_ 1月の下旬に、ビザの更新のため、5日間ほど、河童国に出国した。大学院で一緒だった元留学生が勤める大学の教職員住宅に泊めてもらったのは、旧正月目前で、ホテル代が高騰していたことが一番の理由だった。結局、ヨーロッパ人の先生の部屋の一室に泊めてもらったのだが、このアパートの部屋がすごかった。
広い広いリビング、広い広い台所(料理はIHでする!)、広い広い洗濯室兼物干し室、広い広いメインベッドルーム(バスルームあり)、適度に広い客用寝室が2室。家族が住むことを想定しているから、そのほかにも客用バスルームなどがある。一番すごいのは、どの部屋も2面、窓があること。角を利用して、必ず窓が2面ある。外観がちょっとイレギュラーな形をしているのはそのためである。だから、どの部屋もおそろしく風通しがよい。しかも明るい。天井が高い。すごい、すごい。こんな部屋に住めるんだなあ、大学の先生って。。わたしの住むアパートと似ていることは、天井が高いことだけだったと思う。部屋の家具は全部イケア。料理はあまりしないらしく、台所はとてもきれいだったけれど、歩いて3分ほどのところに、各国料理が集まる安くておいしいカンティーンがあるから、それでいいのである。教職員用ジムとプールはすぐ隣にある。
うらやましいとか、自分の状況と比べてどうだとか、考えることすらばかばかしくなるほどの違いである。子どももわたしも、あわただしい滞在をのんびりとすごす事ができた。とはいえ、あー、はやく自分の状況をなんとかしなければという思いも、やはりまた火がついたように燃え上がったのだが、帰国したと同時に一瞬にして消沈。様子を見ながら、こちらのテンポで対応していくしかないのだ。
_ あっという間に、一か月が過ぎてしまった。先月末にオファーがあって、昨日と今日、とある地方自治体の首長が訪問、いろいろな打ち合わせや調印式の通訳を務めることになった。で、いろいろ準備したりなんだかんだであっという間に二月が半分過ぎていた。で、昨日と今日が本番。あ”〜〜、ほんとに頭真っ白になって死にかけました。反射神経で通訳出来る部分と出来なかった部分があった。緊張するということは、不思議となかった。なぜだろう。それよりも、もう単語がひとっつも出てこなくて、ずっと頭にかすみがかかっている感じがした。30点の出来。赤点以下だ。こんなにできなかったっけできなかったっけ、、、と落ち込む余裕すらなく、通訳の先輩に電話してちょっと元気出して、夜は友人たちにおいしいものをたくさん食べに連れていってもらって元気出してがんばろうと思っているところ。今回の出張中、子どもは夫と留守番。初日はおやつもごはんも食べられないほど泣いて泣いて、たいへんだったそう。今日も泣きながら電話してきた。電話で話しても話しても、泣き止むどころかますます悲しみが深くなってどうしようもない様相であることが見えるようなほどになる。かわいそうなことをした。子どもがもう少し大きくなるまで、遠出の出稼ぎは控えたほうがいいだろうとも思いつつ、でもそうしないといろいろ困るのも事実。明日の午後には戻るので、子どもとたくさん遊ぼう。
_ 寒中お見舞い申し上げます。当地に来てからは、更新の回数もぐっと減ってしまい、ときどきうまくインターネットがつながったときだけ、思い出したように書くようになってしまいました。それなのに、ここをのぞいてくださって、ときどきメールをくださる方々がいてくださることに、改めて感謝を申し上げます。とても励まされています。
お正月は大晦日に書いたように、雰囲気すらないもので、子どもと一緒に近所を散歩して、モールで買い物。二日は本当は出勤日だったのだけど、元日の夜から具合が悪くなり、休み。風邪を引いた模様。三日は出勤して試験監督、午後からどうしても会わなければならない人のお宅に子どもと出かける。ここで、子どもがわたしのかばんの内ポケットを狙ったかのように、出してもらった飲み物の中身を全部注ぎ込んでしまった。かばんの中にはほかにもいろいろと大事なものが入っていたのだが、内ポケットに入っていたのは、携帯電話。携帯はスライド式の古風なスタイルの電話ではあるが、メールのダウンロードもできて、ビデオもついている、新しいのか古いのかよくわからない中途半端な機能のもの。これが完全に水没した上、液晶の中にも飲み物が入ってしまった。修理代のほうが高くつくことになるほどの被害。子どもも何がおきたかはわかっている様子。はあ~とため息が出た。四日は、前日の夜に突然電話があって、やはり試験監督。しかも会話の口答試験。風邪でずるずるなのに、やむなく出勤。五日は一日家で休む。六日も試験。。。というわけで、正月らしさゼロでした。今月末の旧正月のほうが盛り上がる国なので、むべなるかなでもありますが、年末年始に学期末試験をするというのが、やはり日本人としては、全然理解できなかったりします。
前期の労働契約書もまだ下書きから全然進んでいないのに、後期もやはり4コマ割り振られていて、しかも年末で契約が切れているのである。ほかの学科の外国人教員もおなじだと言われるのだが、ほんとにみんな我慢しているのだろうか。。というような新年のスタートですが、子どもも元気にしていて、わたしもとにかくこの数年では一番落ち着いているような気がしています。きっと一生、貧乏暮らしからは抜け出せないだろうけれど、毎日、確実に生きているという実感があるのはよいことなのだろうなあと思っています。明日はきっとなにかよいことがありますようにと、小さな幸せを願いながら、こつこつ生きていければいいなと思っています。
