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  1. ね (12-25)
  2. ラギ (12-25)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

22-12-2012 / Saturday [長年日記]

_ ずっと山の方へ、山の方へとバイクで走った。雨雲が追いかけてくるよりも早く、風が通り抜けるのを横切る。頂上近くでバイクを降りて、歩いてアタック。ずっとずっと下の方に見える街並みがジグソーパズルのように見えた。峠の茶屋でジンジャーミルクを飲み温まってから山を下りた。バイクに乗っているときが一番楽しい。日本でもバイクに乗ればいいのかな。よし、宝くじに当たったら考えてみよう!


21-12-2012 / Friday [長年日記]

_ 日本にいるときは、あまり牛乳が好きではなかったのに、こちらに来てからは、毎日ぐんぐんと牛乳を飲む子ども。多いときは、一日に500mlほども飲んでいる。こちらではフレッシュな牛乳がなくて(あるのだけど、かなりの確率で腐敗している)、紙パック入りのロングライフ牛乳を飲んでいる。それもローファットを飲ませているのだが、これがおいしいらしい。わたしも時々飲むのだけど、ちょっと甘い味がついているのではなかろうかと思うほど、牛乳くささがない。子どもは保育園のおやつとして125mlの小さめパックを3つ持って行き、帰宅してからも食後、眠れないときなどは普通に2パックほどをごくごくと飲む。健康でよろしいのだけど、他の食べ物もものすごい勢いで食べているので、こちらに来て2週間で、ものすごくぷくぷくと太ってきたのであった。おかっぱの髪の毛の両側からほっぺたがぽこっと飛び出している。健康でよろしいなあと思う。小さい子なりにストレスもあろうに、毎日たくさん寝て、たくさん食べて、たくさん泣いて笑って、元気に過ごしてくれているのがうれしい。こちらのことばもすぐに思い出したのか覚えたのか、相変わらず日本語先行ではあるけれど、わたしが話す某国語をオウム返しで話したり、耳の方もよく聞こえているような感じなのがうれしい。日本語がもともとおかしいように聞こえていたので、これだけ某国語の聞き取りができるならば、案外、どこでも大丈夫なのかなという気にもなってくる。子どもが元気でいてくれることが一番うれしい。


19-12-2012 / Wednesday [長年日記]

_ 仮に今までずっと行き来していた場所をAとしよう。そして今いる場所をXとしてみよう。

Aはとにかく明るい場所で、みんな話し声も大きいし、黙っていると怖く見える人は、話すとさらに怖くなるほど声が大きく身振り手振りも大きかったり、逆にとことん無表情で無口でさらに怖い場合もあったりで、もうざっくりひとくくりで言ってしまえば、見た目が期待を裏切らない。だからといって悪いヒトというのではもちろんない。一旦、仲良くなってしまえば、ずっとずっと、仲良くいてくれる。ずっとずっと忘れないでいてくれる。

で、Xの人々。見た目はとことん穏やかであるし、当たりも柔らかい。親しくなればきわどい冗談を言うのも好きなことがわかるし、とにかく話が通じやすかったりもする。つまり、回りくどいことを言わなくても、はいはい了解、という感じでわかってもらえるのである。表面的な穏やかさと親しみやすさや感じの良さが、ただの見せかけであることも少なくない。親しくなってみたり、こちらがどんな人間なのか値踏みされて低い評価が出れば、豹変する人もまた多いのだ。だから朝礼改暮や朝三暮四的な対応をされることが、実に多い。そういうわけで、何度こちらの人と気まずい状態になったことか。はっきり言って、みなさんのことがようわからんのである。え−、さっきまで(あるいは、昨日まで)○△×××って言ってたやんかー、ということがあまりにも多くて、ああ、そっか、やっぱり気が変わったんだな、やっぱりほんとはいやだったんだな、でもなんでそう話してくれなかったんだろう…と、とにかくややこしいことになりがちである。ほんとにやりにくい。

