_ 週末、ずっと預かってもらっていた荷物を取りに知人の家へ。2012年末に今の大学に就職が決まって、招聘状が来るまで日本で待機することになった。そのときに毎日使う荷物(衣類や簡単な台所用品等)と本などを、市内に住む知人の家にあずかってもらうことになった。夫の実家に預ければよかったのだけど、そうなると運送代だとか時間とかなんだかんだがとてもたいへんだと思ったし、知人の家は何といっても大学に近いということもあって、お願いしたのだった。ところが、実際にこちらに来てみると、しばらくの間は契約書ができていないということから給与がまったく出ず、そのため予定していた居所に落ち着いたものの、本当に労働ビザが下りるのかとかさまざまな問題が続出した。そのため、ずっと仮暮らし的な雰囲気であったのだった。すぐに使いたい辞書や毎日仕事に来ていく衣類とか、手元に置きたいものもあったのだけど、結局はなくてもすんだということもあって、ずっと預かってもらっていた。その知人もとても穏やかなよい人で、ずっといいよいいよ、と言ってくれていて、結局はその親切に甘えさせてもらっていたのだった。
ところが、その知人の家の大家さんから、ある日、連絡があった。大家さんも同胞である。ただし今は帰国されていて、たまたま休暇の時に店子の様子を見に来たということらしい。曰く、店子の人の好さに付け込んで荷物をいつまでも預からせるな云々ということだった。もっともなことだと思ったし、大家さんにそんなことを言われるまで甘え続けていたわたしが悪いのは自明のことである。それでちゃんと期日を切って、荷物を引き取りに行くということを約束したのだけど、その直後にわたしが病気をしてしまった。去年の話である。それでそのままなんとなくずっと気がかりではあったのだけど、今日まで来たのだった。本当にわたしが怠け者で、迷惑をかけてしまったというお粗末な話である。
なんどか知人とはそれまでもお会いする機会もあったのだけど、そのたびに、大丈夫ですよと言ってくれる人であり、甘え続けていたのだけど、来月、また大家さんがお見えになるという。またなにかあったらということもあって、早めに連絡をくれたのであった。
それでとにかく、週末は段ボール箱10箱分の荷物を取りに行った。枕とかいくつかのリネン類は、もうすっかりとダメになっていた。でもそれ以外の衣類や本は、若干、かび臭いにおいがしていたものの、致命的なダメージは全然受けていなかった。この国でこういうのはすごいことである。それでもいくつかの衣類はひどいダメージを受けていた。その理由は、よかれと思ってわたしが入れた科学的な虫よけ脱臭剤が、気化せずに、どろどろと液体状に溶けてしまっていたからであった。おそらくは湿気のせいだと思うのだが、意外にもそれはプラスチックの衣類ケースに入れていたものだけだった。段ボールにざばっざばっと放り込んでいたものは、問題なしだった。きっと知人がときおり部屋に風を入れてくれたりしたからなのだと思う。何から何までお世話になった。
子育てのことなども立ち話で大雑把に情報交換して、お礼にと包んで持ってきた金子も受け取ってもらえなかった。日を改めてちゃんとお礼に行こうと思っている。
朱に交われば赤くなるというけれど、よい心持の人たちと交流すると本当に気持ちもすがすがしい。荷物を運んでくれた運送屋さんも気持ちのいい人で、相場の7割くらいの料金でいいと言ってくれたのだが、これはもちろん相場どおりに払った。気持ちのいい人たちとの距離をもっともっと近くにして、いい「気」を身にまとわなければ。そんな週末だった。
_ 七夕だったので、子どもとたてぶえで「七夕」の歌を歌う。わたし:笛の指および歌担当。子ども:笛を吹くのを担当。デュエットもどき。
1週間ほど、体幹トレーニングを続けている。気持ちとしては少し体がしまったような気がしないでもないのだが、現実的にはまったくの思い過ごしであるようで、別に変化はなし。しかし、まだ一週間である。頑張ってもう少し続ける予定。
_ あらら、もう7月だ。毎日、涼しくて過ごしやすくなった。寒いといっても差し支えない。だからほとんど毎晩、鍋を食べている。おいしい。ある時は鶏肉団子、ある時は手羽先、ある時はもも肉というように、入れる部位も肉も野菜もなにもかも冷蔵庫整理班から選ぶのだが、シンプルな料理がおいしい。学期もやっと終わって、今は休暇が始まろうとしているところ。来週から本格的な長期休暇。次の新入生は何人くらい入ってくるだろうか。来学期はほとんど1回生の授業を担当することになっている。とにかく頑張って、よい学生を育てたい。今はそれだけを考えている。
