_ あ!修正できるようになっている!よかった、よかった〜。「一線構える」って、いったいなんやねん〜と思ってそのまま足下の地中に沈んでしまいたい気持ちになっていたのを無事に修正できたので抑えることができました。めでたし。
片付けのときに、かつての愛読の書、アン・タイラーの[歳月のはしご」と再会した。その場で読み耽りたい衝動を抑えて、帰りのバスの中で熟読。おかげで下に着いたときは軽く車酔いをしていた。それから電車に乗り換えて、ずっとずっと読み続けた。高校を卒業して一ヶ月しないうちに将来の夫と出会って結婚して三人の子どもをもった40歳のディーリアが主人公。決定的な家族の問題というものはなかったのだけど、ある夏の休暇で訪れた浜辺で、突然、ずんずんと家族から離れて歩き始めた。知らない小さな町に住むことに決め、小さな下宿に部屋を借り、弁護士事務所の秘書の職を見つける。水着に夫のビーチローブをまとっただけの格好で、町に降りたって、雑貨やで肌着を買い、ワンピースを選び、試着室で着替えてしまうということが、アメリカではどれくらい普通のことなのかわからない。でもそのことに疑問を持ち始める前に、すべては自然な流れで片付いていて、もちろん数週間後には、実の姉が所在を確認にその小さな町にやってきたりもする。失踪したままで、まったく違う人生を歩むことになったという小説ではない。かつても、そして今回も、この小説の何にそんなに魅力を覚えたのかと考えると、ありきたりのことだけど、人生ってほんの小さな気の持ちようとかいつもと違う小さな思い切った行動とかで、なんとでもいとも簡単に変えることができるということ。でもその変えた人生が、百点満点ということはないし、正解ということでもない。ただなにかにこだわり過ぎず、すっと力を抜いて別の思い切ったことをしてみるのも悪くはないなあということを、考える。それが魅力なのかなあと思うのだ。この小説は大好きだ。
_ 山の家の片づけ。ちょっと一瞬雨が降ったりしたからなのか、狭いところでの作業だったけれど、さほどに暑さを感じずに済んだ。その作業中、懐かしい写真を数葉、発見する。22歳とか23歳の頃、当時のアルバイト先の先輩たちと一緒に宝塚の山の渓流でバーベキューをしたときのものだった。なんというのか、自分がとっても若くてびっくりしてしまった(当たり前なんだけど)。もともと日焼けしにくくてどちらかといえば白地ではあったけれど、写真のわたしは今のわたしが見たらほとんど北欧人かと思うくらいで、時代を反映して眉は若干太く濃く、口紅の色は当時、ものすごく愛用していたブルジョワの48番(だったかな)が、はっきりと見える。頬紅なんて塗ってなくても明るい色のほっぺたをしていて、なにも塗らなくても睫毛も濃い。三宮のセンター街に、今もおそらくあるであろう、輸入化粧品の安いお店があって(なんて名前だったけかな)、日曜日に大学の友だちとはるばる遠征して買ったものだった。そういう外見の様子は、もちろん経年変化による老化を経験した今からみれば、確かに眩しいような若さに溢れていて、恥ずかしいような気がするだけなのだけど、胸を打たれたような衝撃を覚えたのは、顔の表情だった。なんだかものすごく屈託がないのである。何も考えていないような、いや考えているのかもしれないけれど、いわゆる苦労とか辛酸とかそういうのとはまったく縁がないような平和で穏やかな顔をしているのである(とはいえ、この頃だって結構しんどい思いをしているはずなんだけど)。自分はこんな顔だったのか。。今は生活に追われて、いつも誰かと一戦交える覚悟を決めていることをできるだけ表に出さないよう、しかし絶対に負けるもんかと常に気を張っていて(というか、絶対に騙されるもんか!と思い込みすぎているところがある)、油断も隙もない顔つきをしている。