_ もともと、母親が大好きな子どもで、小学校までは、母のことはママと呼び、父のことはおとうちゃんと呼んでいた。がいつしか、父親っこになってしまい、もうずっと母とけんかになるたびに、父に仲裁役を求めた。わたしの味方になってくれることを知っていたからである。
それがいつしか次第に、母親っ子に戻っていたのか。毎朝、起きたら、母に電話をかけている。特に話すことがなくても、とりあえず電話して、声を聞くだけで安心している。こと結婚が決まってからは、話すことが多い。電話会社のキャンペーン中で、日本までの電話が一分30円ほど。お天気のことを話し、夕べは何を食べたかを話し、今日は何をするかを話したら、双方、話題がなくなってしまう。それでも毎日電話して、とりあえず、互いの生存確認の儀礼。遅まきながら、いろいろと親孝行中。心配かけるのも親孝行、安心させるのも親孝行と思って。
ところで、結婚しても、とくに生活は変わらない予定(笑)。相変わらず、行ったり来たりの暮らしを続ける予定。日曜日には指輪を買いに行く。買ってもらうことになるか、自分で買うことになるか、まだよくわかりませんが(笑)。ところで最初は反対を唱えた両親や親戚一同をどのように納得させたかというと、「オバマによく似ている」という一言であった。
_ なにが決め手だったのですかとよく問われるのだが、一番の決め手は、わたしのことを日本人だから気に入ってくれたというのではないことかなと思う。一段離れた場所から、わたしが東奔西走していたのを見ていて、わたしが頼んだときだけ、手をさしのべてくれたような気がする。が、わたし自身は手を借りるのがとてもいやだったので、いつも無愛想であった。差し入れのお菓子をもらったときなど、これを食べたら魔術にかけられてしまうと本気で思い、こっそり子どもらに分けたものである。どこでその禁断を口にしてしまったのだろうか。
_ 仕事の合間に、衣装を見に行く。今日はデザインをみるだけで、布地を決めてから、改めて仕立てに出す。もっと時間があれば、こちらの人のように、糸を決めて、染料を選び、機織りの注文を出すのであるが。これまでのように観察するのと、当事者になるのとでは、随分と違うものだなと実感中。
_ 結納とか。そういうのがやはりこちらにもあって、いろいろ交換。早いこと、日取りを決めたいのだが、うじゃうじゃとややこしいしきたりがあり、決まらない。いらちなので、たまらないが、試されているのである。がまん。
_ 受け入れられないようなことでも、受け入れるべきときがある。
_ 自分の存在意義は、誰かが決めるようなものではないし、誰かに決められてそうかと納得すべきようなものではない。でもそれが揺らぐとき、意義を見失ったり必要以上に低く見てしまったりすると、人はもう誰の言うことも耳に入らなくなり、即座に四面の壁を立ててしまう。とんとんと、壁をノックする人がかならずいるはずなのに、壁は内側に向かってどんどんと厚みをまし、ノックの音に比例して、中の面積が狭くなるように、迫ってくる。その感覚をよく知っているから、怒ることも責めることもわたしはしないよ。かわいそうにと、思うばかりだ。畑仕事が好きだったこと、ずっと覚えていようと思う。