_ 連休最終日。子どもと一緒に大きな公園へ。長い滑り台を一緒に何度も滑った。子どもを足の間に挟んで一緒に滑ると勢いが増して、子どもの喜ぶこと喜ぶこと。6回ほど一緒に滑ったあと、子どもはひとりでさらに4回ほど滑った。その後、ジャンピングネットが張られている区画で一緒にぴょんぴょん。子どもは靴も靴下も脱いで夢中になって跳びはねていた。その後、おもしろ自転車コーナーへ。実は三輪車も乗れない子ども、一所懸命、変わった(そして漕ぎにくいことこの上ない)自転車を操縦するのはわたしだ。子どもはお目当てのシンデレラのカボチャの馬車自転車が故障のため乗れないことでいらだつ。ウサギ号やパトカー号に乗せて機嫌を取る。その後、池で白鳥のボートへ。チケットを買うとき、「あひる号で」というと、それは白鳥だと訂正されたものだけど、とにかく大きい。これも足こぎ自転車式ボートである。子どもと一緒に乗るんだけど、ペダルを漕ぐのはわたし、ハンドルを取るのは子ども。なので、ぐにゃぐにゃに進むのであった。制限時間が来て桟橋に接岸する難しさったらばなかった。一所懸命、係員の人が誘導してくれてなんとか上陸。制限時間を若干上回ったのはもうやむを得ないとのことで、機嫌を直した子どもの愛想に免じてくれたのか、おとがめ無しでさっさと逃げるように池を背にしたのだった。
それからどんどん森の方へ。小さなせせらぎの流れる岸辺でお昼ごはん。お弁当を一緒に食べ、デザートやらおやつやら。そのうち、わたしは昼寝をしてしまった。その間にどうやら子どもはせせらぎに、靴を履いたまま下りたらしく、足下がすっかりぬれてしまっている。気まずそうな顔の子ども。ピクニックシートをたたんで、さらに森の中へ。トトロがいそうなところで、ずっとふたりで藪やら枯葉の溜まった窪地を、棒で突きながら探検。そのうちアカマツの林に出て、少し開けた舞台で、子どもと一緒にサッカーをした。案外、まだまだわたしのほうが上手だということに気をよくして、小一時間走り回った。別の川伝いに売店まで戻って、子どもと一緒にソフトクリームを食べた。そろそろむずかり始めた子どもを宥めながら帰る態勢へ。ここからが長いのだ。途中でさらにシャボン玉セットやらなんやらを買わされて、なんとか駅までたどり着いたのがその90分後。電車に乗った途端、眠りについた子どもを抱えながら、漸く帰宅。作っておいたカレーを食べて二人で8時にはもう寝てしまったのだった。
_ 連休某日。友だちに誘われて、某所へ街角ジャズを聴きに。街角のあちらこちらで、ジャズの演奏がある。とても楽しく聴いた。子どもは、某こども音楽教室が会場となっているところがとても気に入ったもよう。小学生くらいの子どもたちがエレクトーンを演奏するのを楽しそうに聴いていた。ところどころ、体がリズムを刻むように揺れて、巧みにクラップも入れる!この子はやっぱり音楽が好きなんだなあ…なんて親ばかモードで目を細めたり。商店街の外れのタイ料理店でおいしい昼ご飯を食べて、もう少し昼下がりのジャズを楽しもうと思っていたのだが、子どもがずんと重くなって昼寝モードに入ったので、ふたりで先に失礼して帰った。短い時間だったけど、個人的にはえらくかっこいいアレンジのGiant Stepsを久し振りに聴いてそれがほんとうに岩にしみいる蝉の声というのかなんなのか、家に帰るまでずっと、エンドレスで鼻歌を歌っていたのだった。当然、夜はYouTubeでまた聴いたりして、ああ、音楽!音楽!と思いながら、久々に幸せな眠りについた。
_ 連休某日。こどもの日の祭礼が氏子神社であった。献湯式に御神楽に御稚児行列。子どもはそんなものよりも、スーパーボール釣りに夢中。家に帰ってからは折り紙で鯉のぼりを作成。カレンダーを長方形に折り、ちぎった折り紙を貼っただけなのだが、なかなか面白いものができた。ちまきも柏餅も食べなかったけれど、本当のこどもの日。
