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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

15-08-2017 / Tuesday [長年日記]

_ 日記、随分と書かなかったんだな。。。

少し状況が変わって、8月上旬に子どもを迎えに行った。こちらへ帰って来てからは、子どもの学校が始まるまで一緒に通勤。相変わらずの悪天候だったので、基本的には平日も週末もずっと家にいた。週末は近所の市民プールへ泳ぎに。正直なところ、水はあまりきれいではない。ゴーグルなしではとても泳げない。でも、25メートルでコースが8つもあるプールは、当地では珍しい。片側が大人の胸くらい、片側が1.8メートルほどと深さが傾斜していることもあって、われわれはもっぱら人が少ない深い方のはしで遊ぶことが多い。そうしているうちに、子どもは、犬かきとも古式泳法とも言えない不思議な独自な泳ぎを体得した。それでずっとふたりでぐるぐるとプールを泳いでいる。

プールサイドの日の当たる側には外国人(われわれも含む)、日の当たらない側や屋根のあるところには現地の人が主に陣取る。そういうこともあって、われわれは真っ黒に日焼けをしている。外国人たちは、水に入らない時間のほうが長く、プールサイドでトランプをしたり雑誌を読んだり、そういう感じで長い時間を過ごす。地元の人は、集中的に遊んで、さっと帰る。外国人の中には、いかにも怪しい人物もいる。50代半ばの男性は、いつも野球帽とサングラス。1.5リットルの水のペットボトルを小脇に抱え、定位置である日の当たる側の一番端のデッキに座る。決して、泳がない。しかし、浅い側の水には入る。入るときには、遊びに来ている地元の子どもたちを背中に乗せたり、腕につかまらせたりする。そして、いつの間にか、消える。消えたと思ったら、売店でアイスやスナックを買ってきて、子どもたちと食べたりする。そしてまたいなくなる。同じような年頃の女の子を持つ身としては、どうしても行動確認をしておきたくなるような雰囲気のある人で、よく注意してみると、周りで同年代の子どもを連れている外国人たちも、警戒アンテナを張り巡らせていることがわかる。プールは楽しいし、親子で楽しく遊べる場所だから、わたしも行くのは大好きなのだけど、この男性のことが少し気にかかっている。聞けば、主な日本人や外国人で小さい子どもがいる人は、みなこのひとのことを知っていて、やはりウォッチしているのだという。直感に従い、この人が来たときは、必ず子どもと一緒に深いところへ移動するようにしている。

外国に住んでいると、えっと思うことが多々ある。例えば、先日、某西側国大使館付近の高級住宅街所在の民家に強盗が押し入り、家人全員を射殺した犯人が市街地に向かって逃走中につき警戒されたし、という知らせが来た。そのため、その日の夜は市街地にあるアパートの周囲は全員、屋内に退避したり早々と店じまい、帰宅したりで、とてもシーンとしていた。翌朝、街はいつもの賑わいを取り戻していた。しかし、犯人はまだ捕まっていないという。へえ、そうなの・・・と、職場の秘書さんと話していると、彼女が「あれは怨恨だから、他の人が危険な目に遭うことはないよ」と。えええ、そんなものなの?「恨みがあったからの話だから、もうその人を殺してしまったら、それでいいのよ」という。はあ~。いいのだろうか、それで。。でもそれだったら、誰が犯人なのか、すぐにわかるよね?警察はどうして捕まえないの?「知らない」とのこと。海外にいたら常に警戒を怠らずにとはよく言われることだけど、今回のことを経験してみれば、そうは言っても警戒のしようがないのではとも思ったり。8月は安全情報のことを考えることが多かったような気がする。


17-07-2017 / Monday [長年日記]

_ 子どもが日本に帰っているので、今はひとりで暮らしている。同じアパートの子どもたちもみなこの期間は日本へ戻り、体験入学をしている。つまり今は、家族全員、ひとりひとり違う国で暮らしているというわけだ!ひとりなので、これがいつもの某国にいるのであれば、外食するほうが断然、安上がりである。しかしこの内陸国は、コメントのしようがないほどに、物価高の国。こまめに自炊をするに限るというわけで、ひとりになってからの外食は、週末の買い出しの際に市場で食べるワンプレートディッシュばかり。・・・でもそれだと、なんとなくつまらないので、ときどき道端の焼き鳥を買ったり、欧米人御用達のカフェなどで、小さいケーキを買ったりはしている。。でもなんとなく満たされない思いがするのは、やはり、子どもと離れているからなのだと思う。

_ アパートの上の部屋が空いたから、誰か人を紹介してほしいと大家から連絡があったのが、4日前。ちょっと考えて、昨日、その部屋を見せてもらった。わたしたちのアパートは奥行きの5分の3くらいの位置に、屋上までの吹き抜けとエレベーターがある。吹き抜け部分には、ちょっとした広場になっていて、適当にここで座ったり、人を待ったりとか、そういうことができるようになっている。この吹き抜け部分を除いて、さらに奥行きの5分の2くらいまでの部分に、7階まで部屋がある。表通り側が表の部屋、奥にあるのが裏の部屋と呼ばれている。裏の部屋は南向きである。わたしの部屋は2階にある。この2階にある部屋は吹き抜けに面した窓と、部屋の奥に面した部分にしか窓がない。街中で、ひときわ高層のアパートなので、屋上からの景色はすこぶるよい。主要な観光地がすべて一望できるのである!一階の表部分は銀行なので、セキュリティーは問題なし。ただ、今の部屋はちょっとばかり、暗いのである。その理由は両隣の建物が二階建であるため、わたしの部屋には玄関部分と奥の部分の窓しかないからだ。といっても窓の大きさはどれも一間分ある。だから明るくないというのはただしくない表現かもしれない。でも昼間は電気をつけなければちょっときつい。それで上の部屋を見せてもらいに行ったのだった。