街で借りていた下宿の荷物をある人に預かってもらっていた。そこには荷物置き場に相応しい(つまり人間がとても住むとは思えない様な状態の)部屋があった。一年間という契約で、日本円で言えば約2万円で借りていた。ちなみに、そんな部屋なので、本当だったら2万円も取るというのは、先方にとっては、あるいは先方の属する社会通念的には本来は気まずいくらいのものである。それは誰に聞いてもそのような返答があるのだから、間違いないと思う。要するに、雨露はしのげるけれど、人間が寝起きするような場所として整備されていないという場所。今回、荷物を取りに行ったら、その値段は実は半年分の値段である、ついては不足分を支払えという説明があった。君子豹変的に、そこの大家さんがそのように話してきた背景にはなにがあったのだろうか。

大家さんは、わたしがこの物置を借りたあとに、たくさんの人が続々と来て、この部屋を借りたいと行ってきた。もっと高い料金でである。なのに、わたしの荷物があったから、部屋を貸せなかった、その損した分を払えということのようだった。このごたごたは、わたしにはとても納得のいく説明ではない。そもそも契約書だってあるじゃないか。それをなぜ今さらにそんなことをいうのか…としか言いようがなかった。少しは余分に払ってもいいけれど、全然理由が納得いかない。そもそもその契約をした相手とは別の人が出てきてそんな話をするのである。いや、わたしはあの人と契約したんですよというと、あいつは自分の子どもだけど、頭が弱いからそんな契約をしたんだ…などという。子どもの時から計算ができないんだ、なんて言われてもなあ。

こういうときどうやって解決するか。わたしがこちらに来てから学んだストラテジーとしては、まず絶対に納得できないと思ったら、まず一旦判断保留を表明する。しかる後に、わたしにはとても解決できないい納得できないので、地域の長の人に調停してもらいましょう、と切り出す。すると、たいていの場合、そんなややこしい段取りを取りたくないのだから(しかも、そんな部屋に二万円どころか四万円も要求していることがわかれば、こちらの人は逆に恥ずかしいことになるのだ)、ああわかったわかった、今の話はなかったことにしよう、という展開になってしまうのである。今回もその手段で解決できたのだけど、気持の問題として、少し余分の賃料は渡した。もちろん後味は悪い。ひじょうに悪い。ばたばたとしてこちらに慣れてきたかなと思うと、大概、こういうごたごたが発生する。いつもの展開と言えばそのとおりである。でも気持の悪さにはまったく慣れることはない。


17-12-2012 / Monday [長年日記]

_ 新しく取った資格を試すために、こちらの大学に履歴書を送ってみたのが出発の三日前のこと。翌日には学科長から返信があった。ちょうど今、来年2月に契約が切れる人の後任を探すために動き出そうとしていたところで、願ったり叶ったり。こちらに来ることがあったら、ぜひ知らせて欲しいという内容だった。で、こちらに来てから一週間目に面接に行ってきた。基本的には人材不足なので、ぜひ採用したいとのこと。しかし問題は給与を含めた待遇のことで、もしかしたら納得はしてもらえないとはわかっている、しかし一度、検討してみてくれはしないかという話になった。ここにこういうことを書くのは、もう断った話だからなのであるが、こちらのブルーカラー労働者の最低賃金以下の月給を提示されたのだった。ただし、大学の正規の職員だし、保険は家族全員かけてあげる、住宅についても職員住宅ないしは外国人研究者用の寮に入れるようにするとのことだった。しかし、ブルーカラーの最低賃金の7割くらいの給料である。ということは、普通のホワイトカラーの人々(大学の先生も含めて!)の5分の1くらいの給与ということである。納得いかないとかそういう問題ではなくて、ただただ笑いそうになった。学科長は、自分の給料だってそれくらいだという(嘘であることは百も承知)し、学位もあって資格もあって凸凹大学なんだから、そのうちすぐに待遇もよくなりますよと言うのだが、それを鵜呑みにできるはずもない。もちろん、わたしは日本に帰ったら、ただちにパート職に復帰するような、考え方によってはこちらのブルーカラーの方々よりもさらに薄給の貧乏人ではある。これは間違いない。でも、さすがに提示された給与では、ガソリン代や携帯電話代だって払えないくらいの金額なのだった。とても無理。夫がいるとかいないとかそういう問題ではなくて、いざというときに、日本に帰国するための貯金がまったくできないことや、国民年金を払うための余裕もないくらいの金額に甘んじてはいけないのではないかと思ったのだった。がんばれるうちは、もう少し、日本でがんばるしかない。今回、そういうことを思ったのだった。すごく期待して資格を取ったわけではなかったけれど、こういう事態も想定していたから、あまりショックはない。絶望しすぎているから、もう期待もなにもできないというほうが正解なのかもしれないが。


