最新 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|12|
2022|01|08|

  1. ラギ (02-12)
  2. ね (02-02)
  3. ラギ (01-28)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

02-02-2009 / Monday [長年日記]

_ もうけんかはしないと誓った舌の根も乾かぬうちに、役人とけんかになる。

日本であらかじめ取得してきた独身証明書に翻訳文を添付すればOKなはずなのに、役人がそれを受け取ってくれない。曰く、「大使館の公印」がないとだめ、とのこと。それでけんかになったのが前回までのお話し。それで二日後に、日帰りで首都へ出かけた。あらかじめ、電話で連絡していたので、遠方からの申請者のための優遇措置を受けさせてもらい、午前中申請、午後受理となる。申請したのは、「婚姻要件具備証明書」。日本語だと、なんかすごい証明書(よくわからんけどもよー)なかんじがするが、要は、現時点において配偶者はおらん、ということを証明する書類である。重婚を避けるための書類である。問題は、これを翻訳したときに起きた。夫になる人と一緒に翻訳していたところ、一通り読み終えて、OKと言ってくれたのに、いや待てよ、、ここはやはり、こう変えようと言われた。「配偶者はいない」という表現を、「しょじょである」という表現に変えようという提案というか指示。一度も結婚していない=配偶者はいない=しょじょである、という論法である。

夫になる人がそういうのであるから、内心、あれこれとことばが飛び出しそうになるのをこらえて、それに従う。ところで、われわれは、手をつなぐ以上のことをしたことがない。ときどき、会ったり別れたりするときに、手に接吻というのはされたりしたりということもあるが、それだけ。バイクに乗るときには密着することもあるけど、家にいたりするときは、せいぜい腕を組んでソファに座るくらいである。それ以上のことはなにも起こりえない社会である。いや、もっと若かったら起こっていたと思うが、どちらも良識ある大人なので、起こさない。それはよいのです。で、その書類を受け取ってもう一度、訪問した役場にて。

役人「をを、やはりこういう書類があったではないですか。。を、これは英語ですね。。そしてこれが翻訳文、して、この翻訳文は誰が訳したのかね?あんたかいな、それはだめ。大使館の人が訳したものでないと公式文書としては受け取れませんがなあんた。。だめ、だめ、だめ」という。何を言っているんですか!大使館は英語でしか書類を発行してくれませんよ。これを訳したのはわたしですが、この人が監訳していますから、間違いはありません(夫になる人は法学部の人)。ウェブサイトにも、翻訳文をつけるのはだれだとか指定はされていなかったですよ。「いや、われわれは、この英語がほんとうに正しく翻訳されているかまではわからないからね。。公印がない限りは、受け取れない」とな。

英語ったって、名前、本籍、生年月日、両親の名前、結婚していませんという説明文が3行ほどあるだけである。その3行は、確かにちょっと英語を知らないと読めないかもしれないけど、外国人の結婚なんてこれまでも山ほどあっただろうに、なんといういけず。それでも最後には、「わかりました。じゃあ、この書類を受け取るか受け取らないか、会議を開きます」という。そこで、わたしは炸裂してしまいました。「あんたらの会議の結果で、わたしが結婚できるかどうかが決まるということ?(思いっきりねじ曲げています!)」「もうええ、ようわかった。わたしはもう結婚せんでもええわー、もうこんなあほらしいことはおしまい。国際問題にならないだけよかったと思いなはれ。あほー」と叫び、「ばいばい、とうとう結婚できなかったけど元気でね」と挨拶をして、役場を飛び出したのであった。

炎天下の国道を猛スピードで歩いていたら、夫になる人が追っかけてきた。「ねえ、きみ。さあ、ぼくが今からロビーするから、もう一度、戻ろうよ。ね。だいじょうぶだから、さあさあ。。ああー、こんなに泣いちゃって、一体どこにいくつもりだったんだい?さあ、大丈夫だよ」と、わたしのことを全然怒ったり、あきれたりせずに、役場に連れ戻してくれた。

なんか本当に、国際結婚てたいへんなんだよなあと思いながら、また役人と3人で書類書き。また役人に、本当にしょじょで、まだ繁殖能力があるかどうかなどを聞かれて、鼻息も荒く、そうじゃそのとおりじゃそれがどうしたー、などと毒突きながら適当に答え、尋問終わり。そんなこと日本の役場では絶対にされないような質問に答えたりして、わたしの中の怒りのエネルギーはあっという間に沸点に達したのであった。すごい世界に足を踏み入れることになった。

