_ デンタルクリーニングの日。二か月ほど前、某所から某所へ移動する前日、歯にフロスをかけていたら、一番奥の歯の詰め物が取れてしまった。すぐに歯医者さんに予約を入れてその日のうちに詰め物をまた詰めてもらった。その時の歯医者さんと助手さんの会話:わあー、こんなに高度な治療は見たことがないわー/そうですね、先生、どうしましょうか、いつもよりきちんとしましょうか/そりゃそうよ、、でもどこ病院かしら。。。
木工用ボンドみたいなのをアイスクリームの木製の匙みたいなので練ったものをきちんと出してきてくれて、無事に詰め物は元の場所へ。そのことがあったので、クリーニングの前に報告しておいたら、先生がちゃんと見てくれた。問題はないとのことであった。
歯の手入れも、一か所だけちょっと問題になりかけているところがあったそうだが、それ以外はこの調子できちんと手入れをとのことであった。
フッ素をかけてもらって、ゆっくり歩いて生協でご飯。戻る際に、大ボスに会う。もろもろ立ち話。戻って仕事の続き。
_ おやつにブルボンのアルフォートというチョコレート菓子のホワイトチョコ編を食べた。ほんとはチョコなど食べてはいけないのだし、アルフォートというお菓子は花輪和一の「刑務所の中」を思い出すので、殊勝な気持ちで大事に食べなければと思いつつ、ついふらふらと生協で買ってしまった。刑務所の中の映画鑑賞会の際に一人ずつに配られるお菓子にアルフォートが含まれている。わたしも思わず心して食べた。
_ 子どもの名前で苦心している。楽しいのだけど、字画やらを計算しだすともうだんだんと混乱してくるのである。ボーっと京阪電車のポスターを見ていて、(そうだ、女の子だから、将来、「おけいはん」のモデルになれるよう、ケイコ、という名前にしようか)などと考えて帰宅。食後、テレビを見ていたら、京阪電車のコマーシャルが流れた。「あんた、そんなに苦労するんやったら、おけいはんのモデルになれるよう、ケイコにしたら」と家人がいう。考えることは同じというのかなんというのか。
個人的には京阪電車は酔うのであまり好きじゃないのだが。
某国名は如月さんが付けた。日本名はわたしが考えることになっている。しかし外国人にも発音しやすい名前というと、やはり「ケイコ」とか「ケイ」とか、音読み系の名前かも。中欧某国の友人の息子は洗礼名などを入れると4つか5つくらい名前が付けられており、そのうちの日本名は配偶者のたっての希望で、大和言葉の名前が付けられている。トンデモ名でなければ、なんでもええかとか、だんだんと適当になってきたので、昨夜は筆ペンであれこれ候補の名前を書き連ねてみたりして過ごしたのであった。
_ いろいろ考えることなど多し。逆子もいまだ元に戻らず。しかしミジンコさんは元気にひとりで運動会をしている模様で。大丈夫かいな。。まあ元気なことはよいことだ。
_ いろいろごそごそと書類を書いたりして過ごす。でいろいろ連絡とか。
お昼は久しぶりに生協で食べた。やっぱり生協で食べると、一度にたくさんの品目をとても安い値段で食べられるというのがよいなあと思いました。別にすごくおいしいわけでもないし、野菜だってほとんど冷凍で、しかも中国産のものでも、「組合員さまのご負担をできるだけ軽減させるために」という理由で使われていたりするんじゃなかろうかと思われるわけだが、ときどき食べるくらいであれば、ちょっとくらいの毒でも大丈夫かな、、とか(そういう態度がだめという声も上がろうかと思われますが)、まあ要するに、今日はまだ人が少ない時間にのんびりとお昼ご飯を食べることができたというわけであります。でも、あまりに健康志向のメニューを選んだので、やっぱり今頃になって、猛烈におなかがすいてきました。いつもいつも欠食児童よろしく、あれを食べたいこれを食べたいということで頭を一杯にしています。
_ 某中欧国で出産した友人が息子さんの写真を送ってくれた。かわいい。そして毎回思うのだけど、欧米や日本の子どもは大きい。大きくなるのが早いというのだろうか。。ここの家の子もいわゆるハーフであるが、今はまだ日本人みたいな顔立ち。で、お父ちゃんが大柄だからが、子どもも大きい。6か月で8キロもあるなんて、某国の平均的な乳児の体重に比較すると、とてつもなく大きい。。某国の子どもは、小学一年生でも黒豆とか丹波黒大豆くらいの大きさしかない。ミジンコさんはどちらに似るのだろうか。。
_ 最後の母親学級。みな同じ週数で、この頃、少し食べるだけですぐおなかがいっぱいになるのだけどすぐにおなかがすいて、ついつい過食してしまうという話をして、たがいに励ましあう。小分けにして一日5回くらい、食事を摂ってもよいですよ、という説明を聞く。そのあと、陣痛室とか分娩室とか病室の見学。日本の病院はきれいだなーと思う。そうして、やはり日本で出産したほうがらくちんかなー、などとも思ったり。
逆子体操は、過ぎたるは臍帯が首に巻きつく遠因となるやもしれぬというご教示をいただいたので、適当にこなしている。なにごとも加減というのがあるやうだ。
_ 事業仕分けに関していろいろとメールの連絡などが入る。北村薫の円紫さんと〈わたし〉シリーズで、〈わたし〉が出版社に就職してからの話で、こういうくだりがあった。一冊のミリオンセラーが出ると、編集者はうれしい。本が売れてうれしいのでもあるが、なによりも、ミリオンセラーにはならないような良質の本を、その売り上げ分だけ出版することができるから、というもの。自然科学にせよ人文科学にせよ、科学研究の研究費というのはそういうもののような気がする。だからといって成果をださないのではなく、いろいろな小さな積み重ねがあって、そういう大きな方向性ができたり、その方向性には沿わないけれど、傍流の新鮮で斬新な研究が生まれたり。事業仕分けの主旨は理解しているけれど、科学研究というのは今日明日で、どんな利益がでるんやな、という感じでは動いていないということを、仕分けの人にちょっと伝えたかったりします。