_ 昨日は一日中、食事も摂らずに寝倒した。途中で、少し目を覚ましたので、留守中に届いていた「テレプシコーラ」と「のだめ」の最新刊を読んで、さらに寝る。さすがに日本は寒い。
今回、最初の5日間は、国際シンポジウムに出席していた。初日のセッションのチェアをすることになっていた。これはとりあえず問題なく、終了。発表者の半分が日本人だったので、割と気楽に構えられたというのもある。質問が出ないときにはチェア特権の質問をいくつかしたり、このセッションの人たちとは割と同世代が多かったので、後の日程でも一緒に食事をしたりして、仲良くなった。とくに東京からの女性とは、かなり複雑な話を遅くまでしたり。大先生の誘いを振り切って、一緒に遠くのカフェまで食事に行ったりした。もう会うことはないかもしれないけれど、とても印象に残る人だった。
旅行中、おおむね、お天気はよく、とても晴れていたのだけど、間の数日間は、道路が冠水するほどに雨がよく降った。ざーざーという降り方ではなく、しとしと降る冷たい雨だった。カシミアのマフラーをしっかりと頭と首に巻いていたにもかかわらず、冷えてしまった。ショートトリップに行った日は、朝6時出発、午後3時解散だったのだが、雨で2時には街に戻った。とりあえず温かいコーヒーを飲んでから、ホテルへ戻る。温かいお湯が出ないホテルだったので、乾いた服に着替えて、ウールのタイツを履いて、薄いカシミアのセーターを着てベッドに入る。寒くてたまらない。フロントに電話をして、お茶を作るためのお湯を持ってきてもらう。おみやげに買ったお茶の葉を開けて、コップに直接、葉を落としてお茶を入れた。ようやく人心地ついた。風邪を引いてしまってはだめだと思い、チョコレートをひとかけらだけ食べて、ビタミン剤とセデスを飲んで、とにかく眠った。暗くなってから、目が覚めた。日没の残光が、かすかに見えた。一瞬、寂しくなる。一人旅は気ままで、今更誰かと旅行することなど考えられないくらい、わたしにはあっているように思う。それでも、ときどきふと、一緒に旅をする人がいても楽しいだろうなと思うことがある。病気になる寸前などによくそう思う。そのまま寝直してもよいかなと思ったのだけど、温かいものを食べてからにしようと思い、外に出た。すっかりと冷気が下りていて、寒い。誰かと一緒だったら、それほど寒いとも思わなかっただろうか。
帰りの機内映画はMust Love Dogs。どこかで見た顔だなと思っていたら、ダイアン・レインだった。ものすごーく、老けたと思うけど、昔よりいい感じ。相手役はジョン・キューザック。この人が出ると、どんな映画もB級的におもしろくなる。好きな映画だった。でもこれは、売れないだろうね(笑)。行きしなの映画は、「チャーリーとチョコレート工場」。おもしろかった。
今回、印象的だったこと。いろいろありすぎて困るのだけど、夜、出歩いていて安全な外国があるのだなー、ということ。バンコクですら、大きな道沿いに歩いていれば、なんということはなさそうだった(あくまでもわたしの感覚では)。泊まっていたあたりは、本当は怖いところだと思うのだけど、とりあえずセキュリティは確保できるように、街灯もついていたし、なんといってもある程度の人通りがある。自分が普段、いかに危険な外国に暮らしているのかを痛感した次第。
最初に訪れた街には、またぜひ行きたいと思った。西洋と東洋の緩衝帯なのだなと思ったので。とても不思議な街だった。今回、回ったすべての中で、一番、わたしが気に入った街だった。小さな湖の周りの旧市街と新市街。その小さな空間を会場への往復の間、隈無く歩き回った。さて、わたしが旅行していた国はどこでしょうか。文字通り、近くて遠い国だった。
_ よれよれと、帰国。はじめてのバンコクは楽しかった。思っていたよりも、ずっと「都会」だった。BTSというモノレールが二線あった。端から端まで乗ってみた。泊まっていたプラトゥーナム市場の向かいの安宿からは、駅は遠かったのだけど、一日乗車券を買い、ビルの4階くらいの高さからのバンコク市街地を見物してみる。ごちゃごちゃと建物は建っているのだが、やはりシンガポールのように超近代的高層ビルが林立するという感じはない。もう少し、庶民的。空はかすんでいるが、広い。
