_ チケット受け取り。年末までサービス券が付いているとかで、ラウンジ利用券をもらった。といっても乗り換えには2時間しかないので、事実上、使えない。残念。2回目のの乗り換え空港に、チケットを配達してもらう手続きも済ませた。乗り継ぎがスムーズに行くことを祈るのみ。いつもアクロバット的にこなしているので、ほんとはもうちょっと余裕を見て、どこかで一泊したほうがいいのだろうなとは思う。でもなぜか、立ち止まってはいけないような気がして。
荷造りがなんだか億劫になる。オンラインで申し込んだ旅行保険が届く。
_ 秋はいいな。さくさくと枯れ葉の上を歩いた。秋の夕暮れ前の時間の散歩がよい。とくにおしゃべりする人もいないし、お茶を飲んだりする人もいないので、一人でお茶を入れて、のんびりとミントチョコを食べた。
_ フォトストレージとして、iPod(なのじゃないほう)を買おうかなと思って、お昼ご飯食べがてら、生協へ。ひさびさに日仏でごはんにしようかと思ったら、ちょうど入り口近くの電柱にみやこ音楽祭のチラシが貼ってある。なぬ!あしたは矢野顕子とかたくさん、あさってはくるりとかたくさん、の人が西部講堂でやるらしいね。あーん、行きたい。当日券とかあるのだろうか。
_ ゆるりと時間は流れていく。
_ 『模倣犯』、おもしろいなと思う。でもたぶん、わたしが好きなのは、『龍は眠る』とか『火車』なんだな。
_ 検索にはもっぱらグーグルを使うわけなのだけど、検索力がアップしたり、その他もろもろの能力がアップしたところで、結局は、どんなキーワードを思いつくことができるかが、結果に反映するのではなかろうか。もっとも、わたしが思うくらいなので、とっくの昔から、この問題は解決に向けて取り上げられてきたことだろう。今日は朝から、わたしみたいな研究者もどきではなく、プロの技術屋さんと一緒に仕事をしていた。あることがらについて、グーグルで検索してみてくださいますかと頼んだら、とてもナイーブな検索語を入れて調べようとするので、単語を追加してもらった。そのときにふと思ったこと。結果を出すためには、ある程度の筋道が必要なのだろうな。シソーラスを使いこなせないと、最短距離には向かえない場合もあるということなのか。探したいものはあるのに、そこに近づけないというジレンマは、いくらブラウザや検索エンジンが高性能になっても、改善するのはむずかしそう。。ジェネリックを入れて、検索結果がわんさか出てきたとしても、それだけじゃあ、まだ賢くない。利用者が言語化できないかゆいところを、斟酌してくれないとまだまだやね。とかいう話をしたところ。
_ 突如、ニルヴァーナのファーストを聴きたくなる。というか音楽、最近、またまったく聴かなくなった。CDプレーヤーには、9月に帰国したとき以来、もうずうっとBallads(John Coltrane Quartet)が入ったまま。これしか聴いていない。なので、ニルヴァーナはちょうどよいのかもしれない。
The JamではEnglish RoseとCarnationが好き。ノエル・ギャラハーがカヴァーしているのも好き。一番好きなのは、ポール・ウェラーのBBCライブのもの。別段、すごい曲でもなんでもないのだけど、強烈に好きな曲というのがある。くるりの「東京」とか、スピッツの「冷たい頬」とか、とくべつのお気に入りというのがある。ビートルズのDrive My Carと、And your brid can singもそうだ。ツェッペリンのRain Songと。と、書き出して気がついたのだけど、これらの曲はわたしのiPodに入ってないね。というか、ビートルズが一枚も入っていないことに、今、気がついた。。どうなってんだー。
_ 今日、お店で初めて最新のiPodを手にとって見た。それほど薄くないね。iPodなの、の方が小物としてはおもしろいような気がする。まあしかし、60GBもあるのだから、あれくらいの厚みでも薄くなった方だといえるだろうか。
_ 大家さんのところにおみやげ持って行く。ものすごく喜んでもらえたのでよかった。
_ 粛々と、業務整理しながら、いろいろ企画出したり。淡々とこなす。