_ こちらに来る前に二本買ったパンツ、ほとんど毎日、交代ではき倒した結果、3年半で膝が抜けてしまった。本当によくはいた。普通のベージュのチノパンは、昔懐かしいDO!Familyのものみたいな感じで、もうひとつのもう少し茶色いものはフレンチウォルナットという色名とかで、黄色いチュニックと合わせてよくはいたものだった。上が濃い色でも薄い色でもなんでも似あったので、着回ししやすくて、本当に重宝した。同じものを買おうと思ったのだけど、もう色番が変わってしまっていて、デザインは同じでも、色がなくなってしまっていた。それでユニクロのパンツを買ってみたら、をを、はきやすいことこの上ない。色がやっぱり若干のダサさを伴うのはもう仕方がない。それでも今、ほとんど毎日のようにはいている。今、このユニクロさんと着回しのローテーションを組んでいるのは、こちらで買った細かい花模様の細いパンツさんだ。これは白黒なので、上が淡色のときはよくはいている。で、このパンツに合わせるために、単色のチュニックを二枚買った。安物だけど、とにかく縫製がしっかりとしている。体型カバー機能はなく、とにかくシンプルにすとんとしていて、一枚でしっかりとおちつく布でもあるから安心して着られる。年取った妊婦さんみたいには見えないところが気に入っている。またそれ一枚でしっかりと決まるチュニックなので、カーディガンとかそういうのを合わせる必要もない。でもあまりにもシンプルすぎて辛気臭い感じになってしまうため、スカーフをあれこれ巻いている。ほとんど毎日、そういう服を着ている。もうおしゃれとかそういう次元の話ではない。とにかくずっと同じ服を着回ししている。いわば制服である。個性とかそういうのはみじんもない。そういう毎日なので、今日、久しぶりにあった人に、「いつもスチュワーデスさんみたいですね」と言われたのであった。判で押したようにしっかりと崩れないように巻いているスカーフとか、屈んでも両手をあげてもどこからも何も見えない服とか。要するに、仕事着である。なので、勝手に仕事がよくできるイメージだ!と受け止めることにした。ただし、制服美とかコスチュームの色気とかそういうのも一切なし。これでいいのである。
_ 6歳の6月6日からお稽古を・・・とずっと前から思っていたのだけど、結局叶わず。でも今年中になんとか子どもにピアノを習わせるべく、がんばりたいところ。
アリス・イン・ワンダーランドとかその続編の鏡の国編とか、当地でも公開されたのかまだなのか判然としないというのに、なぜかブートレグ屋ではもう出回っているわけです。ほんと、不思議。ジブリのかぐや姫の物語も、つい先日、なぜか店頭平売りで、出回っていた。大方、映画チャンネルか何かで放送されて好評だったのではなかろうかと思う。
最近、よく家で食べる料理は、一見、手抜き、実際、手抜き、なのにどんなに手をかけて作った料理よりもおいしいという不思議料理。その名も「白菜春雨鍋」である。材料は、白菜、緑豆春雨、あとは適当にしいたけとかもやしとかほうれん草とか豆苗とかすぐに煮える野菜類と、手羽先とかちょっと骨が入っている鶏肉だけ。最初に水少なめで鍋で中火にかけ、沸騰してきたら、ごま油少々、醤油とか老酒とかみりんぽいものとか適当にすべて大さじ1程度入れる。それから様子をみて、スープの元とかそんなのを少し入れたり入れなかったり。どんどん煮立ってきたら、緑豆春雨とほうれん草を同時に入れる。春雨がやわらかくなったら、火を止めて適当に切ったネギをざっくりと入れてふんわりかき混ぜる。できあがり。ただこれだけなのに、おいしくて、体が温まって、とても幸せな気持ちになる。豆腐を入れてもおいしい。
今日は、魚肉かまぼこ系ローカル練り物と豆腐とほうれん草しかなかったのだけど、春雨と鶏肉、そして白菜だけでも普通においしい。こういうあっさり料理がやっぱりいちばんおいしい。料理ともいえない簡単さなのだけど、子どももよく食べる。
もう学年末試験が始まっている。ことしの3回生は着任して初めて教えた学年であり、贔屓目もあるのだろうけど、全体的にバランスよくみなよくできる。なので、思い出にということもあって、卒業文集を作ることにした。勤務先の大学では、4回生になるともう必須授業はないし、ゼミもないし、選択科目だってつまらないものばかりになる。だから3回生時点での学力がピークなのである。4回生になると、もうだめになってしまう。こういうのをなんとかしてあげたいとずっと思っているんだけど、なんともできないということが3年がかりでわかった。せめてもと思っての文集作りである。みんな卒業しても元気に頑張ってほしいなと思っている。