_ 若い人と一緒にご飯食べたりする。エネルギーがすごいっすね。食べっぷりが違う。
_ ミジンコさんは、やはり乗り物に乗るのが好きなようで、電車のなかではものすごくばたばたと動く。おけいはんではなくて、京阪電車の女性車掌とか運転手、客室乗務員とか、トラックの運転手になりたいと思ったりするかもしれない。船長さんもいいいかな。超音波でみる限りでは女の子らしいが、男の子であってもどちらでもOK。元気におなかから飛び出してきてください。
_ 外国人を、とくに非欧米諸国から日本に招聘するというのは、なかなかに難儀でっせとは聞いていたので、別に驚いているわけではない。わたしの場合は配偶者を呼び寄せるだけのことなので、とくにハードルが高いということでもない。しかしながら、ほんの数年前までは、夫が妻を呼び寄せるのと、その逆とでは、少々、難易度が異なっていたともきく。また夫が邦人の場合と妻が邦人の場合の非欧米諸国夫婦の間の子の処遇についても、格差(というかもっと直接的にいえば、ただの差別)があった。これらはすでに一部が改善されており、わが国と某国の間での国籍条項に関しては、ひじょうによくなったと思われる。
わたしが今回帰国してからの若干1か月の間だけでも、国際結婚が破綻した夫婦間の子どもの処遇を巡る新聞記事が、朝日新聞だけでも2回掲載された。2回目は本日朝刊。日本のこれまでの慣例に従えば、母親の方に親権が託され、父親は養育費を払うという結果になることが多いらしい。諸外国でも、実際に居住するのは母方が多いようだが、親権は母親と父親の双方に与えられる国もまた多いらしい。よって日本とは違い、面会権は実に正確に行使されることが多いから、別れた夫婦が案外と近場にそれぞれの新しい生活圏を構えるということも多いようだ(「パリの女は産んでいる」中島さおり、ポプラ文庫に、フランスの事例が詳しい)。日本は少し違うかもしれない。近年、国際結婚に破綻した日本人女性が、子どもを連れて日本に帰国することで、国際児童誘拐罪に問われる事例が相次いでいるようだ。子どもにとっての両親は、もはや夫婦ではなくなっており、たがいに意思疎通を図りづらい状況下にある場合、刑事裁判の対象となってしまうようだ。
わが夫の国の場合、仮に社会的な父親がいたとしても、その子が成人し結婚するまでは生物学的父親が親権を持つと、慣例的に定められている。離婚した母親は、たとえ子どもを引き取って同居していたとしても、「社会的に」生物学的父親の代わりになることができない。生物学的父親がすでに故人である場合は、父方のオジあるいは存命していれば祖父がその替わりを務めることができる。「慣例」は民法などで定められた法律ではないのであるがなかなかに厄介でもある。あとあとまでそのことがさまざまに語られもする。こと出自と出生というなんとなく似ているけどまったく意味が異なるふたつに関して、離婚していようがしていまいが、某国の人は実にあとあとまでさまざまに語る。これは日本でもある意味同じかもしれない。ミジンコさんに関しては、わたしが「どうだ、日本生まれなんだじょー。すごいだろー」と、ポジティブ・キャンペーンを展開してあげないといけない。日本生まれの何がどうすごいのかの説明の仕方も合わせて、たくさんいろいろなことを考えてあげないといけない。日本人だから特別という説明ではなくて、どこで生まれてもみんなと同じだし、みんなと同じで「みんなとは違うところもあるねんでー」というような説明しか思い浮かばないけれど。。
日本は、なまじ陸の国境を持たない国だから、アジア諸国や欧米諸国等々に比べて、「外国」の存在がおおきい。ミジンコさんがおとなになるころには、アジア諸国もEUみたいに自由に往来できるような環境になっていればよいのだが、これはむずかしそう。EUだって苦労しているわけですし。国家=文化という方程式を崩すようなパラダイム転換とか、やっぱりなかなかにむずかしいのでしょうな。
_ 周りに咳をしている人が多いからか、夜などわたしも咳をするようになった。が、熱は出ないし、それ以外に体調が悪いということもないので、とりあえず元気にしている。が、やらないといけないこと、考えないといけないことなどが山積み。あと、やはり将来に対する漠然とした不安を考え始めると、こんなときに子どもを生んでよいのだろうかという「本質的」な迷いがやはり襲いかかってくる。こんなときだからこそという励ましというのか、そういうことばをかけてもらうこともあれば、結婚・出産の機会をいつのまにか逸してしまった周囲からは、なにを贅沢なと言われることも多い。どうやって生きていけばよいのか、いまだに考えあぐねているような母親の元に、子が生まれようとしている。なかなか逆子から戻ってくれないことを合わせて考えると、子なりの意思表明なのだろうか。ちゃんと育ててくださいよというような。