もともとどちらかというと無表情なのではあるが、写真のわたしはとても親切で素直そうな顔をしているようだ。あの頃、わたしはどんな本を読んでどんな映画を見てどんな音楽を聴いていたのだろうか。さくさくと部屋に堆積している自分が通り過ぎた本やCDの山を整理していると、今の自分に一体全体、こういったものの影響がどれくらい反映されているのか、甚だ心もとなくなってきた。結局、なにも肥やしにせずにここまでやってきたのだろうか。脳内バックトゥーザフューチャーしながら、もっと頭をからっぽにしたほうがええなあと、何度も何度も思ったのだった。そういえば、20歳のとき、パスポートを申請したときの証明写真も出てきた。まるで文革時代に農村に下放された北京大学の大学院生が四川省の農村で出会った村娘みたいな三つ編みのおさげに、カーディガンの襟元からきちんと出した丸襟のブラウスを着ている。一体、いつの時代の写真なんだ。母や祖母の若いころの写真といってもいいような自分の顔を見ていると、何を失って何を得たのかと考えずにはいられなくなった。
_ 春先のある日、知り合いから翻訳を頼まれた。日本語から外国語への翻訳で、難しいのは歌詞だという点だけで、分量も多くはないし大丈夫だろうと思って引き受けた。翻訳料を払う、もらうというような話ではないので、翻訳ができた暁に、お昼ごはんでもごちそうしてもらえばOKですよ、というかんじで引き受けた。歌詞には曲がついている。その曲をきいたほうがイメージしやすいのではということだったので、CDを貸してもらえればよいと思ったのだが、新譜を含めて何枚かのCDをいただくこととなった。新しいのを買ってくださったのだと思う。それからも、下書きができるたび、完成版ができるたびに、いろいろなものをちょこちょことくださった。こちらは逆に申し訳ないなあと思うくらいだった。完成版を渡してからしばらくして、問い合わせがあった。実は翻訳した歌詞を公開するに当たり、自分で辞書を使って単語を引いてみたのだという。こちらの表現とわたしが選んだ表現は、どう違うのかという説明をして欲しいという。そのこと自体は簡単で、いくつかわたしの趣味というか好みが先行して、文語的あるいは詩的な語句を使っていたのが辞書(どんな辞書を使ったのかは最後まできかなかった)には載っていなかったり、辞書で引いたときに最初にあがっているのとはちがったりがあったのだと思う。また確かに誤解を招く語句を選んだものもあったと思ったので、その点については、無難な語句に替えたり、説明を付け加えたりもした。難しかったのはやはり最初に思ったとおり、歌詞であることに由来する解釈の問題であった。たとえば、前を向いているという表現があったとしよう。凝視しているのか、何かを考えながらじっとみているのか、あるいは何も考えていないのか。無表情なのか、歌詞の前後から判断してなんらかの喜怒哀楽の含まれる表情があると考えるべきなのかそうでないのか。とおり一変の解釈では間違いが生じたとしてもそれは当たり前のことだろうなと思っていたので、そういう点も含めて、できるだけこちらもいろいろな文献を当たり、人にも教えてもらって、完成稿を渡すことができた。翻訳はできるだけ中立的にと思っているけれど、詩の世界の解釈となると、ある程度、翻訳者の恣意的なことばの選び方が、詩の世界を再構築してしまうのかもしれない。そういうことを勉強できたという点では、よい経験だったと思う。ただちょっと困ったなと思ったのは、わたしの翻訳を、その言語についてはまったく知らない知人が、全部「確認」したということ。クロスチェックはどんな場合でも必要だとは思う。公開するならなおのことだとも思う。しかしなんだかちょっと「いやな感じ」とまではいわないのだが、ちょっと困ったなあという感じがしたのだった。そのことで別に気まずくもならないし、何事もおこらなかったわけなのだけど、人になにかをお願いするのは難しいことなんだなと、今さらなんだけど思ったものだった。