友だちからの情報では、観光地として知られる種々の仏教寺院の中では、ワット・ポーだけ行けばよいでしょう、とのことであった。その理由は、マッサージ学校が併設されているのだが、おそらく、バンコクの中では一番上手なマッサージ処であるとのこと、また実際に僧侶が暮らしているし、寺子屋もあるタイの仏教の特徴でもある生活に結びついた宗教実践が見られるからというものだった。行ってみて、実際、そうだなと感じた。やはり現地に詳しい人の話は信頼できるなあ。ところで今回は「地球の歩き方」に一度ならず、数度、助けられた。ワット・ポーの入り口は、ちょっと見つけにくい感じになっている。「入り口」と大文字で書かれている訳ではないので、知らないとずんずんとお寺の周りの塀づたいに歩いてしまったりする。現在は閉鎖されている門もあったりするので、わたしのように、ガイドブックを持っているくせに、ろくに地図を確かめもせず歩き出す人物は、あれ〜?とか言いながら、歩く羽目になる。そしてそういう人物にねらいを定めて「ハロー、ミス。今日は仏教の行事で、お寺はお休みだよ、夕方、5時になったら開くよ」と寄ってくる人がいる、そしてその人は親切にもそれまでの時間つぶしができるよう、結託した悪徳宝石店なんどに連れて行くから注意!、と「歩き方」に書かれていたのである。いつもは、ガイドブックではホテル情報しかみないのだが、たまたまそこだけはどういう加減か読んでいた。果たして、わたしが入り口を見つけられず、歩いていると、一人の紳士が寄ってきて、ひじょうに上手な英語でそういってきたのであった。一応、上品な身形をしていて、英語が上手だと、なんとなく信頼してしまいそうになる盲点をついているのだろう。わたしは一瞬、あれ、読経の声も聞こえるし、お線香の香りも漂ってくるし、なによりもこれだけ観光バスが止まっているのにおかいしな…と一瞬思いつつ、なんとなくだまされそうになったところで、これが例の悪い人か…と思い当たる。穏やかなタイ人顔負けのスマイルで、「おじさん、有益な情報をどうもありがとう。もう少し、お寺の周りを歩いてから帰ることにします」と言った。それから、10歩ほど歩いたところに、入り口はあった。もちろん、お寺に休みなどない(厳密には、年に10日間くらいは、種々の宗教行事で一般公開されないことがあるらしい)。
朝、早い時間だったので、まだ観光客もそれほど多いという感じではなかったが、寝仏さまを見ている間に、ぞくぞくと欧米人、東アジア人の団体が押し寄せてきた。わたしはガイドを付けている人の後ろからついていって説明に耳を欹てたり。
チャオプラヤ川のボートの一日券も買ってしまったので、端から端まで乗る。ちなみに、「歩き方」によれば、ボートもBTSも、一日券は割高なので、考えて買うようにと書いてある。帰りの飛行機の中で、ガイドブックを読み直して知った。だめだな。でも十分に元は取れたように思う。川は生きているのだなあ。生活の川、という感じがした。
あと、旅前にリサーチを重ねて、「某国人は悪い人が多い云々」という情報ばかりが集まり、どうしたものやらと考え込んだことがあった。ふたを開けてみれば、確かに某国滞在中、総計1万円分くらいはぼられていると確信している。しかし、生活しているわけではないので相場というものがわからないのだし、値切ったり交渉したりするのは好きだけど、勝つことばかりに執着するのは余り楽しいものでもない。もし次にまた行くことがあれば、今度はもう少し、わかった上でだまされたいと思う。あとバンコクでも相当、ぼられた。あとで考えると、なんでそのときに疑問に思わなかったのか、と謎なのだけど、だまされるときはそんなものなのだろうか。
