_ 生まれたときは3500グラム超という大きさで、みんなそれぞれにどんなに大きくなることかと想像したのだけれど、10ヶ月を迎えた時点での体重は約8500グラム、身長は70センチメートル。標準的な大きさで、それはそれでよいのです。上下合わせて8本の歯で、毎日、なにかをがりがりと囓っては、おとなに叱られ、にやーっと笑う子どもになった。乳児用のおもちゃよりもおとなが使っている日用品が大好きで、日夜、触手を阻む大人の監視と知恵比べを展開している。おとなは悉く、現場を確認したらすぐに瞬発力を発揮させて、それ以上の探索を最小限に抑える日々を過ごしてきたが、息切れ回復が追いつかず、もはや見て見ぬふりをしてしまおうかと思案中。
_ 某国某所に行けば、かならず訪れることにしているいくつかのレストランを巡回。いや、厳密にはレストランと言うよりも、食堂とかそういう感じの場所ばかり。ガイドブックなんどには間違っても載らないような食堂、いや屋台とかそんな感じのお店。その間、子どもは旧友に預けて、細切れの時間の合間を縫って、古い友人に会ったり、楽しい時間もなんとか確保してきた。子どもはそのおかげで、いろいろなひとたちにかわりばんこに抱っこされ、本心ではどう思っていたかはわからないけれど、よその人とも仲良く過ごす子どもになった。ちょっと親に気を遣っているのかなと思われる節もないではないのだけれど。
_ とりあえず、無事に帰国。帰国便への乗り継ぎの国内便が3時間あまり遅延。シティチェックインをしていたので、待ち時間は1時間弱で済んだが、査証有効期限最終日だったこともあり、乗り継ぎ空港へ到着したら日付を超えてしまっていた。もちろんオーバーステイの罰金など払うつもりはないし、それは空港会社が責任を持つものだという姿勢を最初からきちんと示したので、余分な料金など払わなかったが、他の人たちはおとなしく払っていたようだった。おとなしく払わなかったわたしと子どもは、若干、他の人よりも長い時間、出国審査の別室に拘束されたのだけれど、イミグレの係員はちゃんと航空会社の係員を呼んで事情を説明してくれたし、比較的あっさりと手続きを進めてもらえた。しかしすべてが終わったときにはもうとっくの昔にボーディングは開始されており、余裕でラストパッセンジャーになっていた。子どもはその間、ずっと寝ていてくれた。迎えにきてくれた母と一緒に、一息つくため二度目の朝食をゆっくり食べてから帰宅。2ヶ月という時間は長いようでもあり短いようでもあり、いろいろと出来事があった。もうちょっと深く突っ込めたかもしれないこと、もう一歩前に進めたかもしれなかったこと、もう少し我慢してみれば違う展開になったかもしれなかったこと。。いろいろなことがあったけれど、今はもうそれでよかったんじゃないかなと思う。過去を振り返っても仕方がないわけで。前を向いてとりあえず進んでいくしかない。
_ 9月初旬に出国して、某国にて秘密活動に従事しています。今回はとにかく天候不順に悩まされ思うようなスケジュールで行動が取れず、思い切った予定の切り替えを断行したり。全体の予定の真ん中で予定していた大きな予定ふたつのうちのひとつを切り捨てて、もうひとつの予定をこなして今ベースキャンプに戻ってきたところです。4日ほど休憩してまた明日からがんばる予定。かわいそうに一休さんもずっとわたしと一緒に行動してきましたが、とにかく元気でいてくれて助かっています。あせもがたくさんできてしまって、そこを爪で掻いたりしたものだから、少し傷ができてしまいました。日本に帰ったら保育園の先生に虐待だと思われるんじゃないかとひやひやしています。
子どもというか小さいあかちゃんの順応性の高さについて、それが順応性なのかやむなくなのかはわからないけれど、あれほど人見知りが激しかったのに、小さいながらにもわたしが手一杯であることやほかに仕事があることがわかるのか、機嫌よくよその人に面倒をみてもらったすることに慣れたように見えていた。まだ授乳中なので、夫に預けることもできず、ずっと出先に連れていったり、お手伝いさんに預かってもらっていた。ある日、某先生と朝食しながらミーティングをすることがあった。一休さんも連れて行き、遊ばせたり食べさせたりしているのをみて、その先生が、「君に置いていかれる不安をいつも感じているみたいだね」とおっしゃる。わたしの目にはそんなふうに見えることがなかったので、少しばかりショックを受けた。この月齢くらいの子どもならば、母親が一番好きなのは当たり前で、機嫌よくよその人に抱っこされながらも目は母親を追っているのが、そういうふうに見えたらしい。その先生にはお子さんが3人いる。どういうことなのかははっきりわからないけれど、小さいながらにストレスを感じたり、親に気兼ねしたりすることもあるのかもしれない。それ以来、今まで以上に子どもをしっかりと抱き、一緒に遊ぶ時間をたくさんとるように心がけている。