13-12-2012 / Thursday [長年日記]

_ 毎朝5時過ぎに起床するのは日本と変わりない習慣。子どもが起きるまでお茶を飲んだり日誌を書いたりインターネットをざざっとチェックしたりしている。もうずっとGoogleのリーダーで他のみなさんの日記やブログを拝読させていただいているので30分くらいで終わると、あとはまた少しずつストレッチとヨガを再開している。6時頃、子どもが起きてきたら一緒に朝ご飯を食べて、食後にシャワーを被って着替えて、7時半には保育園へ送っていく。保育園から戻ったら、子どもの服や小さいものだけを手洗いする。柔軟剤に浸している間に食器を洗って、床を掃いて雑巾がけ。それが終わって洗濯物を干して、今度はコーヒーを入れてからインターネットで新聞を読む。用事があるときは午前中に出かけ、ないときはちょっとのんびりして本を読んだり紙の新聞を買ってきて気になる記事をクリッピングしたりしている。紙の新聞で、わたしが好きなのは(と書くと実は語弊があるのだが)、死亡広告である。追悼文ではなくて、市井の方々が亡くなったときに、家族が出す新聞広告だ。これがとても興味深い。例えば、60歳の女性が亡くなったとする。するとこの女性の両親の名前とその生存状況と名前、その女性が結婚していればその義理の両親の生存状況と名前、それから夫があればその生存状況と名前が書かれる。それから子どもの名前が全員分。夭逝した子どもがいたとすればその子も含めて生存状況と名前、子どもに配偶者がいれば生存状況と名前。結婚した子どもが外国に住んでいればその国名。修士以上の学位をもっているようであれば、持っている学位のすべてが子どもの名前には表記される。さらに孫がいればその名前と学位。ひ孫がいれば…と、情報はすべて画一的だけどずんずんと明らかにされる。このいわば即席家系図がおもしろいのである。名前の付け方にも流行廃りがあるのは日本と同じで、そのときどきで、おそらくは家業との関連やら親しい人々との関連で、思いがけない名前を見ることも多い。日本人の配偶者がいることもある。先日は、恐らく三姉妹であろう女性の名前が、Fuji Yama, Yuki Yama, Yuri Yama というものを見た。亡くなられた御母堂の死亡広告である。亡くなられた方の名前はAngericaさん、享年43歳。まだお若い。明らかに事前に撮影された遺影を載せることが多いのだが、このように若い方は、全然そんなことを想定していないような、行楽に行ったときのスナップ写真が出される。あるいは免許証などの証明写真を引き伸ばしたもの。わたしは全然知らない人々の死亡広告を読みながら、いろいろなことを考える時間をとても大切にしている。病院でなくなったのか自宅で亡くなったのか、お葬式はどこでするのか、埋葬されるのはどこの墓地なのか、などなどなどなど、自分の知らない某国の人の生活の一部を新聞から知ることができるのが興味深い。VIPな人も、独身で亡くなった人も、普通の人々も、出す人は死亡広告を出す。なぜなのか。自分のアンテナは、できるだけ広い範囲を受信しているつもりでも、やはりどうしたって、関心のある事柄以外のことは見落としてしまうことが多い。そういう情報の一部で、家族のあり方の一部が見える死亡広告は、案外、楽しみ(というとまた語弊があるのだが)にしている人も多いと聞く。いつ頃からこんな記事がでるようになったのかは知りたいような気もしている。


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