振り返ってみれば、ひとりでかっかしていただけなのかもしれない。この事件は、あっという間に夫になる人の在郷の村に伝わったけど、みんなわたしがどういう人か知っているから、あっはっはと笑われておしまい。でもあとで夫になる人に、「ぼくはきみのことをよく知っているから、大丈夫だよ。笑い話じゃないか。。でも少しずつ、変わっていけばいいんだよ」と言われた。よくわたしのようなじゃじゃ馬を馴らそう思ってくれたものだと、改めて感謝した。


20-01-2009 / Tuesday [長年日記]

_ ところで、オバマ氏の就任式をどうしてもみたかったので、わざわざそのためにホテルに泊まりに来ました。ねずみがテレビのアンテナ線とケーブルを齧ってしまってから、はや1年半。。未だにテレビなし生活をしています。友達の家に泊まりに行ってもよかったのですが、長風呂に浸かりたかったのでありました。夫になる人の家に泊まりにいくという方法もないではないのですが、先方がそうしろといってくれて、わたしもそれが便利だなと思っても、第三者の人がやはり許さなかったりします。みんなよくみているものです。ただでさえ目立つ外国人なので、気をつけています。もう道ばたで買い食いもしなくなりました。あそこの嫁は、あんなところであんなものを食っていたと、言われるのも申し訳ないので。なので今日は、ゆっくりと部屋でテレビをみたりなんかしています。夕方、自分の家でご飯も食べてきたので、あとは寝てしまわないように、気をつけるだけです。

_ 体がついて行かず、じっとしていた。暑さはどうともないのだが、なんかいろいろたまっている仕事が追っつかず。返事を書きたいメールもたくさんあるのだが、手が回らず。

ふたりで役場に出かけて、わたしと役人とでけんかしてしまった。恥ずかしい思いをさせたに違いないのに、あまりの悔しさに泣き出したらば、とても親切にしてくれた。こういうときに、そっか、夫婦って、ひとりでいやな思いをしたら、ちゃんと慰めてくれる人がいる人がいる状況なのか、と思ったり。ありがたいことであった。というか、もう役人とけんかしないようしないといかん。帰国の前の日に、古い先生や古い友人たちとだけで、小さな集まりを開いてもらった。お祝いもいただいて、夜の冷たい空気の中を歩いた。

帰りの飛行機の中で、沢木耕太郎。オリンピックの話のほう。レニ・リーフェンシュタールって、なんだか煮ても焼いても食えない人のように読める話に思えたり。ヒトラーのことを本当はどう思っているかなんて、墓場に持って行くよりない話だったのだろうと思う。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ラギ [在米の姉は、パレードをみるためにゲート内に入り込んだらしいです(汗)。同行していた息子の存在を思い出したのは少し後に..]

_  [ありがとうございます。 毎日、ほんとうに飛ぶように時間が過ぎていきます。]


12-01-2009 / Monday [長年日記]

_ 明後日、帰国。

_ ほんとにばたばたとした年末年始だったので、年が変わったという実感がわかない。母が退院して以来、家族で川の字になって寝ている。今回もそうなのだけど、夜、目を閉じたら、朝まで一度も目が覚めない。某国だと、なかなか熟睡できないのがほんとうに不思議である。一人でないというのが原因なのだろうか。

今回の帰国に際して、飛行機の中ではきっと眠れないと思い、また心を落ち着かせねばとも思っていたので、論語を引っつかんで、飛行機に乗った。巧言令色鮮し仁のところを何度も読んで、帰国しました。戒めの言葉。もっと誠実に生きなければとか思いつつ。

滞在中は、佐野洋子ばっかり読んでいた。それからノーベル章受賞の先生たちが出演されていたNHKとか。頭の中の思考がばらばらですので、また今度ゆっくりと書きます。


03-01-2009 / Saturday [長年日記]

_ 大晦日の朝、大学でメールを開けてたところ、母入院という知らせ。頭が真っ白になる。帰国以来、毎朝、母に電話していたのが、この日の朝に限って母が出ないものだから少し気にしてはいたものの、また後でかけなおそうくらいに思っていたからだ。あまり覚えていないのだが、とにかく一番そばにいた友人の席に駆け寄って、泣き出したのだと思う。冷静になれと、冷たい水を運んできてくれた。とりあえず、この連絡をくれた弟に電話。電話ではなくメールでの連絡であったことから、今なら判断がつくのだが、危篤とかそういうことではなかった模様。しかしながら、こちらはもう頭が真っ白で、気が動転していたものだから、そしてなにより、今までの親不孝が祟って親の死に目に会えないなどということになれば、もう取り返しがつかないと思い、大慌てで帰国のチケットを探し、約2時間後には帰国の手段が確保できた。で、それからも荷造りしながらも泣き、旅券のありかが思い出せずに泣き、手当たりしだいにとにかく持って帰るものだけ手提げかばんに詰めて、迎えの車を待つ。夫になる人も駆けつけてくれ、日本人の友達が空港まで送ってくれた。呆然としながら、チェックインすると、ビジネスクラスにアップグレードしてくれた。都合3回飛行機を乗り換え。某国の空港はいつもと違って閑散としていた。伯母に電話して、容態を確認。あれ、なんか元気そう??頭真っ白なまま関空。すぐに電車に乗って、病院へ。元旦の病院なんて初めてだ。病室をのぞくと父がいる。あれ、母は起き上がって元気にしている。あれれ?

