最新 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|12|
2022|01|08|

lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

24-03-2006 / Friday [長年日記]

_ 大ボスと若者カフェでランチ。場違いなふたり。


23-03-2006 / Thursday [長年日記]

_ 巡業3日目。他大学へ異動される先生と長々と話す。とてもよい雰囲気で和やかにお話ができた。いい先生だなあと今頃になって痛感。

飲みに誘われたけれど、もう体がもたなくて、一番を後ろを歩きながら静かにフェイドアウト。こういう消え方が一番きらわれるのだと言われつつ、もうなんだかこれ以上、気疲れするのが耐え難くて、ごめん、と心の中で謝る。声は届かないから、意味はないのだけど。すみません。

_ 巡業2日目(これは日付が変わってすぐのこと)。逢坂山よりも東で就職するゼミの先輩の追い出しコンパへ。死ぬほど食べた。相変わらず、睡眠時間3時間切っているところで、飲みに飲み、もう天地左右、不明になる。


22-03-2006 / Wednesday [長年日記]

_ 巡業一日目。疲れる。かなり疲労・疲弊しているようなかんじ。休みたい。

_ 「文藝春秋」四月号。村上春樹の文章を読む。

マリ・クレール誌に、今のわたしの関心のかなりの部分を刺激され、影響された記憶がある身としては、安原顯と村上春樹の関係にものすごくゴシップ的興味を持っていた。だからなのだろうけど、今回の文章は安原顯が亡くなっているのだからフェアではないと批評する人の意見は、はなから無視していた。全体を知らないと、たぶん、わからないだろうと思っていたから。読みながらいろいろなことを考えた。自筆原稿が作者の知らないところで売買されているということを知ることが、どのような気持ちの悪さを覚えるものだろうかと想像もした。村上春樹がこういう文章を書いたことの意味をきちんと理解したいと思った。そして、そういった文章が書かれた意図について考えることとは別に、もうひとつのこともまた深く、自分自身のことに置き換えて考えたりもした。それは、ある日を境に、突然、人の気持ちが変わってしまうということについてである。この数ヶ月ほどの間に、立て続けに数度、この経験を得ている。記憶から抹消しようと努力していたことを、否が応でも思い起こすこととなり、読んでいる途中で、叫びたくなった。何が原因だったのだろうか。それがどうしてもわからないでいる。どれだけわかろうとしたかわからない。いや、本当はわかっているけれど、その理由を自分が納得したくないだけなのだろうか。。。

そんなことで頭が一杯になり、今日の午後はずっと、胸のあたりが灰色の塊でずしりと重くなっていた。村上春樹はこの塊を、この文章を書くことで追いやることができただろうか。そのことをずっと考えて過ごした。今は、それを知りたい。


21-03-2006 / Tuesday [長年日記]

_ おたんじょうび、おめでと。


20-03-2006 / Monday [長年日記]

_ そういえば、華人集団と話していてなぜかまたラオスへ行こうという話で盛り上がった。なぜなのだろう?なにがラオスに駆り立てるのか、またしてもわからないままに酩酊してしまった。50度の自家醸造のお酒をみんなで飲んだのだけど、これは薬なのだとか。だから二日酔いしないと言われて飲んだものの、たいへんなことになった。まさに薬のアルコールの味がするお酒と、味のないウォッカみたいなのと混ぜて飲んだ。ちゃんと歩くことができたし、気分も悪くなかったけれど、昼間のことがあったので、タクシーで送ってもらったら、もう気分が悪いの悪くないのって。あまりの気分の悪さに、ホテルに帰ってしばらくソファに沈む。ベッドで横になるのが不安になるほどだった。落ち着いてからホテルの隣の711にミネラル水を買いに行き、湯船に浸かりながら水分補給しようと思ったら、なんと水しかでないお風呂だった。このホテルは、部屋によってクオリティが極端に異なる。震えながら、コイル式湯沸かしでお湯をわかして、洗面台にお湯を張って蒸しタオルを作ってしのぐ。そうこうしているうちに酔いも収まる。翌日、慌てなくて済むようにパッキングして着替えを出して寝たのがまたしても2時。起きたのが4時半。眠さも峠を越してしまった今、またしても夜更かし中。なんだかこれではだめな気がする。

_ 夜、久しぶりに伝統音楽の生演奏を聴いた。といっても、偶然、歩いていた道沿いの集会所での練習風景に遭遇したのだった。端っこに椅子を出してもらって、静かに聴く。いろいろと迫り来るものがあり、目頭が滲んできたかもしれなかった。随分、熱心に聴いていたらしい。あとで、団長さんが挨拶に来られた。放心していたみたい。音楽を聴いて、魂を奪われたのは、かなり久しぶりのことだった。人の心に訴える音楽って、確かにありますね。ホテルに帰ってからも、夜、眠れなくなる。仕方がなく、テラスで、カモミール茶を飲みながら、日誌整理。夜になると寒い。寝たのはもう2時前だったかな。眠いのだけど、音楽がずっと頭の中で鳴り続けていた。

朝、4時に起きて、水浴びして、空港へ。寒い。かばんから襟巻きを出して巻く。暖かい飲み物を飲もうと思ったのだが、コーヒー一杯、千円也、とある。ポケットに両手を突っ込み、ベンチに横になる。昔はホテル代を惜しんで、よく空港の玄関で寝た。今思えば、トランジットのマニラの空港が一番、怖かった。。ほんとーに、怖かった。なのに、眠れたのはなぜだったのか。マニラなど、もう何百年も行っていない。今も怖いのかな。最近、全然、こういう経験なかったなと思いながら、ほんとに寝てしまう。起きたら、ちょうどボーディングの時間だった。

