゃないので、頭は固くない。思うのは、頭でっかちにならないでおこうということだけ。深い意味はないのだけど、某所で知り合った某氏と話していると、これもまたあまりの石頭でっかち加減に、いたたまれなくなってしまった。

_ デスクトップはご臨終を迎えた。次のデスクトップ、落ち着いてから買うことにしようか。

_ 最初は4泊5日だったのだけど、それが昨日の段階で、7泊8日になり、今朝は15日間になっていた。出張に行かせてもらえるのはとてもうれしいのだけど、それでよいのかどうか、悩ましい。本来、自分のやるべきことをやっていないような気がするから。

_ とかいいつつ、慌てて、ガイドブックを買い足したり。

_ 次の査証申請のレターを書いたり。来年の科研に今度は分担者で入れてもらえるとのこと。大蔵省をしなくてもよいのならうれしい。

_ いろいろ。本買ったり、CD買ったり。シャツ屋でシャツを買ったり。人にあったり。友だちとずっとおしゃべりしたり。本屋で思いがけない某人とニアミスしかけてまるでこそ泥のように逃げてしまったり。手紙書いたり。書類書いたり、電話かけたり。一日三回、温泉に入ったり。しゃぶしゃぶでおなかいっぱいになったり。台に上ったり降りたり。丸善の前を通ると、胸がいたんだり。髪の毛、まだ切ってなかったり。いろいろあるのだけど、なんだか地に足がついていないと思ったり。

_ 言語学図書館にて、やっとの思いで手に入れた資料一式、EMSで送ったのに、まだ着かない。。これだけ待ってつかないということは、もうだめだろうな。無理して別の某国まで運んでから郵送したほうは、5日で着いた。番号追跡したところ、まだ局留め。データが入力されていないということなのだろうけど、もうあきらめた。すっぱい葡萄的に、あの資料はたいした価値はないんだー、とか思ってみたりする。


01-10-2005 / Saturday [長年日記]

_ 今回、途中で、訳あって、西洋人が多く泊まるホテルに泊まることがあった。西洋人の女性の中にはまさに貴婦人然とした人もいて、この暑い中、れっきとした純白の白麻のスーツと帽子で、ポール・ボウルズの小説の登場人物も真っ青な正統派オリエンタル・トラベラー・ルックに身を包んでいたりする。一方、新大陸系の婦人の中には、いくらウェスタン・スタイルのホテルだとはいえ、そんな湯上がりもしくは入浴中にかかってきた電話を取るためにちょっとタオルを巻きました、という出で立ちでよいのだろうかと思わせる装いで、朝食ラウンジに現れる人もいたりする。そして日本人であるところの私は貴重品バックをもちろん斜めがけし、一瞬たりとも身から離さず、前屈みになってかちかちとカトラリーを鳴らしながら食べている人が他にいないかと忙しなくあちこちに目を走らせながら、テーブルに着いていたいと思うのだが、ま、なくなったらそのときはやむなし、と思いながら、部屋の鍵と文庫本だけ持ってテーブルに着いたら、東洋人と西洋人へのサービスの違いって、すごいね。これがもっと由緒正しい、名門ラッフルズ・ホテルとかだったら、違うのだろう。ヨーロッパ等々へ行ったとき、私自身は東洋人に対する差別をほとんど感じることはなかった。本当の東洋人差別は、東洋の中にあるのだと思うわけである。今回もラッフルズへは行かなかった。これは新婚旅行でいきたい(=死ぬまで行かない)。

_ デスクトップは無反応。。データの取り出し、どうしたらええのだ。

_ 新加波が好きな理由は、街中に緑が多いからかなと思う。Fine好きな国として知られているけれども、小さなゴミが落ちていることもあるし、信号無視する人も多い。赤信号でむりやり直進したり、右折する車もあったりして、やっぱり人間なんだなと思ったりもする。タクシーの運転手は総じてジェントルマンで、空港へ行くときなどは、今、どこそこの道が混んでいるから、少しだけ遠回りになるけれど別の道を走ったほうがよいとおもう、どうしますか?なんてことをかならず尋ねてくれる。ホーカーでは、絶対に中国語で話しかけられるけれど、わからないので、無理矢理、英語で通す。中国系だからといって、みなが英語を話すわけではない。