子ども連れだからか、いろいろな場所で子どもに関する話題から話が始まる。日本並みの一時保育が整備されるようになったこと、ちょっとした公共の場所にはまがりなりにも授乳スペースが設けられていることなどを教えられた。この国の基本はきっと変わっていないのだけれど、基礎の上に重ねられてきた層が、最近は日本や欧米のものとおなじような内容のものになりつつあるようにもみえた。今まで以上に多角的な視点から某国にかかわることができるようになればよいのだけれど。
_ 某日。夜中に起きて原稿を書いていて、ふとテレビをつけたら、「永遠と一日」をやっていた。大好きな映画だ。こどもを売り買いする秘密の場所から少年を救い出した主人公が、国境地帯へ向かうバスの乗り場へ向かう。途中、大きな幹線道路沿いで車を側道に入れて、サンドイッチを買う。サンドイッチは、荷台部分を売り場に改造した真っ白なトラックで売られている。わたしがこどもの頃、家族でよく出かけた大きな公園があった。この公園の駐車場の入り口近くに、ワゴン車の荷台部分を改造したホットドッグを売る店がいくつもあった。ホットドッグという食べ物を見た初めての経験がこの屋台だった。コッペパンを真上から割ったところにカレー味のするキャベツの千切りの炒め物が敷き詰められ、パンとおなじ長さのソーセージが挟み込まれる。からしとケチャップをかけて、はふはふと言いながら食べた。特別、おいしかったわけでもなかったのだが、この映画を初めて観たときも、そのホットドッグのことを思い出した。初めて食べたマクドナルドのハンバーガーとともに、わたしの小さかったときの食べ物の思い出である。マクドナルドのほうは、当時、面白い映画のロードショーがかかると、しばしばわたしと弟を父の妹の家に預けて出かけた両親が、ある時、わたしたち兄弟とイトコたちのために買ってきたものだった。ピクルスの味が初めての経験で、強い印象を残した。めったなことではマクドナルドのハンバーガーを食べることもなくなったが、遠い外国でふとしたときに食べるようなことがあったとき、遠い日の留守番の寂しさとともに、夜遅くにわたしたちを迎えにきた母の紅潮した顔を思い出す。
久しぶりに観た「永遠と一日」は、途中でこどもが目覚めたので中断。夜中の原稿書きもそこで終わった。
_ 某日。査証を受領するため某国在外公館へ。申請の時は、長旅でわたしも疲れていたし、もしかすると過度に反応しすぎてしまったかもしれないと少し反省しつつ向かう。九時半開館のドアに手をかけようとすると内側からドアが開いた。九時三十一分。人が多いのかもと窓口に向かうと、日本人窓口はすでに二人が並んでいる。自然に三人目の位置に並んでぼんやりと待っていた。。直立のまま待つこと20分。。わたしの後にはさらに3人が並んでいる。どういう経緯があったのかはわからないのだが、列の先頭に並んで申請書類を提出していた男性に、不備があった模様。それを例の怒号女史が対処している。男性は50代に見える。ときおり黒板を爪でひっかくような女史の声が聞こえる。過度に反応しすぎたということではなく、自然な反応だったのだと思い直して、持参の文庫本を立ち読みしながらさらに20分待ち、あっさりスムーズに手続きを終えた二番目の男性のあと、必要最小限の会話だけで旅券引換券を提出し、無事に査証が印字された旅券を受け取った。緊張がいっぺんに解ける。しかしもう大学に戻る元気がなくなっていたので、駅前の大型家電屋に向かい、先日届いた新しいデジタルカメラのストラップを物色。二点吊りだよな〜と深く考えず、一眼レフ用のちょっと洒落ているけれど、実際使ったら使いにくいかもねというようなストラップを買ってしまった。これはなんだか知らぬがたまっていたポイントがあったとかで、300円くらいで買えた。ほかにもいろいろと買うべきものはあったのだけど、もうとにかく疲れてしまっていたので、すぐに帰宅。帰宅すると、子どもが熱を出している。39度になっている。機嫌はよいし、ミルクは飲むし、朝、別れたところなのに、わたしの顔を見ると子犬のように猛スピードのはいはいで迫ってきた。小児科の夕診へ連れて行くと、突発性発疹の可能性があるとのこと。今日から3日ほど高熱が続くのに機嫌はよく基本的に元気という様子であれば、おそらく突発性発疹に罹ったのであり、4日目から赤い発疹が出るが、たいしたことはないといわれる。病院の外に出るともう夜。静かな寺内町の裏道を抜けていくと、ふたつの町内会で今夜は地蔵盆をしている。わたしが子どもだったころに、毎夏、地蔵盆をしていたほうの精米所を兼ねた古い集会所は、もう子どもの数が少ないので、参加者はみな大人だった。近所のお地蔵さんが勢ぞろいしているところで、子どもの病気がたいしたことなくて早く治りますようにとお願いして帰路を急いだ。狭い路地の両側に灯篭が並べられていて、一休さんはいつものように目を大きく見開いて、抱っこ紐の高さからその明かりを見やっていた。空には金色の月がかかっていた。
_ pyonpyon21 [おかえりなさいまし!まずは旅の疲れをとってください。]
_ ね [pyonpyon21さん、ただいま。ありがとうございます。 日本はお天気もよく、のんびりとゆっくりと過ごしています。..]