_ ぼーっと本屋を眺める。無駄に長い本が読みたくて(無駄というのはあくまでも修辞的にね)、大菩薩峠を手に取るも、もう一つ、読書欲わかず。トマス・マンかカラマーゾフかと思い、結局、『模倣犯』にしました。。厚い(物理的に肉厚な本、という意味で)記述だなあと思いつつ、読み進める。日本では久しぶりに、スターバックスに入った。はじめて、カフェ・ラテを飲む。いつもタゾ・チャイ・ラテしか飲んだことがなかった。コーヒー、深入りの酸味なしに限る。酸味の強いコーヒーの需要は、一体全体、どのあたりにあるのだろう。黒酢かと思うくらい酸っぱいコーヒーが、ときどきある。
_ 今日は久しぶりに気合いの入ったおしゃれをして人に会う用事があった。手みやげを持って、とりあえずなんとかこなす。用事が済んだ後、脱力してしまって、すぐに帰宅。
_ 松本清張をしっかりと読みたいのだけど、なにから手を付ければよいのかわからない。『点と線』か。
_ 某英国人から、自分一人に受けるすごいジョーク満載のメールが来て、旅行情報の提供を求められる。タイに行くのだそう。しかし、わたしはタイについてはほとんどまったくなにも知らないので、空港でチェック・インしたら、右手方向の階段を上った2階においしいタイ料理レストランがあったとか、BTSという電車(モノレールじゃなかった)は便利だったよとか、鳥インフルエンザは大丈夫みたいだよ、くらいしかいえなかった。ホテルも一応、薦めておいた。あのホテルは、後で聞いたら、やっぱり穴場らしい。便利だし、バックパッカー宿に泊まる気はしないけど、高級ホテルでリラックスするのも似合いそうにないという中途半端な旅行者にぴったりだった。愛想が極端に悪いタイ人というのも、なかなか風情あり。
_ まあいろいろあるわけで、3月に欧州出張というのが入った。このくそ忙しい中、必死に支出計画練り直して、赤字が出ないように四方八方に電話しまくり、完璧な予算消化を達成した瞬間に予定していた人が「やはりムリ」だと連絡してこられた。ただ、なんで○×が行くんだ、というクレームがやはりすでに発せられているので(苦)、根回しがすでにおこなわれている。本人、一切、関知せず。
_ 日が暮れてから、久々に繁華街で買い物をしようと思い、すたすたと通りを歩いて向かっていた。後ろから歩いてきたような修学旅行とおぼしき女子高生の塊が、なにかわたしのそばで話している。何度も同じ語を発するので、なんだろうと振り返ると、どうやらわたしに話しかけていたらしい。立ち止まって、え?と言ってみると、女子高生たち、立ち止まらずに、歩きながら、シノコウジビルってどこですか?と、おそらくは東北のアクセントで尋ねてくる。わたしもダテに凸凹人をしているわけではないので、ああウタノコウジ(詩の小路ビル、というのでした)ね、とすぐに反応した。今はウタノコウジはふたつある。でも修学旅行生が行きたいと思うのは、たぶん、古い方だろうと思い、寺町を下がっていく方がわかりやすい、という旨を伝えるも、新京極じゃないんですか、と逆に疑問を持たれた(しかしこの質問により、ああやっぱり古い方でよかったのだな、とわかる)。そうなんだけど、寺町からのほうが歩いていて楽しいし、わかりやすいよ、映画館の前だよ、とかいうもどうやらあまり信じてもらえない。なんとなく不安そうに、よくわかりました、ありがとうございました、などと口々にいうも、全然、立ち止まるということをしなかったのが印象的だった。人と話をするときには、立ち止まったりしないのだろうか。この寒いのに、みんな膝上スカートに、いわゆる生足であった。寒さに強いのは、やはり東北の人だろう、と勝手に思いこむ。
修学旅行生が減少してしかたがないらしい。まあたしかに、今日日は、家族旅行なんかですでに来たことがあったりするかもしれないしなあ。もっと地引き網を引くとか、花笠踊りを踊るとかのほうが楽しい。わたしは修学旅行で東北へ行った。仙台を拠点に、今日は花笠踊りの日、地引き網の日、張り子作りの日、蔵王登山の日と、毎朝、おなじホテルから出発して夕方にはまた帰ってくるという日々であった。凸凹に修学旅行に来るよりも、よほど楽しかったような気もする。
こんなふうに、毎日は過ぎていくんだな。