みなさまにも幸多かれと祈っています。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
ねぶくろ拝
_ 大晦日であるが、学期末試験中なので、大学に来ている。みんな来ている。明日は休日だけど、あさってから通常営業である。
なんとか1学期が終わる。また途中でなんやかんやがあって、辞めちゃうんじゃないかという気持ちがずっとあったので、本当はメールを書きたかった人にもまだ書けていない。すみません。
とにかく、わたしにとってはこれで一年が、一学期が終わったという感慨深い一日なのだが、なぜか実は今日で書類上は契約が終了となっている。なのに、その書類はまだ下書きの段階で、サインだってしていない。来年の契約はどうなるのか。それは実は誰も知らない。しかも、今学期の給料だって、いまだもらっていないのである。なのに、もう来年の授業はあれこれ決まっている。どういうこっちゃねん、、という状況は相変わらずである。どうなるんだろう。
とにかくまだ不安要素がいっぱいですが、なんとかやっています。
どうぞみなさまも、よいお年をお迎えください。わたしもがんばっていきます。
_ 文学部は、全17学部の中で、教員一人あたりの研究活動の成果および競争的研究資金の獲得のランキングが、もうずっと最下位なのだという。その理由が、個人研究室がないからだということに求められたこと、だからひとりあたりの学術的生産性を上げるために、今年度中にいずれ個人研究室が与えられるという話は聞いていた。で、既存の使われていない平屋の一棟が、日本語学科に割り当てられた。壁を設置して個人研究室を工事するということで、それが完了次第、引っ越しがおこなわれるといのことだった。そしていよいよ来月あたりという声が聞こえてきたのが、先月の末のこと。いつでも引っ越しできるようにと、荷物をまとめる人も出始めた。わたしはというと、もともと荷物がまだほとんどなかったということに加えて、いつも机の中は空っぽにしておくようにしていたので、ほとんど荷物は皆無であった。プリント類はどんどん処分していたし、書類箱がひとつとファイルが3つほど。でも引っ越し用の段ボール箱に一応いれて、用意はしていた。
今週の月曜日、朝、学校に来たら、部屋がもうからっぽになっていた。なにもない。もう引っ越したのかと思って、新しい部屋に来てみたら、共用スペースの小さな物置部屋に段ボール箱が天井まで山積みになっている。え。わたしの箱は、大きな模造紙の箱を入れたので、箱の上を閉じないでいたために、段ボール山の山頂に据えられていた。そしてその山頂部は、天井部と接しているのであった。しかし荷物が詰め込まれているその部屋は、他の三方はせいぜい段ボールが一段か二段積まれているだけである。段ボール山の部分は、裾野の直径が2メートルほど、高さが4メートルという、曲芸的な積み方によって造山されていた。どうしたらこうなるのか。まったく不明。わたしはしかし、いかにもこちらの人のやりそうなことだなあと思って、楽しくみていた。そう、楽しくないと、段ボールを運ぶ作業なんかできないのである。辛い仕事の中に、楽しい要素を見いだしたからこそ、雨が降る日曜日に、工事の人たちはこんな仕事が出来たのであろう。楽しく、わたしは感心もしていた。
しかし。他の先生たちは大ブーイング。なまじ日本経験が長い先生ばかりなので、こういうことは日本ではありえないという反応が先に立ってしまったようでもある。まあまあ、とわたしがなぜか取りなして、片付け作業を始めた。
床だってほこりだらけ、煙草の吸い殻だらけである。気の早い先生は、掃除の人を待たずに、たわしやモップでこすり始めた。みんながなんとなく落ち着きを取り戻した矢先、なんと今度は、部屋のペンキを塗り替えるという。ここに至って、さすがのわたしもなんじゃそりゃ?という反応を示したのだが、その次のことばを聞いてさらにどひゃーとこけてしまった。ペンキを塗ったあと、新しく窓を付けるので、壁をぶち抜く工事をするとのこと。段取りとか工事計画とか、そういうものが全くない国だとはよく知っていたけれど、もう笑うしかない。。無駄を省くとか、エコとか、そういう発想がゼロ。。そこでアカデミックな生産性を上げる活動をせよというのは、ちょっと無理な話ではないのだろうか。インターネットが開通するのはどうやら来年初頭とのこと。電話だって、まだ電話線が引かれていないとのこと。すごいなあ、すごいよなあと、ひたすら感心して、おもしろがっています。「センセイ、こんなことになって、スミマセン」などと謝ってくれる先生もいらっしゃるのだが、思えば、わたしはずっとこういう不思議な世界を観察してきたから、別に驚くべきことでもないと受け止めているのである。日本がやはり突出して変な国だと思えば、別に何事もどうということではないのである。
_ ぴょん [こんばんは。再度入院しておりますが、感染対策万全にしていただいておりますので、院内では元気にしております。 病気..]
_ ね [ぴょんさま、コメントをありがとうございます。 先週末、メールを書きました。 またブログにも遊びに行かせていただきます..]