_ 先日の日記が、なぜかしり切れトンボになっていたのは知っていたのだけど、もうどうやっても直せなくてなんだか自分がものすごく「無能の人」、あるいは鈍感力を発揮しているおばはんに思えてくさくさしていた。
週末くらいから、異様な暑さが本格的に始まって、諸般の事情からクーラーも付けられないので、ひたすら団扇で扇ぎ、夜中であろうが打ち水ができるところには水を撒いたりしていたので、とにかく一日中非生産的に眠気が押し寄せてきてたいへんだった。朝昼晩、行水していたような気がする。
それで考え方を変えて、ある日は朝から電車を二回乗り継いで行かねばならないようなところにある超大型ショッピングモールに出かけてみた。節電てどこの国のこと?といわんばかりに、がんがんに冷房が効いていて、寒いくらいだ。そ、それに、これが今時のショッピングモールなんだね!!とにかく広い!すごい!昼時になっても、フードコートに空席がある!フードコートがなんだか某国を思わせる料理やさんの展開で、ええ〜ここはどこなんだ〜と、思わずテンションが上昇したおかげで、せっかく冷えた体がまた暑くなってしまう始末で、とにかくビックリしたです。広いんだな〜。そして、いろんなものがあるんだな〜。QPさんは、いつもはショッピングモール備え付けの子ども用カートに乗るのをとてもいやがる。自分はそんな子ども騙しは嫌いなんだという態度で、断固として抱っこ紐から下りない。なので、その時は家から乳母車に乗ってきていたのだが、そのモールに備え付けの子ども用カートが、QPさんのハートを鷲づかみにしたようで、乗ると言ってきかない。いつもは外で奇声を上げたりはしないのに、とにかく大声を出した。挙げ句には、乳母車から立ち上がろうとする。もちろんシートベルトをしているから、乳母車はその反動で、あわや転覆しかかるし、ほんとに往生した。よその子はみんなとても静かだし、おとなしいのに、うちの子はほんとにほんとに、どこの子や〜というくらいに自己主張というのがわがまま放題で、とにかく気がどんよりと重くなってしまった。せっかく涼みに来たのに、もうそんなことはどうでもいい漢感じになってしまったのだった。予定では、夕方涼しくなる頃に家に着くようにと思っていたのだけど、炎天下の1時半過ぎに、駅から家までの道を歩く羽目になってしまった。帰宅しても、なお外で遊びたがるQPさんを宥めながら、無理矢理DVDを観たりしたのだが、もう利かん坊の小鬼と化した子どもは恐ろしい泣き声を上げるばかり。なんとか用意した夕食も、自分の好きなように食べたいと主張して、思い切り派手に散らかしてくれた。まだまだ半分以上、器に残っているのにごちそうさまをして、お皿を重ねて流しに持って行ってくれるので、こちらの気分はまたどんよりしてくる。賢いのかあほなのかわからんのです。お風呂でも、湯船のお湯をいかにして飲ませないようにするかを巡る攻防があって、こちらはひたすら消耗していた。とにかくですね、飲みたい!と思ったらなにがなんでも飲みたいわけです。だから、愛して止まない丸形タッパーでお湯を汲むことを禁じられても、泡立てネットを浸してそれを口に含んで飲むとか、タオルを浸すとか、挙げ句の果てには蛇口に口を付けるとか、などなどなど。そういう毎日を過ごしています。もう夜も昼もない。
