_ 引っ越しの準備がまったく進まず、気持がまったく沈んだまま、必死になって元気を出そうとしている。だからなのかずっと頭が痛い。元気を出してひとつずつ片付けいかなければ。2年前に退官された恩師の奥様からどんな準備をしていけばいいか電話で教えてもらった。奥様は凸凹大の同窓でもあるし、やはり日本語を教えていらした。それで久し振りに人と話して笑って、ちょっと頭に空気が通った。ちょこちょこと必要な本を集めているんだけど、わたしにできることってなんでしょうという質問に対し、やっぱり誰しも専門性というのがあるから、あまり日本の公式な日本語教育の要領に従うのではなく、アカデミックライティングとかきちんとした文章が書いたりするような指導を目指したらと言われる。そんなことができるんだったら、今ここでこんなことしてないよな…と思ったりしたけれど、そういう余計なこと考えるから頭が痛くなるのだと思い直して、持って行く本を選びなおしたりした。でも本当に、しんどい。頭の芯がずっとぱんぱんにふくれあがっているような気がしている。
_ 仕事は決まったというのに、先立つものがなくて渡航できないというのは、もう笑い話である。どうしたらいいのかもう考えられなくなってきた。笑うしかないか。
_ 頭にどんな種類のことばがつくのかわからないけれど、強迫神経症めいた状態だったのだろうと思う。7月をどうすごしたのかまったく記憶がない。それくらい暗く俯いて就職活動に全エネルギーを注いでいた。切実な理由としては保育園に子どもを預けられる資格を喪失してしまう恐怖心があった。もう終わりだ。履歴書を出したり、インターネットからエントリーした数は100どころじゃなかったと思う。もちろん全部、外れた。正確にはひとつ採用になったのがあったのだが、精神的に辛くてかかってきた電話に出られないようになっていたために、落としてしまった。どうせ残念ながら…という連絡しか自分にはかかってこないと思い込んでいたからだ。生活保護を受けるという選択は、保育園を追い出されてからと考えていた。もう切羽詰まりすぎて、どうやって毎日を過ごしていたのか覚えていない。8月になってからも出す履歴書が全部外れで、インターネットで申し込んでも「残念ながら…」と返信がくるのはよいほう、まったく反応なしという結果の連続で、就職できるのが先かあるいは…と考えていた。10日前、某国から手紙が届いた。去年の終わりに履歴書を送っていた大学からである。20対1の面接や学部長との面接を経て採用となっていたものの、ずっとずっとずっと音沙汰がなくて、こちらから出したメールにも返信がなくて、もうなかったものと思っていたところからだった。待遇もなにもかもまったくこちらの希望にはほど遠いけれど、とりあえず仕事が見つかった。たぶん、そこがベストなのだろうと思う。しばらく気の抜けた風船のような日々を過ごしてそしていま、渡航費の金策に東奔西走している。お金がなくても人は生きられるとは思うし、なければないなりになんとかはなるものだ。それでもお金があると心に余裕ができる。心に余裕ができると、ひとつの凝り固まった考え方から脱却できる。貧しくとも心に太陽をとか、清貧の思想とか、いろいろあるのも知っている。だからくじけてはいけないのだけど、みじめな気持に押しつぶされてしまうこともあるものだ。お盆の間だけはみじめに落ち込んで、それからまたしばらくがんばってみようと思う。もうちょっとがんばったら、なにかがきっと変わるはずだから。
_ 「ユミヨシさん、朝だ」と、なぜか口をついて飛び出したことばに驚きながらカーテンを開けた日曜日の朝。何年も読んでいない小説の、最後の台詞だ。5時半とはいえ猛烈に暑い。今日も一日がんばらなければ。
_ 100センチメートルの影と164センチメートルの影が並んで夕方の門前町をとおりぬけて、賑やかなスーパーのある広場に向かったのは、3歳6ヶ月検診の帰り道。子どもはちょうど100センチメートルだった。計測器を読み上げる保健師さんが、まるでビンゴゲームで当たったかのように甲高い声で、数字を告げると、記録する係の人が、100センチですかと重厚な声で復唱した。子どもは誇らしげでに頭をつんと上げて、さっさと自分の服を自分で着替えたのだった。スーパーでは店内にあるイートインコーナーのあるパンやさんにさっさと向かい、だれに教えてもらったのか、トレーとトングをつかんで、小さな四角に切ったミニサンドイッチのパックをあやふやな手付きで乗せている。そして「ママはこれ!」とメロンパンを掴んだ。テーブルにトレーを置いて、紙コップに水を汲みにいっている間に、器用にパックをあけてサンドイッチをもうほおばっている。一体、どこで、誰に教えてもらったのだ。小さな四角の一列を全部食べてしまった子どもは、スーパーの隣の公園に行こうと、もう立ち上がっている。パンダとトラの乗り物に交互に乗った後、滑り台を3回滑って、また動物の背に乗って満足したらしい。家に帰ると、さっさと服を全部脱いで、お風呂に入ってしまった。存分に水遊びをして歯磨きもしてしまったら、電池が切れたように寝てしまった。三歳六ヶ月というのはもうなんでもできるのである。子どもは翌朝5時に目を覚ますと、またすたすたと一日を始める態勢に入った。わたしの子ども…なのだろうか。えらいものである。