某国の首都でも第二の都市でも、一番注意を払わなければならいというタクシーやオートバイの人には、何度も助けられた。とくにインターネットで予約していた宿がオーバーブッキングで泊まられなかったとき、一緒にあちら此方を回ってくれたタクシーの人は、まったくメーター以上のものを要求しなかった上、最後に決めたゲストハウスが、本当によい場所かどうかをチェックしてくれたりもした。こういうことがあるから、旅は楽しいのだろう。
バンコクで泊まっていたホテルは、場末感漂う、ある意味、すさまじいホテルだった。小ぎれいな外観だし、マッサージ、スパ、フェイシャルとかそろっていて、西洋人もたくさんいたけれど、かれらがおしなべてタイ人美女をエスコートしていたところに、一抹の雑念を覚えたまでのこと。そういうわけで、女一人で泊まっているわたしへのサービスというものは、皆無に等しかった。とくにレセプション、極めつけに愛想が悪かった。どれくらいかというと、今日、チェックアウトするとき、冷蔵庫の飲み物飲まなかった?、いいえ、飲んでいません、そう、ならOKよ、さようなら、と言われてそれでそのお姉さんはさっさと奥に引っ込んだくらいにあっさりとしていたくらい。ベルボーイの人だけが、とても感じがよかった。朝ご飯の係の人は、わたしがまだ食べているのに、というか最後の一口のフルーツとかパンがのっかっているのに、「さげてもよろしいですか、Sir?」というのだった。Sirって、言われても。「歩き方」にも掲載されているし、場所の便利さとか諸々を考えると、確かに泊まり得のよいホテルではある。なんといっても、部屋が広くて、かびくさくないところがよかった。
食べ物は、タイ料理とむちゃくちゃに相性が悪かった。ことごとく、おいしいと心から思えず、もう少しでマクドナルドに入ってしまいそうになった。なんとか踏ん張って、フードコートでタイ・カレーを食べてみたら、辛いの辛くないのって、もうほんとに目から火が出るかと思った。あまり好きになれなかったのが残念。果物はおいしかった。
最後に。結局、東南アジア大陸部の低地は、華人の領土なのだなあ。バンコクから華人をマイナスすると、あとになにが残るのだろうか。ということをよく考えた。
_ 今日は歴史博物館へ。正直、これほどショックを受けるとは思わなかった。途中から、涙が出てきた。今日は日本人の観光客も多かったし、欧米人の人も多かった。それ以上に、現地の高校生みたいな人が、社会見学に来ていて、みなとても静かに資料に見入っていたのが、印象的だった。途中で見たドキュメント映画も涙を流しながら観た。人間はとことん、悲惨に非道になることのできるのだな。実は一昨日は、ゲリラ戦のおこなわれていた場所をめぐるツアーだった。そのときにも受けたショックとは比にならないくらい、今日は昼食も食べられなかった。交通量が日本と比較して尋常ならざる多さの上、道路規制も交通法規もほぼない国なので、道を横切るのに文字通り命がけである。人がわたっていても車もバイクも平気で突っ込んでくるが、人もまた平気で道を横切ろうとする。ぎりぎりのところで、お互い、きちんと交し合って、何事もなかったように悠然と道を向かう。生と死は紙一重かもしれないけれど、平和ぼけの日本(ずいぶん、厳しくなってきたけれど)の国民であり続けてきたこともまた、恐ろしい偶然の重なりなのかもしれない。
食べ物はおいしいけど、おそらく、今までの海外生活経験において初めて、日本のご飯が食べたいと思った。なんでもいいから、白いご飯と漬物が食べたい。
_ とりあえず、国内移動、最後の街へ。朝、5時おきで飛行場に行ったのに、機体整備で離陸は12時。。インターネットで予約していた宿はオーバーブッキングで部屋がなかった。地球の歩き方片手にタクシーで数軒、回ってもらった。やっと見つけた宿は、一本筋を入った静かなところだが、車が入られない。あさって空港へ行くとき、どうやって車を見つければよいだろうか。。あと3階まで自分で荷物を運ばないといけなかった。エレベータなし。しかし、15ドルなので、まあええか、決めた。部屋はものすごくきれい。おおきなベッドがふたつある。あとNHKも入るんだよ!