結論からいうと、出血性十二指腸潰瘍で、がんではないとのこと。下血したため貧血状態となったために、緊急入院したとのこと。絶食がつらいが、なんとか10日ほどで退院できそうだ‥とのこと。。

慌てて駆けつけなくてもよかったのかな。でも両親はわたしがこんなにすぐに帰国するとはおもってもみなかったので、喜んでいたようであった。母も、あんたはいらちやからあかんといつものように叱り付けながらも、うれしかった模様。ええ薬になったわ、と笑っていた。

わたしがこんなに早く行動を起こした理由は、前回の帰国のとき、夫になる人の写真を持って帰ってくるのを忘れたから。慌てて、泣き顔のまま、ふたりで撮った写真を、棺桶のなかにいれなあかんかもしれない、と思っては泣きつつ帰ってきたのであった。

とにかく、思いがけず、日本のお正月を楽しむと同時に、親孝行もどきもでき、まあ終わりよければすべてよしです。しかし、日ごろ元気な人が病気になると、ほんと周りの人は驚くものである。

で、帰国便を探すのとかもろもろの処理で、いやー、苦労しています(笑)。みなさま、どうぞよいお年を。今年もよろしくお願いいたします。

それにしても、まだ頭がよく回っておりませんです。。夢でも見ている気分。おみくじは、一番の大吉を引きました。いやー、しんどかった。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ラギ [おつかれさまです。 でも、親孝行できてほんとによかったですね。 お母様、安心されたことでしょう。 ・・・わたしも二..]

_  [ラギちゃん、ありがとうございます。退院の目処もつき、ほっとしています。式は来月15日です。また連絡しますね。]


24-12-2008 / Wednesday [長年日記]

_ 夕べは演劇鑑賞。昨日は、日本でいうところの大衆演劇のようなもの。伝統的な庶民の着る衣装を身につけて、現地語で、現地音楽の生演奏のもとに演じられる喜劇である。二分に一回は、爆笑がわき起こるか喝采の拍手が鳴り響く。歌舞伎のかけ声のように、俳優の名前を呼びかけたりもする。昨日の演目は、時代設定が古いタイプのコスチュームプレイであったが、ものすごくおもしろかったらしい。。というのは、ことばがまーったくわからなかったから。

語彙数が少ないからという理由で、わたしは最上級の敬語とその下の通常の敬語しかうまく習得できていない。昨日の演劇は、日常口語、常体が9割。王様が出てくるのであるが、王様が下々に者に向かって話すのは、常体。下々のものは、ぺらぺらと王様に話したりしないものなので、敬体はほんのちょっぴり。でも雰囲気はとてもよかった。昨日の俳優は、現役の市長とか現役の大学の先生とかが、かなり重要な役所を演じていて、それがまたほんとうに上手だったから。話の内容は皆目検討はつかないのだけど、演じている雰囲気や常にわき上がる笑いや拍手、合いの手などから判断するに、素人の芸ではなかったようだった。

案の定、今日の地元紙の一面は、その写真が大写しで掲載されていた。午後8時に始まって、幕が下りたのが深夜零時。4時間もの間、休憩もなかったわけだが、観客の集中力もすごかったと思う。夕食を家で食べたあと、気軽に家族で普段着で会場に来て、食べたり飲んだり携帯電話で話をしながら、楽しく文化と親しむ。なかなか楽しい経験であった。

で、冒頭に大衆演劇と書いたけれども、吉本新喜劇という雰囲気もある。ただし、社会風刺とか歴史的な内容をかなり援用して、地域性を打ち出している点をみれば、うーん、なかなか大衆演劇という枠にも収まりがたいか。でもとにかく下ネタとか馬鹿ネタ、まさに吉本新喜劇としかいいようのないまさに絶妙なぼけとつっこみの会話のオンパレードは、関西には実に親しみ深いものであり、話がまったくわからない分、かってにあの人は中山美穂(新喜劇のね)、あの人は内場くんとか勝手に見立て、楽しみました。もっと勉強しないとなー。とまた本業からどんどん遠ざかっていく今日この頃です。


最新 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|12|
2022|01|08|