_ 日曜日に部屋を思い切って大改造(というほどでもないが)したので、えらく広くなったような気がする。
_ 月曜日の朝は週で一番憂鬱な気持ちであり、月曜日の夜に一番ゆったりした気持ちになる。
今日はデパ地下でお弁当を買ってみた。今まではずっとパンを食べていたので、ちょっとはお昼の楽しみを作って、労働意欲を刺激する必要があるかなと思ったの。お弁当、とてもおいしかったです。ゆったりとおやつの時間にお弁当を食べ、貯まっていた雑務をひと思いに片付けたら、疲れてしまい、お稽古を休んだ。裏目に出た。
_ どさっと、アイロン掛ける。
_ ♪6月6日に雨、ざーざー、降ってきて。梅雨入りしたそうだ。いっそ降ってくれたらいいのにというくらいに、湿度が高い。掃除とか、片付けとか、いろいろ。
_ BBCでいえばRadio2みたいなFMをたまに聞く。日曜日は、本当に80年代、90年代前半。いや、今、Lollipop(Chordettes)が流れているよ、「スタンド・バイ・ミー」の。ディスクジョッキー女史の日本語がNHKのアナウンサー並にきちんとしているところもよい。
_ 百貨店のバーゲンコーナーにより、とっても安くなっていたトプカピのスカーフ、買う。夏場でもクーラーの効きすぎているところで首に巻いたり、膝に広げたりするだけで、冷え性は随分と改善される。ペイズリーって、昔は嫌いな柄だったけど、ここの柄だけはなんとなく好きなので、なんだかんだで、5枚も持っている。
そういえば、昔、ペイズリー柄のいろいろなものを集めた企画展が、どこかの博物館で行われたことがあったらしく、その図録を読んだことがあった。ゾウリムシに準えられることの多い柄だけど、手の込んだ模様に描かれると、なかなか素敵だと思うんだけどなー。と、誰にいうでもなく。一瞬、プリンスのことも思い出す。ペイズリーなんちゃら、って歌っていたもんで。
_ 人間はいろんなことを学習する能力があるはずで、その中のひとつに「忘れる」というがあるのだと思う。
_ やっと、送信。ダメ人間ぶりを発揮した一週間でした。前半:がんばりすぎる、後半:がんばらなさすぎる。メリハリがあればいいというものではない。今月はほんとにタイトなスケジュールなんだな。。気分転換に時々眺めているのが、これ。庭にパソコンを持ち出して見ればいいのかも知れないけど、暗くてわからないだろうなあ。。
_ で、セカチュー。『青春デンデケデケデケ』(芦原すなお)、『69 Sixty-nine』(村上龍)『世界の中心で…』の順で、好きだと思う。全部映画になっているらしいが、観たのは「デンデケ」だけ。セカチューと略すらしい。アクセントは/ka/。このように、似たような小説を片っ端から読んでいるということは、認めたくないが、この手の小説を読みたくなってしまう気質があるということだろうにゃ。。系列的には、『しろばんば』とか『坊っちゃん』とか『ライ麦畑でつかまえて』も入るのかな。いや、違うか。
_ いかんなー、と思いつつ。
日増しに、レジュメを用意するのが遅くなっている。なんとか水曜日の午前中までに提出してあとはのんきに…と毎回、思うのだけど、結局、それ以外になにもできない状況。研究室へ行けば、それどころではない雑用が待ちかまえているから、すっかり出不精になりつつある。家にいてものんびりするどころか、レジュメの準備をしていなければ、ほとんど書類書きとかそんなに追われて、まったく、時間の使い方がへたっぴーになったものだ。
_ 小学校上級生の女の子にとっては、容姿の問題は重要だもんなあ。。。私は背が高すぎたのが悩みだった。今時の164センチなんて、ごくごく普通の身長だろうが、当時は大きすぎた。
私が小さい時にも、小学校の飼育小屋で飼っているウサギを全部殺してしまうような人はいたし、いじめもあったし、仲間はずれもあった。『ぼくは12歳』(岡真史)が学校の図書室にあったりして、だんだんと世の中の矛盾とか複雑さに気がつくようににもなった。自分が死んだらどうなるだろう、死んだ後の世界はどんなだろうかと考えることはあったと思う。『ブラックジャック』だって、もう読んでいた。偕成社の「少女名作シリーズ」には、病気で死んでしまう薄幸の少女たちがいたものだ。死ぬことは身近なことではなかったにせよ、悲しいことなのだな、もう元には戻らないものなのだなと思ったものだった。マシューも死んでしまったし。