道端でコーヒーを飲んでいたら、宝くじ売りがなんとか買わせようとする。いや、外国人だから・・といったら、大笑いされて、いやー、そうとは思わなかった、と。コーヒー、おいしい。
外国人専用のツアーバスで、ショートトリップに行った。歴史の語り方を知りたかったのだけど、私ともう一人の参加者の日本人は、徹底して外国人として、取り扱われなかった。あくまでも、オリエンタル。なにもかも順番は、最後。おそらく、日本にくるオリエント(っていうか、ほんとはアジア人、というべきか。さらに細かくは、東南アジア人)の人々も、おなじような扱われかたをしているのかもしれない。顔つき、言葉、しぐさで瞬時に二者を区別し、態度を決定する。自分の中にも潜んでいるかもしれないものを見せられている、と考えるのはひがみすぎか。
もう一人の日本人の人、凸凹大の後輩だった・・。世の中、狭すぎます。
今の国では最後の二日。あさって、バンコクへ向けて移動。なかなかきつい日程で、今、かなりへばっていますが、とりあえず、何の病気にもかからず。病気ではないけど、日本語をもっと話したいと、なんだか生きていて、初めて思ったかもしれない。
_ 昨日の日記、結構、間違いだらけだけど、旅の恥は書き捨てということで。
仕事は一昨日で終わったのだけど、これから1週間、とりあえず自由時間。次の仕事まで、あちらこちら見聞を広める予定である。食べ物がおいしい。街を歩いているだけで楽しい。すりとかそういうのの危険をあまり感じなくてもよい。というのは、自分の普段の旅先としては、かなり珍しい環境だからか、ものすごく楽しんでいる。外国人が、いつもの国の比ではないくらい多い。日本人の旅先としてはそれほどメジャーではないらしいが、適度に日本人にも会う。ただ、わたしはやはりあまり日本人に見えないらしい。昨日、参加したツアーでは、東洋系が4人いた。二人は新婚旅行のカップルで、完全に二人の世界。英語もほとんど話せなかったようだ。なおかつ日本語の語彙も少ないらしく、海外経験も少ないような、ちょっと不思議な感じの人たちだった。もう一人の女の子は実は韓国の日系企業に勤めている人だった。少し日本語を話した。彼女がいう私が日本人らしくない理由のひとつが、ものすごく堂々と英語を話しているから、というものであった。ただし、これはうまいということではない。自然に、ということだという。こちらのことばは、「お茶をください」というのだけ、覚えた。それもすぐに普通に言えるようになったようで、まったく理解できないのに、ずっと現地語で話しかけられたまま、最後にはお茶をおごってもらったりしたことが、数度。へたくそでも堂々とはっきりと発音しているところが、現地風に聞こえるのだろうか。
ヨーロッパ人にも二種類いて、現地風にすごしている人と、あくまでも西洋人向けのカフェなどで、ビール片手にはがきを書いている人がいる。日本人は買い物。私は植民地時代の建築物ばかり写真に撮っている。楽しくてしかたがない。そしてその一方で、東洋の中にこそある東洋人差別というものを強烈に意識している。どんなに英語を達者にしゃべろうが、なにをしようが、西洋人の次席を与えられる存在でしかないということを、日々、感じている。