あと、インド系の男女は本当にかっこいい。社会的階級とかによって、もちろん、着衣や持ち物に経済的あるいはその他の影響による差違が見られるけれども、背が高くてぱりっとした男の人、スタイル抜群でまさに彫刻のような顔立ちの美女を見るのも楽しい。インド・パキスタン系の美男美女は壮絶にきれいな人がたまにいて、地下鉄の中は人間観察には一番楽しい場所かもしれない。iPodを持っている人もたくさんいたけれど、mp4というマッチ箱並みに小さいもので音楽を聴いている人もたくさんいた。日本はもういろいろな意味で、アジアでは遅れを取っているのではなかろうか。

一番の目抜き通りのオーチャードは、交通量も多ければ、歩いている人の数も尋常ではない。それでも緑が多いから、疲れたらベンチに腰掛けて、ジュースを飲んだりできる。こういうところも好きなのだけど、ちょっと裏手の筋に入ったりしたところにある茶賓室が好きだ。中ぶりのグラスにたっぷりのミルクティー。グラスの底にはコンデンスミルクが沈んでいる。これが大好きで、日に何度も飲む。肉まんやカヤという甘いペーストを塗った薄くてかりっとしたトーストを食べながら午後遅い時間になると、みんながおしゃべりを楽しむ。その時間がとても好きだ。オーチャードやブギスのおしゃれカフェの半分くらいの値段でのんびり、休める。ぼーっとして一日を過ごして、さて帰国。荷物の半分くらいは図書や文献で、それはもう早々と郵便局から送ってしまった。それでも今回の荷物の重さは信じられないくらいすさまじく、チャージを取られなかったのは、スーツケースの風袋があらかじめ差し引きされているからなのだろうか。重かった。

ボーディングの6時間前にチェックインしたのに、もう通路側の席はなくて、個人客がまず先に座らされる32Eを割り振られる。アップグレードしてくれとごねてみるも、今日はとにかくそんな人ばかりでビジネスクラスもフルブッキングとのこと。来るのが遅いと言われる。32Eという席は、入り口から入って二列目の真ん中。一番前の席は、ふつう、赤ちゃん連れとか最後にチェックインする人に割り振られるので、中途半端に最初のほうにチェックインすると、ここに座らされるのである。。今回は、連休があったりとかで、見事、私と隣の女性以外は、全員、なんらかの団体旅行者であった。日本時間の深夜2時に離陸、直後に軽食、その後機内販売。朝6時前には起こされ、朝食。寝かせてくれない。荷物が多い上、服装が小汚いので税関では私だけ、毎回、トランクを開けさせられる。慣れたけど。

旅行者の服装は千差万別であるが、総じてみな、きれいだ。旅行と日常と非日常の間には、今、どれくらい溝があるのだろうか。ハレとケに、敏感でいたいと思うのは、ただのノスタルジー主義者なのかもしれない。

ウェイティングホールで聞こえてくる日本語の意味不明さ、文法的崩壊の度合いもまたすさまじい。日本語なのか外国語なのかわからない言語を話しているようで、辛うじて、私の母語のようだとわかる瞬間は、「やばいよね」「まじでー」などということばが聞こえてくるときだった。言語はかならず変化していくものであるし、不変であると思いこむのは誤りであるとはわかっている。しかし、それではなぜ私自身が使っている日本語という言語は、いつまでたっても外部の影響を受けずに、ひたすらかわっていなさそうに見えるのだろう。人間が変化を受け入れるのを拒んでいるからなのだろうか。大学言語を話す人間だからなのだろうか。センテンスで会話をする人が減ってきているということなのだろうか。カズオ・イシグロを読みながら、ベンチで横になっていた。


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