_ 20年余りのときを経て、独裁者として裁判にかけられ即日公開処刑された政治家に対する再評価の動きが出ているというニュースを読んだ。自由主義経済の民主主義は、当然、すべての人に豊かさと幸福を約束するものではない。抑圧的な時代であっても、それは一部の人たちのものであったのと同じである。テロリストの首魁とされる人物が「殺害」されたと報道された。殺害された時は、非武装であったと新聞は書いている。「殺害」「非武装」ということばの使い方から、今回の「正義」に対するもやもやとしたきな臭さが感じられないはずがない。どれくらい時を経ても、そのきな臭さを覚えているのは、民衆なのではないだろうか。今回のことが、単に報復テロを招く可能性があるといった短期的な見通しだけでは済むとも思えない。正義の側に同列するものにとっては違和感を、あちら側に属するものにとっては禍根を残したのではないか。大量破壊兵器があったかどうか、もはや確認するすべがない(あるところにはあるのだろうけど)のとおなじく、テロリストの首魁がほんとうに実在したのかしていなかったのか(本当に殺害されたのか否やを含めて)、第三者が確かめるすべがない正義なんてほんとにあるのかという気持ちになってしまう。
_ 最近よく作る、子どもが好きな離乳食は、寄せ豆腐と命名されているもので、レシピ本に掲載されていたもの。木綿でも絹でも、適当な量の豆腐をキッチンペーパーに包んで1分ほどレンジで加熱。水気を切って、スプーンなどで適度に細かく崩す。そこに緑の野菜(ブロッコリーやインゲン、あるいはネギなど)、黄色または赤の野菜(パプリカやニンジン、カボチャなど)をみじん切りにしたものを混ぜる。野菜はあらかじめ加熱しておいたもののほうがおいしくできる。溶き卵を半分までの量と、全体の感じをみて片栗粉を適量、醤油や出汁醤油など好みの調味料少々をまたざっくりと合わせる。全体の厚みが1センチ程度に収まるようにお皿などに平たくならして、レンジで加熱すること約3分。ラップをかければふんわり、ラップなしだとわりと軽快に仕上がる。好みで、出汁に水溶き片栗粉を混ぜた餡をかけてもおいしい。みじん切りにしたエビやらツナ缶などを入れてもおいしい。あらかじめ調理しておいた挽肉などを入れてもおいしい。子どもはこの豆腐が大好きのようで、いろいろな中身のバリエーションで食べさせている。お金は掛からないし、栄養もバランスよく取れるし、助かるレシピ。ヨーグルトも大好きなので、魚照り焼き+ヨーグルト、蒸しカボチャ+ヨーグルトなどというメニューもよく食べてくれる。助かる。しかし気分が乗らないときは、まったく何も食べない。料理に子どもを参加させるべく、エンドウのサヤからマメを一緒に取り出したこともあった。ところが子どもはマメが急に憎たらしくなったようで、積み木を持ってきて潰したり、わたしの耳に入れたがったりした。ボールにあけたマメを全部床にばらまくことも楽しかったようで、這々の体でマメを回収、直ちに火にかけてざっくりと茹で上げ、冷水に取って皮をむいたものを、延々と包丁でみじん切りにして、寄せ豆腐に入れたこともあった。あまりにもマメの匂いが青々とした大人向きの味になってしまい、このときだけは、子どももそっぽを向いた。子どもの日なので、子どものことを長々と書いてみたけれど、もはや今は子どものこと以外に書くべき話題も持たず、これでいいのだろうかと思ってしまった。今はそういう時期だということなんだろうけれど。
_ 氏子神社の子供祭。御神楽を見に行った。巫女が踊り、笛や太鼓が鳴る。子どもは少し怖がった。神社の裏口から出て、大きなお寺へ向かう。庭を散歩。子どもは、石を拾ったり、排水溝にしか興味がなく、きれいな花や立派な樹木にはあまり関心を示さない。例外的に、タンポポが好きみたい。保育園でタンポポ組だからかな。子どもにはたべさせないのだけど、ケーキ屋でこどもの日のパンダケーキを買った。子どもには、ホットケーキ。小さな小さなこどもの日。