いろいろ乗り継ぎ、いくつか国境を越えて、やっと新河童国。定宿に無事に部屋が取れて、荷物を置いて、とりあえず専門書店へ。なんでこんなところにきちゃうんだろうね。とか思いつつ、棚をみていると、今日は日曜日なのでもう閉店ですとのこと。わあー、わたし明日、日本に帰ってしまうから、ごめんなさい、ご迷惑をおかけしますけど、5分だけください、とお願いして、3冊購入。碑文のすばらしいボリュームが全部そろっていたのだけど、お金がなかったし(ここは3万円以上買わないと、カードが使えないのだ)、もうすでにたくさんほかの本があったので、やめた。この本、出版した人はほんとに偉いと思う。何しろ、東南アジア中の華人墓地の墓碑とか中華寺の看板を撮影してあるすごい本なのです。東南アジア諸国内では、Oversea Chineseなんて、ほんとは言ってはいけないのかもしれない。なぜなら、本当のOverseaは、この域内の外のことなのだから。それで歩いて、Ngee An Cityの紀伊國屋へ。ええーと、なんでNew Age関係図書コーナーに、Homi BhabahとDavid Lodgeが並んでいるんだ?いや、いいのかもしれないけど、The Prophetと一緒に並んでいるのも微妙。GibranはNew Ageでよいかもしらんが。ものすごく長居をしてしまった。

それで怖いことがあったのはそのあとのこと。そのまま歩いて、別のビル内のホーカーで、おやつに雲呑麺を食べた。ふと視線を感じて、前を向くと、隣のテーブルに着いていた男性が、わたしをじっとみている。目が合うと、あわてて視線をそらすので、知り合いと間違ったのかなと思った。そのままそばを食べ続けていると、またわたしを見る。大概、わたしも自意識過剰な人間なので、とりあえずじっと見返して(!)、そばを食べ続けた。スープを飲んでいると、お椀の縁越しにさらに視線が合う。男、わざとらしい慌て振りで目をそらす。なんじゃ、と思って、さらに男性がわざとらしく視線を逸らした直後に、すぐに席を立った。勝手知ったる某国なので、とりあえず、入り口の二つある婦人厠所へ。入ったところと違う入り口が出たところで、待ち伏せしていた男性とかち合う。しかし、何も言わない。逆に、びっくりしたような顔をしてわたしを見る。冷静になろう。人混みに紛れるべく、オーチャードの真ん中を歩いた。何度か信号を渡って、道を左右しながら歩いたのだけど、人気も少なくなるサマセットを過ぎたあたりで、ふと、信号待ちの隣に男が立っているのが見えた。怖くなった。ドービーゴートまで重い本を抱えてほとんど走って(結構、距離がある)、思い切ってMRTに乗る。約束があったので、来たバスになんでも飛び乗るということもできなかった。タクシーを止めることももう怖くてできなかった。余程、道を歩いている人に事情を話して保護してもらおうかと思ったけれど、何かあったわけではないから、うまく説明できそうにない。ようやく駆け込んだMRTの中では、座席列の真ん中に座った。わたしを見ている人はいない。路線を乗り換える時も、知らないアベックにぴったりくっついていた。Bugisで降りて、地下フードコートの混雑に紛れて、リフトで地上に上がって、あたりを見回したら、西武の建物の対面のケンタッキーの前の信号で、あの男が人を探している。。

結果、約束の靴売り場で友達に無事に会えたので、すぐにタクシーで食事会のある場所へ移動したのだけど、ほんとに怖かったでした。というのは、その男の人が、香港マフィアみたいな感じだったから。香港マフィアの本物を知らないから違うかもしれないけど、ジャッキー・チェンの映画とかで悪者役をするタイプの人。にこりともしない。40歳くらいのおじさんだったが、女の子を引っかけるタイプの人にはまったく見えないところが、さらに怖かったのか。食事会は、凸凹大で学位を取って帰国した人たちの集まりだったのだけど、そのことを話したら、まあとりあえずは、「キミがすてきだったからだよ」と言ってくれるわけですが、わたしは実は、今回の滞在中、散髪屋でほとんど五分刈りみたいに髪を切られてしまっている。1センチだけ切ってね、といったのに、40センチくらいあった髪を残り1センチくらいにされてしまったのだ。あまりのショックで、ほんとうに何日も食事がのどを通らなかったほどで、ここに書く気力もなかったくらい。そういうわけで、すてきからほどとおいわたしとしては、ひたすら怖かったのでした。で、話は結局、「はやく結婚しなさい。アナタ、独身なのが悪いね」といういつものネタのサカナにされ、ことあるごとに乾杯!を繰り返す華人集団にもみくちゃにされて、いつものように二日酔いで呆然としながら、帰ってきました。いや、あの変なおじさんがすてきだったら、わたしのほうから「よくあいますね」とか言ったかもしれませんけど。とりとめもない話でしたが、落ちもなく、おわります。いろいろありすぎてなんか整理できず。明日からまた、国内巡業に行ってきますー。


最新 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|12|
2022|01|08|