_ 最近読んだインターネット上の文章で、とても心に残ったもの。「…どの時代でも人は、今出来ることを一生懸命にやることで道が開けてくるのだと思う。…」時々、読ませていただいている方のブログで、『JIN』というドラマの感想を書いておられたもの。ドラマは観ていないし、こちらの方の感想を読んであらすじを把握しているようなものなので、この文章だけ取り出すのはなあという気が多少するのだけど、そうだなあ、、わたしはそういうところがちょっと足りていなかったよなと思って、はっとしたのだった。今日は朝から子どもを連れて図書館へ行き、絵本を借り直したり、新しい本を借りたりして、そのまま特売日のスーパーを回った。帰宅して食事の準備をして子どもに食べさせ、後片付けをしたら、またわたしだけ電気が切れたように寝てしまい、大声を上げて泣く子どもに起こされて、まだ日差しの強さがぎんぎんの中、公園に出かけた。バネ仕掛けのキリンやパンダの乗り物に子どもを乗せ(自分も一緒に乗ったり)、かけっこをしたり鬼ごっこをしたりして、約一時間。とっても喉が渇いたので、またスーパーに寄って冷たい飲み物を買い、途中で飲んで帰宅。子どもは疲れてバタンキューと昼寝。そのすきに家事を片付けて、もうこんな時間だ。でも、もっと一所懸命がんばってみよう。もうなにをしてんだかわからんのだけど、がんばらないと。そんなこと
_ この日記、相変わらず、一旦更新すると、二度と修正できないままになっているので、ときどきとんでもない綴り方の時があって、ひとりであ゛〜と叫ぶことが多くなった。でも仕方がないので、ドンマイ。
_ 山の家の片付けへ。バスの時刻表が変更されているということを知らずにいて、えらい長い時間、ぼーっと待つ羽目になった。久々の山の上で一汗搔いたが、下界よりも涼しいのであっという間に時間が過ぎた。真っ直ぐ帰宅して家にたどり着いたら、自分では気づかなかったけれど、疲労困憊していたもようで、食べ損ねたお弁当を片付けたら、もう一瞬たりとも起きていられなくなった。それでも子どもをお風呂に入れないといけないので、一緒に泡で遊んだり、数え歌を歌ったりしているうちに、いつもの頭は覚醒しているのに体はもう燃料切れ状態になり貧血。絶好調の子どもをなだめすかせて着替えさせ、自分はお風呂上がりにカルピスもどきを一杯飲んでしばらく起きていたけれど、知らない間に寝てしまっていた。子どもはその間、一体、どうしていたのだろうか。。気がついたら、子どももわたしの隣で寝ていた。中途半端な時間に目が覚めてしまって、まずいことになった。。そうそう、今日の夕食、子どもは一体何を食べたのだろうか。ちょっと謎だけど、ジャガイモを食べていたような記憶がある(もちろん生ではありませんー)。
_ 思考停止状態が長く続いている。子どものことを考えたら早く動き出さないといけないはずなのだけど、まだ動き出せない。そういう甘いところが自分の一番だめなところ。子どもは一体、何歳くらいから、自分の親のことを記憶に刻むようになるのだろう。わたしの場合、明らかに弟が生まれる前後から、自分の記憶というものが始まっている。いつか書いたことがあるけれど、母が入院していたと思われる病院の廊下のベンチから落ちて、鼻血が出たこと、わたしが抱っこできるくらいに首も座ってちょっと大きくなった弟を膝に抱えた写真を撮ったこと(写真を見ることで、その記憶が再生産されたということでもあるのだろうとは思う)、いつもいつも弟一番の家族になって弟に意地悪をしたら、腕が脱臼してしまい、以後しばらく、脱臼癖がついてしまって、母にひどく叱られたこと、、。だから大体、三歳前後から、自分の人間としての記憶が始まったような気がしている。今なら子どもと離れるようなことになっても、子どもはわたしのことを覚えていないんじゃないか、そういう考えが頭に浮かんでは消えていく。そして、すぐに子どもの耳のことを考えて、一瞬たりともあれこれと考えたことを打ち消している。子どもは、わたしが子どもの頃に買ってもらった古いぬいぐるみと、大学院生の頃に買ったちょっと新しい古いぬいぐるみを喜んで、一緒に寝ている。ぬいぐるみと子どもの顔の大きさがほぼ同じで、三人キョウダイみたいにみえるのが、おかしくって。明日はもうちょっとがんばろう。