すると、上の部屋は四方にまどがあって、風が入ってくるという点では申し分なかった。ところがベッドをはじめ、主要な家具がとても使えるようなものではなかったのだった。壁も塗り替えていないし、全体に使用感満載。なるほど、今の部屋の住人はずっと日本人だったからきれいだよと、入居時に大家さんに言われたことの意味はこういうことだったのかと納得したのだった。それに今の部屋は、入居時に開口部にはすべて網戸を張ってもらっている。ベランダに出る部分は扉も網戸のドアをつけてもらった。それになによりも、部屋の中は、良くも悪くも日本人のにおいがする。家具とかそういうのは慣れたらなんとでもなるものだし、部屋のにおいだって、わたしたちが入れば早晩入れ替わるはずだともわかっている。でもつまり、第一印象が悪かったのだ。上の部屋はさぞかし明るくて感じのいい部屋だろうなとずっと思っていたのが全然違った、今のところが結局一番良い部屋だったことがわかったということだ。まるでチルチルミチルである。

とにもかくにも、そういうわけで、内見から戻ってきて、部屋を見渡すて、やはりこれよりよい部屋はないよねええ、とひとりごちたのだった。


16-07-2017 / Sunday [長年日記]

_ ちょっとテスト。


05-07-2017 / Wednesday [長年日記]

_ 夜はできるだけ早く寝て、朝も早起きをして、ひたすらヨガ。忘我の境地に至るためにということなのだけど、いつも邪念が襲ってくる。まあ仕方がないんだけど。。昨日、『愚行録』を読み終えた。後味が悪いミステリーのことをイヤミスというらしいが、貫井徳郎の小説の多くは、そんな感じのものばかりのような気がする。だから湊かなえの登場で急にクローズアップされたイヤミスという言葉だけど、そういう小説は今までもたくさんあったのだと思う。決してイヤミスカテゴリーではないのだけど、多島斗志之の小説も、少し、そういうところがある。とくに海上タクシーのシリーズは、瀬戸内海の穏やかでさわやかなイメージとは正反対の、じっとりと湿り気を帯びた日の当たらない側の手触りとか空気感が行間から立ち上がり、本を読んでいる空間に立ちこめるような錯覚する覚えるほどだったと思う。作家自身の失踪ということも相まって、3D小説として、多島斗志之を位置づけています。。もう新しいのが読めないのはとても残念。まだどこかでお元気でいてくださったらよいのだけど。。そして今なぜか手元には、『ずっとお城に住んでいる』もあります。まだ読んでいない。読むのが怖いというのもある。『くじ』はそれほど怖いとか気持ちが悪いと思わなかった。事情があって最後まで読まないうちに、返さなくなてはならなくなった本が、『わたしたちが姉妹だった頃』。おもしろかった。こういう小説は、アメリカでしか生まれてこないだろうなあと思った。最後、三分の一、ぜひとも何とかして読みたい。切ない、と思った。最後、どうなるのかな。。

というわけで、少しだけど、新しい本も読んでいる。もっとざくざく読みたいのだけど、なにかに渇望している状況こそが、現状を変えようとする最大のエネルギーだと思ってですね(笑)、これでいいのです。この蟻地獄から早く脱出できるよう、ハードヨガライフと活字中毒を原動力として、なんとかがんばります。とかいいつつ、昨夜は、久々に中島敦の『山月記』を読んだ。わたしは虎になるほどに、自分に自信もなければ、逆に誇りもないわけだけど、ともすれば、現況に甘んじていてはいけないと気持ちを奮い立たせるときに、自信過剰とはいわないのだけど、それに近い気持ちになったりもする。そういうはだめだ、と頭ではわかっている。だから、ときどき『山月記』を読んで頭を冷やすのだ。


04-07-2017 / Tuesday [長年日記]

_ またヨガをするようになった。ちょうど10年前、一所懸命に取り組んでいたころは、ほとんど精神的におかしいんじゃないかと思うくらい、朝晩、ものすごくストイックにヨガをしていたのだった。だから、そのときとおなじくらい、今、何かに取り憑かれているんじゃないか・・・と我が身を振り返れば、確かにそうなのかもしれない。今、いるところから抜け出したくてたまらないのだ。忘れたいとも言えるかもしれない。なぜかしら、ちょっとおかしい職場にばかり勤める羽目になるのは、わたし自身がふつうじゃないからなのだろうか。たしか前のブラックな大学にいるときにもそう思ったのだが、今度の劣悪さは、その比ではない。またそれで被るストレスも普通ではない。どうしていつもこうなのかしら。。。久しぶりにどんよりと灰色のことを日記に書いているような気がする。まいった。


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