_ 『苦海浄土』。ちびちびとしか読み進められないのがもどかしい。弱者という立場に追い込まれてしまうことに、当事者も、その周りの人びとも、無自覚だった時代があった。今はどうなのだろうか。さまざまな立場の人に、手厚いサポートを提供する種々のサービスがあるように見える。昔は問題とならなかったような事柄でも、今はきめ細やかに焦点が当てられているようにも見える。人の世の中は、そうであれば楽になってきているのかと思えば、そうであるとはなかなか言い切れない部分もまたあって、世の中がどんなふうによくなってきたのか、わるくなってきたのか、昔と簡単に比べることに意味が見いだせないようになっているともいえる。そんなことを考えつつ、夜中に少しずつ読み進めている。それにしても、石牟礼さんが美しい日本語で描く水俣の漁村の人びとの暮らしは、なんと人間的な豊かさに溢れているのだろうか。美談ばかりではなく、哀しい話がたくさんある。そこを生き抜く人びとの力強さを前にすると、この人たちが、今われわれが公害とは無縁の環境でのんびり(それぞれの範囲内でそれなりに苦しく)生きていられるのかなとも思えた。水俣だけでなく、四大公害の被災地はすべてそうなのかもしれないと思ったりもした。苦しいときほど、人間の真価がみえるというけれど、そうであっても情けないわたしなどはどうすべきなのか。一層、頭が痛くなってくる。
_ 花やさんの前を通ると、カサブランカがたくさん出ていた。思い切って一本、買う。帰宅して、花瓶に花を挿すと、部屋中に濃厚な百合の匂いが立ちこめた。長年、大事にしてきたハゴロモジャスミンが枯れてしまい、今年の季節には花やさんで小さな鉢物を買ったのだった。来年もきっと咲いて欲しい。花のある生活はやっぱりよい。
_ 土鍋でご飯を炊くようになった。おいしい!子どもも喜んで、ご飯ばかりを食べる。
_ 背中の真ん中あたりにまで達するようになった髪を切ろうと思っている。長いのにはもう飽きてしまったというのもあるけれど、変えられる部分から変えてみるのもいいかなと思って。ショートカットだと、小まめに手入れをする必要も出てくる。いまのわたしには、それがどういう種類のことであれ、なにかとにかく「やってみて」「がんばってみる」というのが必要な気もするからなのかもしれない。長いのは、それはそれで便利だし経済的でもあるのだけど、そういう自分にとって楽な方向に流れるのがよくないのだと思い始めたということでもある。遅すぎるといわれるかもしれないけど。子どもはわたしが誰だかわからなくて、泣いたりするかもしれないなあ。
_ なすび、ジャガイモ、ニンジン、トマト、タマネギ、ひき肉でカレーを作る。ルーを入れる前に野菜などを小鍋に取り分けて、あらたに絹ごしを四分の一丁、さっとレンジで温めてほぐしたささ身を入れて、QPさんように赤ちゃんカレーを用意した。わたしのカレーは毎回、三種類くらいのルーを少しずつ入れて、仕上げに黒砂糖、ヨーグルト、牛乳、ウスターソース(もしくはケチャップ)を入れる。子どもとふたり、はふはふしながら、ときどきお互いのカレーを味見ごっこしながら食べた。
_ 夜中に目を覚ますと、まずトイレに立ち、水を一杯飲んでから寝床に戻ることにしている。それからできるだけすぐにiPodのイヤホンを両耳に突っ込み、タイマーをセットしてから、音楽を聴く。大概は、プレイリストにしているいくつかのお気に入りのリストのどれかひとつ。「永遠と一日」のメインテーマは、ショパンのノクターンの一曲にとても似ている。これを聞く度にいつもいつかショパンのノクターン集のCDを借りてこようとおもうのに、いまだ実行していない。体は睡眠状態、頭は覚醒下にあると思っていて、眠りなおすのに時間がかかるだろうなと毎回思うのだが、実際には一曲目のほんのイントロ、そうでなければサビの部分に差し掛かるかかからないかの時点で、もう寝入っているようだ。毎日そうやって、ルーティンになっているのに、毎日、こんなことするのは初めてのことといった奇妙な新鮮さを感じたりしている。
_ 先日、子どもと一緒に大きなショッピングモールへ行ったとき、おもちゃ売り場で、ロディという室内用のゴム(なのかな?)の木馬がバーゲンになっているのを見た。3千円という値段は、あとで家に帰ってから調べてみると、定価やスーパーの小売価格に比べると3-5千円も安いものだった。年齢的には少し早いのだけど、活発なQPさんのきっと気に入るおもちゃだと思っていたので、売り場でその値札を見たときは、なんとかして買ってあげたいと思ったのだった。でもそういう余裕はなく、とにかく子ども手当が入ったら急いでもう一度、まだ売れていないかを確かめに行こうと思っていた。そして今日、見に行ったところ、もちろん、そんなものはとっくの昔に売り切れていたのだろう。影も形も見えなくなっていた。かわいそうなことをしたなあと、普通の親だったら、3千円くらいお財布に入っていただろうに、わたしの方が思いっきり気落ちしてしまったのだった。でも気を取り直して、家に帰って、いつものように、襖の陰を使いながら、二人で鬼ごっこをした。くるくるくるくると二人できゃっきゃと言いながら、追いかけっこをして、何がおかしいのか、ずっとからからと笑いながら、疲れて倒れて、笑いすぎて息ができないくらいになるまで遊んだ。梅雨空をからっとさせるような鬼ごっこをしたあとは、冷たい牛乳を一人カップに一杯ずつ飲んで、昼寝をした。QPさんの寝顔は天使のようで、またいつかご縁があれば木馬が家に遣わされてくることもあるやもしれぬと思わせるものだった。体を動かすと、頭がすっきりと晴れて気持ちがよくなる。また明日も楽しく過ごせたらそれで十分。