アンジェで東欧製のチロリアンテープ2種類、計3メートルと、いっぱいになったカードで、チェコ製の布でできたブックカバーを交換してもらった。
_ 今年の科研費、あと100万円以上あるよ、という連絡がきた。最後に、どんな調査をして錦を飾ろうか、ちょっとでもポジティブに。ポジティブ、というのかどうか微妙だけど、今年前半は他人の科研で動いていたので、最後は自分の科研で、きっちりと仕事をしてこよう。大学という組織には残念ながらなじめなかったけれど、仕事としての研究は、とても楽しくできた。楽しく仕事ができたという点では、恵まれていたなあ、やっぱり。だけど、それ以外の人間環境とか社会環境には完全に見放されていたように思う。自分でも積極的に環境改善に向けて動かなかったかもしれないし。最後なのだから、とにかく楽しく過ごしてこようと思う。
というわけで、予定早めて来週早々、出発することになった。インフルエンザの予防注射が終わったら、すぐに出る。帰ってくるのは2ヶ月先。
_ いろいろと言ってくれる人もいるのだけど、わたし自身、もうこれでよいと思っている。最後まで、覇気がないまま、退散することになるけれど、もうそれでよい。
_ 一夜明けて。わりと冷静。淡々と旅行伺い書いたり、なんだかんだ。まあ相変わらず、暗い顔をしていますが、あと4ヶ月余り、穏やかに過ごせればいいな。動揺せずに、冷静にすごしていれば、なにかよい考えが見つかるかも知れない。
_ いろいろ。
来年からの身の振り方の話とか。いよいよ、今年度末で、本当に本当に首を切られることになった。自前の科研も所属先がなくなればそれで終わりなので、今年限り。こんなことなら単年度でがっぽりという計画にしておけばよかった。なまじ3年間とかにしてしまったのが裏目に出た…とか細かいことはさておき、さてどうするか。いくつか普通のアルバイトにありのままの学歴を書いて出したところ、どうして?という質問攻めにあうのはまだしも、ご縁がありませんでしたと即座に履歴書を返されている。塾講師とか家庭教師くらいしかもうだめだろうか。大学関連の公募には、もう久しく書類を送っていない。業績がないので、ムリ。あと、教えるとか研究するという情熱がなさすぎるかもしれない。結構、センスのある研究者だと思うのだけど、そのセンスに頼りすぎているところがある。だから成長しない。冷静に判断するに、これが本当の潮時のようである。定年退官した名誉教授先生が、「ぼくはサンデー毎日だよ」とおっしゃっていたが、わたしもチョコレート・サンデーくらいにはなりたいもんだ。こんなに年食っていて、ニートを名乗るわけにもいかん。ホームレスになる勇気もまだない。来週からまた海外出張なのだけど、これが修学旅行になるもよう。ロジがうまくても、なんでもそつなくこなせても、だめな人はだめ。だめな人はだめなんだ。負け慣れしているところもなきにしもあらずなのだけど、もうこれ以上がんばる気力もないかもしれない。どうすればよいのかまだわからないのだけど、とりあえず、もう進退窮まったというところだけは、わりと穏やかに受け入れている。背水もなく、そこはブラックホールみたいな闇だけがひろがっている。そこが安全地帯なのか荒野なのかも判断できないくらいの。判断できないけれど、今ここにしがみついたところでなにも変わらないのだから、一歩でも踏み出す方がよいのだろう。後退であれ前進であれ、停滞するよりかはましかもしれない。それだけ。両親がいるからまだ死ぬわけにはいかないけれど(というか、もちろん死ぬ勇気だってないのでだいじょうぶ)、両親がいなくなったら、なにを支えに生きていけばよいのだろう。結婚もせず、子も産まず、思うことはなにひとつ成さないままに、静かに寿命が尽きるのを待つのだろうなあ。もうなにに対してもがんばらなくてもよいというのだけが救いかもしれない。ささやかな救いだけども。せっかく大学院までいって、末は博士になったわけだけど、器が足りなかった。たぶん、研究者としても、人間としても、すべてにおいて寸足らず、寸止め、腹八分目なのかもしれない。感受性だけは容量オーバーなのかもしれないけど、そんなものでは食っていけない。以上、おわり☆