虫を殺すこともあった。川で捕まえてきたメダカをうっかり日向に出したままで、小さなお腹を見せて水面に浮かばせてしまうこともあった。男の子たちは、ウシガエルを踏みつけたりしていた。
毎日おなじ服を着ている女の子に「全然着替えへんねんなー」といじめる女の子がいたが、そう言われた女の子は「私はおなじ服を5枚持っているのだ」と切り返していた。「100枚のきもの」のワンダ・ペトロンスキーに憧れていた私は、こっそりとその女の子を尊敬するようになった。
でも誰かを殺そうと思ったことは、多分、一度もなかった。苦手な人がいなくなればいいのにと思うことはあったが、それは「明日、地震が起きて学校がなくなればいいのに」とか「火星人がやって来てたいへんなことになればいいのに」というのとおなじ次元のありえないことであった。どうしようもない、ということである。
_ 今回の事件は最初から殺意があったということが、きっと、問題なのだろうなあ。私が一番引っかかっているのはきっとそれだ。人を刺したら、血が流れて、もう取り返しがつかなくなるということを少しでも想像できなかったのだろうかということだと思う。自分だけの問題ではなくて、自分の両親や兄弟も巻き込む、たいへんな事態になるということである。
もちろん、いつの時代にもきっと似たようなことはあり得たと思う。これがインターネットの影響だとかなんだとかはあまり関係ないと思う。三島由紀夫の『午後の曳航』なんて、恐ろしい小説だ。子どもでも殺意は持つということを、いや、だれでも瞬間的には殺意を持つかもしれないということを具現化した小説だと思う。
_ とにかく、痛ましいなあと思った。残された家族も、それから、これから長い年月を生きていかなければならない女の子にとっても、辛い時間が流れ始めたのだなと思う。
_ ひょんなきっかけから「マンハッタン・ラブ・ストーリー」の最後の方の何回かを見ることがあった。その前からそうは思ってはいたのだけど、ミッチー(及川光博)って、かっこいいなー。改めて思った。割とツボにはまっている。なので、「キューティー・ハニー」は見に行きたいような気がする。
_ タスク、多し。できるかな。
_ 何度か書いたと思うけど、小学生の時は、物語の国に住んでいたようなもので、気の合う友だち(男の子もいたりした)と一緒に、サミアド(砂の妖精)を探しに行ったり、地底探険ごっこをしたり、ロビンソン・クルーソーごっこをして遊んでいたものだった。もちろん、現実と物語の境界を意識していたのだと思う。だから、「ごっこ」だったのだと思う。学年が上の男の子にいけずをされたことはあったが、それは「自転車をこぐのが遅い」とか「走るのが遅い」とか、そんなのが理由だった。かといって、じゃまにされたわけたでもなく、待ってくれていることを知っていたので、涙ぐみながらも、必死でペダルをこいだものだ。今でも駅で当時のいじめっ子の男の子だったおじさんに会うが、ま、しらんぷりしている。お互い。
アンじゃないけど、想像力って必要だなと思う。ぼかして書いているからわかりづらいと思うけど、小学校上級生の女の子は、子どもじゃないし大人じゃないし、自分でも自分が誰がわからないような時期だと思う。だんだんとその境界の時期が若くなってきているのに、周りの大人が気付くのが遅れているということもあるだろうなと思う。子どもだ、子どもだと思って、子どもを見る目線を変えてもいいんじゃないかと思ったりした。
_ ムラサキ [大改造おつかれさまでした。わたしもやらねば・・・。恥ずかしながら、今の我が家はほとんど足の踏み場もない状態です。これ..]
_ ね [ムラサキさん、どうもありがとうございます。いやー、本とか雑誌って、ほんとに平積み状態だと、ほんとに見苦しくなりますも..]