_ 中欧某国から一時帰国中の悪友に資格試験関連の図書資料等々を一式謹呈するとか、某大学のえらい先生になった先輩にちょっと前までわたしが専門としていた事柄についてのレクチャーをするとか(大学の市民講座で話すことになったらしい)、恩師の古希のお祝いで教え子がたくさん集まるとかで、この一か月ちょっとの間に山ほどたくさんの知人にあう機会があった。それなりに楽しかったり盛り上がったりしたのだけど、一番盛り上がったのは、やはり悪友と先輩だったような気がする。そこのふたつの邂逅の間に、資格試験勉強時代のクラスメートとの再会もあったりで、わたしにしてはひじょうに多くの友人たちとの再会があった。その度に毎回思ったのは、自分がいかにつまらない人だったかということと、それでもカメの歩みではあるけれど、少しずつよい人間になる方向に進んでいるのかも知れないなあということであった。寿命が来るまでに、もう少しよい人間になっていれば、地獄に落ちてからの艱難辛苦もなんとか乗り切れるのかもしれないと思ったりしている。や、乗り切るとかそういう問題ではないのが地獄というところの恐ろしさだとはわかっているのですが(笑)。子どもは今、論語を勉強しています(笑)。というのは、中国の人と話をしているときに、意味がわからないからこそ、小さいときから「音」として、論語(その人の場合は四書五経全部なんですが)を勉強するのがよいといわれたからだった。で、ともあり、えんぽーよりきたる、またたのしからずや、を一所懸命、お風呂のときに一緒に暗唱している。子どもは疲れてお風呂から出たくなると、ともあり、えんぽーよりきたる、また明日!と行って、さあーっと疾風のように湯船から上がっていく。やはりこの子はわたしの子どものようです(笑)。好きなように自由に生きてもらいたいんだけど、その前に、もうちょっとだけ、論語をインプットしてみたいような気がしています。わたしのように地獄に落ちないように。。
_ 用事があって、開架閲覧室を通り抜けることがあると、かならずその度に、学生さんたちに呼び止められる。三回に二回は呼び止められるので、わりと頻繁だと言っても大げさではないだろう。485.1の本はどこにありますか…、では一緒に行きましょう、で、書名は…、あ、書名はわかりません…ということもよくあるし、「たぶんかしゃかい」の本はどこにありますかというのもあった。岩波文庫と岩波新書を間違えていたこともあったし、ちくまぶんことちくましんしょはちがうんですか?という質問もあった。図書館は何時までやっていますか、落とし物をしたので一緒にさがしてください、というのもあった。おもしろいなあと思って、開架閲覧室を通り抜けるのが楽しみになっている。同時に貸し出しできるのは、わたしの身分では二冊だけとはいえ、十分にその贅沢を味わっている。この大学図書館では閲覧室での飲食が許可されていて、いまだにどきっとすることが多い。パソコンも貸し出しているし、話題の小説や本などを集めているコーナーもある。隔世の感がある。ずっと本だけに囲まれて仕事をするというの至福を味わっていたいところだ。
_ かれこれ一か月前、パートを休んで你好仕事へ行き、検索機械を使える45分一本勝負でめぼしい求人を見つけて応募したところ、翌日、面接の知らせがあって、その次の日、面接を受けた。来週、連絡しますとのことだったが、翌日には採用のお知らせがあって、あれよあれよという間に、工場の仕事を辞めることとなった。辞めるに当たっては、密かに仲良くしてもらっていろいろとおばちゃんから守ってくれた社員さんたちに御礼をしたり、おばちゃんたちにもきちんと別れの挨拶を述べたりして、円満に辞めることができた…ような気がしている。もう二度とは会わない人たちだけど、夢見の悪い思いはしたくないと思っていたので、穏やかに、いい感じに別れることができて、わたしの虚栄心も満たされたということである(苦笑)。
新しい職場は大学図書館である。わたしの経歴が活かされる職場というわけでは全然ない。まったくない。なので、気楽に働いている。図書館員というよりは、銀行員みたいな感じで、一日中、計算をしていたり書類を作ったりしている。よそ様からお借りした資料やらなんやらを扱う部署なので、お茶なんかも飲んだりしてはいけない。机の上に飲み物なんか置こうものなら、わたしの指導係である女性がまるでロッテンマイヤー女史のように「自覚が足りない!」とヒステリックに叫ぶのである。そう、どこにいってもいろいろな人がいるということを、今回の転職で学んだような気がする。