_ 4月の初旬にやっと完治した中耳炎が、また再発して一週間。やはり保育園に行った翌日はかならず熱が出たりおなかが緩くなったりするのと連動しているのだろうか。子どもは不機嫌で、絵本を読む集中力もないし、ひとり遊びをする気力もないよう。熱があるからしんどいだろうけれど、家にいてくすぶっているよりかはと思い、歩いていける場所を一緒に散歩した。まだまだ咲いているボタンザクラの花びらが、白いお顔をしたお地蔵さんの傍をとおったときに、上からはらはらと落ちてきた。お地蔵さんに手を合わせて、乳母車をまたそっと押して、ふたりで長い長い散歩をした。子どもはいつのまにかすっかりと寝込んでしまい、耳が痛いことも忘れたような穏やかな顔をしていた。その顔を見ていると、たまらない気持になってきた。
_ 子どものわがままっぷりに泣かされている。朝、顔を洗うと、わたしよりも先に化粧グッズをおいている棚の前に陣取り、わたしが化粧品を使うと、自分にも使わせろと主張する。乳液を掌に出すと、すかさず人差し指を浸して、実に誇らしげな顔をして、なぜか耳の後ろに塗る。眉を描けば、自分にも描いてくれと、目を閉じて顔を突き上げる。髪を梳かせば、いまだにヒコバエみたいにしか頭髪が生えていない頭を振りかざすので、ブラシで頭皮マッサージ風にポンポンと頭をなでれば、完璧!という顔つきをして、お澄ましポーズを取る。目下のところ、一番お気に入りのカバンであるらしいauの紙袋に、ありとあらゆる細かいおもちゃを詰め込んでいるのだが、それを手にかけて(底は若干引きずりながら)、さあお出かけしましょ!と玄関で靴を履こうとする。すぐに出かけないと、必死の形相で大泣きする。思い通りにできないときもあるんだよということを、どうやって教えていけばいいのか、まあだんだんとたいへんになってきた。
_ 復興とか復旧とか、今までとはまったく違う発想で、取りかかる必要があるんじゃないかなとずっと思っている。たとえば昔のソ連のソフホーズとかコルホーズみたいなかたちを援用したような、新しい農業や漁業の基盤を整備するとか。個人の生活の再建と、生業基盤の復興は、分けて考える方が、被災者の負担は少ない。次の地震津波が来るのが何年後になるかはわからないけれど、災害に強い復興プランというものがもしあるのだとしたら、個人の被災の規模を少なくすると言うことだけなのではないかと思う。「想定外」を考え出したら、きりがない。そのことはもうわかっているし、それが免罪符にならないことを考えるのも、大事なのではないか。生業活動と生活の場をゾーンで分けるのは、前回の地震津波の時にも、一部の集落ではおこなわれていたことで、それ自体はむしろ伝統的な考え方だ。でも有効なことはわかっている。この取り組みをひとつの地域が単体で実践するのではなくて、より広い地域で実践されたらいいのになと思う。個人個人が災害から立ち直る、被災を乗り越えるというのは、もちろん大事なことだと思う。しかし、一人で乗り越えるには今回は被災の規模が大きすぎる。新聞によれば、すでに自殺者も出てきてしまっているのである。今さら政権を批判してもはじまらないのだから、みんなが考えを出し合っていけるようになればよいのだけど。
仮設住宅も、そんなに急いで作らないほうがいいんじゃないかなとも思っている。ほんとはもっと早い段階で、使われなくなった学校や施設を改装して、「仮設住宅」とすればよかったとも思っている。ホテルや民宿なんかを政府が向こう1〜2年借り上げるくらいの機転があってもよかったんじゃないかなとも思った。すでに2ヶ月目を迎えようとしている時点で、一体、何がどうなったのか。被災地の外にいて、たくさん情報を持っているはずの人でも、実はあまりよくわからなかったりする。