_ Smashing Pampukinの「1979」という曲がセンチメンタルで、今年の初めからずっと、一日に一回、聴いている。イントロが聞こえてきた瞬間から、別によく覚えているわけでもなんでもない1979年がふっと眼前に湧いてきて、あとはずっとぼーっとして、音楽の世界に入る。1979年って、なにがあったんだろう。
先週はずっと研究会と懇親会と同窓会(笑)の繰り返しで、よほど疲れていたようで、土曜日に駅で偶然、出会った某さんから、「魚が死んでいるような眼をしている」といわれてしまった。食事のリズムも少々、崩れ気味で、こんなことではいかんのです。
_ 日本で出産ということになったその最大の理由は、母が孫の顔をみてみたい、といったから。というか、いつまでも決めかねていたわたしに、そのように言えば、決心がつくだろうと思いやってくれたのではないかと思う。感謝。某国研究者道を極めることが叶わなかったということはあるのだが、それはなんとかいずれ落ち着き先を見つけるであろう果たせぬ夢として、しばらくはおいておこう。
_ 明日までに日本の病院に、どこで出産するかを回答しないといけない。だのに、まだどちらとも決めかねないでいる。日本で出産することのメリット:問題はいろいろあれど、公的な援助や万が一の事故の際の補償などが一応整備されている。とくに高齢出産・逆子とくれば、なおさらそういう環境がありがたいことはわかっている。一方、デメリット:病み上がりの母に負担をかけてしまいそうなこと、夫が日本に来るに際してのもろもろの手続きの煩雑さ(本人がなんとかするだろうが。。)、お姑さんとの関係がなお悪化するだろうという確信など。。某国で出産することのメリット:衛生面などで若干の不安はあるが、とにかく人手はあるし、多少のお金を払えば何事もすべて思うように解決できる、一方、公的な援助等々は一切なし。お姑さんはもちろんよろこぶだろう→しかしこれまでの経緯もあるから、冷やかな対応がなされる可能性もなきにしもあらずではある。4月上旬に失効してしまう日本への復路チケットが残っている(まあ大したことないんですが、それでも、ねえ。。)。デメリット:数えだしたらきりがなかったりしますので、数えません。。
てな具合で、天秤にかけたら、某国で出産するのがわたしにとっては楽だったりする。えっちらおっちらと飛行機に乗るのも、乗ってしまえばあとはなんとかなるわけだから。それでもなお決めかねている理由は、周囲の某国関係者がほとんど全員、日本で産みなさいと勧めることなのである。某国の出産時における妊婦および新生児の死亡率は、日本とは比較にならないくらいに高い。そのこともあってみな心配してくれるのであろうことは承知している。だから余計に迷うのである。凸凹大学に留学している某国人の知り合いも、ほとんどが日本で出産しないの?という。さらに迷う。
結局、冷静に考えると、わたしが迷っている最大の理由は、お姑さんのこと、夫が本当にひとりで日本に来られるかということ、残りのチケットがもったいないかなということ、そして日本で生まれたということが、ミジンコさんの今後の人生にどんな影響を及ぼすのだろうか、ということに尽きるのかもしれない。あとの公的な保障がある云々は考えてももう仕方がないことで、案外とするっと安産で母子ともに健康極まりないという結果が得られるかもしれないわけでもある。ミジンコさんはどちらで産まれても成人するまでは二重国籍保持者である。行ったり来たりの根なし草になっては困るけれど、彼女がどちらの国のアイデンティティを好むのか、あるいは臨機応変に使いこなす人になるのか、あるいはもっと別の選択肢を選ぶことになるのか、わたしの方に今、そのビジョンがないから、これだけ迷うのかとも思う。生まれた場所への愛着という点を考えるにつけ、国境やら国家にとらわれない育て方をしたいものだとも考える。久方ぶりに「クレオール主義」を繙く。
Before...
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