ロッテンマイヤー女史は、まだ若いようである。たぶん20代後半であろう。図書館に来る前は、コールセンターか何か、電話での営業活動をする仕事をしていたんじゃないかと想像している。とにかく電話の声と地声に雲泥の差がある。すごい。副業に声優でもしているんじゃないかと思うほど、すごい声でしゃべる。この女性のことは、早々と深く関わらないに越したことはないと思ったので、いつも静かに、ひたすら静かに、黙々と書類を書いている。話しかけられたり説明を求められたり注意を受けたりするときは、必要最小限のやりとりでやり過ごすようにしている。そう思っているのはわたしだけではないようで、部屋にこの人がいるときとそうでないときの空気は、タヒチのビーチとラーゲリでずっと地面を掘っているときくらいに緊張感が違う。この人がご不浄に立ったりどこかへ行ったりすると、皆、深呼吸をする。どこに行ってもいろいろな人がいるのである。
通勤にはバスを使うのだが、これが遠くて遠くて仕方がない。まだ4月だからということもあって、学生は律儀にすべての授業に出席している。いやいや、もはやわたしの時代とは違って、出席しないといけないのである。だから、バスなんかひどい乗車率なのである。せっかく桜の見所がたくさんある場所だというのに、昼時などはとても外に出て行こうという気にもならない。そそくさとお弁当を食べたあとは、開架閲覧室へ出て、書架から書架へと図書館独特の静けさと空気の中を泳ぎながら、本の旅に出ている。ときどき椅子に座って本を読むこともある。利用カードで本を借りたりもする。そうしながら、今まで偽物気分でいた自分が、それでもまたこうして新しい偽物となって図書館を徘徊している状況を頭の中のモニターに描いて、笑ったりしている。
_ もう少し、全体の流れの中で、この作業はどういう段階にあるのかを教えてもらえたら、助かります。マニュアルが欲しいというのではなくて、今おこなっている作業がどういうふうにつながっていくのか、また個別の機械や道具の名前と機能を簡単に教えてもらえたら戸惑うことも少なくなると思いますとお願いするようなことになってしまったのは、ブザーが鳴って(何のブザーかわからない)、ラインについているのがわたしひとりしかいなくて困った時のことだった。するとおばちゃんは、「まだ覚えてへんのかい!」と怒号を張り上げた。ほかでもないおばちゃん自身が、「いろいろなブザーが鳴る。それを聞き分けるのはとても難しいから最低でも半年はかかるわなあ」と教えてくれたのだっただが。それ以来、質問するのがもういやになってしまい、覚えられたことだけを淡々とこなしていたら、あるとき、突然、雷鳴が轟いたような声がした。それはどうやらわたしに向けられているようで、瞬時には何を言われているのかまったくわからなかった。なにかの発作を起こしているようにも見えた。どんな発作ならばそうなるのか、冷静に考えればなんにも思い当たるものはないのだけど。あ、怒ってはるんかとようやくわかってからは、その内容よりも、そこまで怒りを露わにする人をこれほど近くで見たことがなかったので、ただただびっくりしたのだった。その足で、くるっと背中を向けて帰ってもよかったんだろうなあと今なら思う。でもただただびっくりしたので、かえっておかしくなり、そのまま続けてラインに立ち続けた。ああいうのはもうごめんだなあとようやく思えるようになったのは、帰宅してからのこと。ショックということではないけれど、それなりに衝撃は受けたのだろう。とにかくびっくりしたなあ。。なにか質問すれば「まだ覚えてないのか」と言われ、なにも聞かなかったら「なにもしらんのに勝手にやるな」と言われる。社員さんもこういう状況はうすうすわかっていると、別の方面から聞かされてはいるけれど、なんの救いにもならないと思う。ものすごくいらいらとしたオーラを発する人と、一緒にこれ以上は仕事はできないなあ。パートを続けながら収入は確保しておいて、ハローワーク通いを続けるよりほかにないから、もうちょっと我慢しよう。
_ ラギ [「ともあり、えんぽーよりきたる、また明日!」可愛すぎ(笑) 聞いてみたい!!]
_ ね [ほんとに(笑)。ちびっこがかわいい声でむずかしいことをいう声に癒やされています。]