_ 子どもが持って行ったオリーブの苗木は、みんなが植樹祭をしてくれて、クラスの花壇に植えてくれたという。子どもはまだ訳が分からないだろうけれど、かあちゃんは自己満足的にうれしかった。
わたしが就職できたということはみなとても喜んでくれているのだろうけれど、いつまで続くだろうか…と思っているところはあると思う。それはことばの端々から感じられる。悲観的な見方をしているとかシニカルに見ているからそうなのではなく、わたしに関してはみなそれぞれに不安を感じているのだろうと思う。ここには一度も書いたことはなかったけれど、数年前に父の会社が倒産した。夢にも思わないような出来事であったため、家族だけではなく親戚も含めて、みなたいへんな時期を過ごした。バブル時代もその後の低成長の時代も、ずっと盤石の態勢で来ていた会社だったのがなくなるなんて、誰も思わなかった。それで文字通り、なにもかもなくした。家族も離散した。その後、縁あって結婚して、子どもが生まれて、人並みの生活のようなものができるようになった。それでもずっとたいへんだった。細々と大学の研究を続けてきたけれど、それももう無理になって、新しい方向転換をして、びっくりするくらいの薄給だけど、なんとか仕事も見つかった。これからもずっとたいへんだと思う。なくしたいろいろなものも、もう二度とは手に入らないだろうし、人との距離感も決定的に変わってしまった。
明日、わたしは日本を後にする。もう帰って来られないかも知れない。でも今日で一旦、死んだつもりになろうと思っている。明日の朝、起きたら、また新しい人生を始めようと思っている。今度はもう少し幸せになろう。そう思っている。
行ってきます。
_ 子ども、保育園最後の日。朝一番の先生が泣きながら、「こんなにかわいい子がもう来週から来ないなんて…」と涙ぐんでくれたのを見て、わたしも目が潤んできた。3ヶ月から待機児童として一時保育でお世話になり、この保育園でたくさんのことを学んで大きくなってくれた。わたしだけではとても今の成長ぶりはなかった。子どもも保育園が大好きでお友達が大好き。今のままの元気で素直な子どものよさをずっとキープしていくのは、今度はわたしの責任だ。
子どもの代わりにと、オリーブの小さな鉢を持って行った。子どもは貼り絵で作った先生や友だちへの手紙を持っていき、人生で初めて、好きな人や場所に別れを告げるという経験をする。夕方、迎えに行くとき、きっとわたしも辛いだろうなあ。今日は子どもに精一杯、甘えさせてやろう。
_ いろいろと、心配して助けてくださるかたがたに恵まれていることに感謝しつつ、ようやく本当に出発する用意が調った。それだけのものを背負っていくわけだから、がまんできないと退却することはもうできない。
久し振りに大学に行って、何人もの恩師にご挨拶をして、お世話になった図書館の司書のかたがた(もちろん母校のほう)といろいろな話をして、もう疲れてしまって行けなかったので吉田山に向かってぱちぱちと手を叩いて頭を下げて、久し振りにミルクコーヒー飲んで帰ってきた。帰りに鴨川がみた風景が、ずっと大昔、新入生だった頃からまったく全然変わっていなくて、ゆくかわのながれはたえずして、しかも、もとのみずにあらずとはいうけれど、全然、なにもかわっていないんだな、いつか自分も周りもかわったなあと思うことがあるのかなと思ったり、若い頃の真剣な意欲は確かに消え失せてしまったよなあと思ったりして、茫然としていた。
明日からまた元気を出して、きれいにして出立しよう。
_ -4千安打を打つために、8千回悔しい思いをしてきた…-
比べることに意味はないのだろうけど、わたしはまだ1千回の悔しい思いもしていないのかもしれない。こういうことばはなかなか出てこない。やれることをきちっと重ねていかねば。だめでも体がきくうちは、ずっと挑戦し続けていくしかない。それしかない。
_ 商店街を歩いているとき、歯医者のウィンドウに映った人影がものすごく暗いオーラを放っていて、ぎょっとしたら、自分の姿だった。背筋を伸ばして歩かなければ。あるいは前を向いて歩くとかしないと。