最新 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|12|
2022|01|08|

  1. ぜぶら (07-27)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

09-07-2006 / Sunday [長年日記]

_ ついに扇風機を出してきた。今日はお天気もよく、洗濯物も無事に乾く。

_ iPodさんが亡くなられてしまい、また音無生活中。ステレオは、どうも室内にあるなにかと相性が悪いようで、音が鳴らない。ただたんに壊れているともいえるが、すべてのデバイスを使わないでスイッチを入れると、ふつうに鳴る。どうでもよいことですが、音楽を聴きながら自転車に乗ると、視野が狭窄になりますね。たぶん、背後や真水平方向からの音が聞こえなくなるからなのだろうな。こうなると、耳に障害を持っておられる方にとって、商店街なんかの音楽などは、とても迷惑なのかも、などと思う。気配を感じる速度も、遅くなるような気がする。昨日、学生さんが講義中に音楽を聴いていた。そういうのは別に構わない。あと、提出物を出す時だけ来て、名前と「いろいろなことがわかってよかったです」とだけ書いて去る学生さんがいる。こういうの、実はネガティブ・ポイントだということがわからないのかなあ。実はちょっと押し問答になったのだけど、あちらの言い分は、「来たんだから出席じゃん!」というもの。「来たといっても事実上、講義がおわってからなのだし、しかもこんな一文を書かれても、マイナス評価にしかならない」というと、泣き声で「おねがいしますー」という。実はわたし、出席点をつけていないということを知らないのだろう。あと、わたしの名前が入った雑誌のエッセーを配ったときには、「ある女がこういことを考えてこういうことをして、こういう結果になったらしい。世の中の女には、いろいろある」という提出物を出した人がいた。これは、要するに…ねえ。。世の中にはいろいろな学生がいる。

_ アフリカ。ナホトカまで船に乗り、シベリア鉄道でモスクワ。北海の沿岸部経由でパリを目指し、パリから飛行機のこともあれば、船でジブラルタル海峡を越えることもあったそうだ。必然、フランス語圏に到着。一方、当時、パンナムという飛行機が飛んでいたとのこと。羽田ー香港ーコロンボーセイシェルーアジスアベバ。東アフリカは英語圏。ザイールは公用語としてはフランス語だが、スワヒリ語圏が東部に広がっていたらしい。それで日本の霊長類研究が発展したような話らしい。米山先生がまだ5回(その当時にアフリカにすでに5回行っているって十分すごいと思うけど)しかアフリカに来ていないのに、もう伊谷先生は20回以上、アフリカに来られていたという話をききましたと、昨日の話題提供者の先生がお話されたのが印象に強く残っている。1958年、ザイールのあるホテルの宿帳には、今西錦司と梅棹忠夫のサインがあったのだという。自分以外の日本語署名が残されていない宿帳は、よく見る。しかし、わたしの名前など、せいぜい華語系の人に間違われるのが落ちだ。ま、そういうことはどうでもよいのだが、昨日のシンポで思ったことは、やっぱりひょっとして、教養部って大事じゃないかい?ということだったのかも知れないこと。今、教養部を復活させたら、最初の二年で退学する人が激増しそうでもあるが、3.4回生はひまではなくなり、就職活動のあり方も変わるだろうか‥というのは短絡的でしょうか。


08-07-2006 / Saturday [長年日記]

_ ひょんなことから、近衛ロンドの同窓会。わたしは最後の5回ほどを友だちにくっついてのぞいただけだったが、ものすごく荘厳なサロンな雰囲気があった。今でも覚えているけれど、わたしの隣にはそれからまもなく不治の病でお亡くなりになることになるT先生がお座りになった回があった。そのとき、わたしは先生のご病気を存じ上げていなかったのだが、知らない人が見ても、一目で体が辛いに違いないとわかるほどであった。あとはいかにも荘厳な先生たちばかりで、どなたがどなたやら、もう覚えていない。楽友会館の1階の、すんばらしい椅子の置いてある鹿鳴館みたいな部屋(だったやうな。。)。

同窓会といっても、もちろんほとんど存じ上げない先生たちばかり。かつてはいかにアフリカへ行くのがたいへんだったかという話を拝聴する。某M先生も仰っていらしたし、先生の娘さんも指摘されていたことであるが、気軽におしゃべりにいけるサロンのような研究室を構えておられる先生というのもまた、激減したなあという話、深く同意。米山先生の研究、いちどちゃんと通読したいなと思った。あと、ひさびさに怖い怖い、某先輩にお会いする。怖くて逃げた。

_ 暑い最中、久々に川岸でお弁当を遣い、とんびに襲撃された。とんびは害鳥。わたしだって、朝三時半とかに起きて、非常勤生活をしているのだから(これは準備がへたくそだからなのだが)、とんびだって、人間に頼らない生活を送るすべを探してみてはどうなのか。ない人から奪ってもだめ。ある人のところから取るくらいの気迫がないと、鳥としていずれ存続の危機に瀕するのではなかろうか。人を襲う鳥はカラスだけでたくさん。


07-07-2006 / Friday [長年日記]

_ ところで今読んでいる本、帰りに空港で買ったジョン・アーヴィングの新刊(かな?)。厚さ的には余裕で押し花ができそうだが、ペーパーバックなので重しにはならない。またおもしろいのかどうかもわからないくらいにしか、まだ読んでいない。

_ 完全に消耗している。だめ。こなだいの非常勤前に、実は駅のコンビニで栄養ドリンクを買って飲んでみた。講義中はいつもテンション高めなので、飲まなくてもよかったのだけど、日本はとにかく熱くて、湿度にやられてしまった感じ。今も、季節になじめないから、疲れが取れないのかな。地球温暖化ということばをひしひしと感じる。こどもの頃、うちはクーラーも扇風機もなかったけれど、みんな元気に暮らしていたものなあ。

_ 七夕。

_ 出張から帰ってからこの方、一日も休みがなかった。荷物も当然、まだ開梱されていない。洗濯物も、お天気を見ながらということで、まったく手つかず。今まで非常勤を休んだことがなかったのが、ここに来てどひゃどひゃと補講の連続。体がもちそうにないということで、昨日は一日、ゆっくり休ませてもらった。今日は七夕だから休み。明日からは補講のロードが始まる。。体力、持つかな。出張中も、たった一日、半日だけ、帰国便の乗り継ぎ券を買いに行くために、休みを取っただけで、あとは8時からほぼ12時間ずっと仕事だった。せめてあともう5日ほどあったら、よかったのだけどなあ。。

_ 夏ばてらしく、完璧に、食欲減退。喜ばしいことではあるが、むちゃくちゃ、しんどい。


06-07-2006 / Thursday [長年日記]

_ 某社の破産申請。生協とか、そんなところにはお願いできなかった結構、無理難題を、ずっとお願いしてきたので、びっくり。外国の小さな博物館で開かれた小さな展覧会の図録とか、古い時代の会議のプロシーディングスとか、結構、探してもらった。大学院に入って、最初に買ったハードカバーの洋書も、生協では全然見つからなくて、ここにお願いしたものだ。担当の方、今、どうされているのだろうか。

_ そのままストレートに就職した一つ上の先輩(当然、学位なし)が、どんどんと大学のセンセイ化していく。


05-07-2006 / Wednesday [長年日記]

_ 百年ぶりくらいで、南部生協でお昼ご飯。食後、猛烈に眠くなる。薬でも飲まされたかー、と思うくらい。実は、かれこれ8年ほど前のある日、某国のディスコティークで、一服盛られたことがありました。幸いなことに、飲み物を飲んですぐに帰宅の途に着いたので、ホテルに帰ってから救急車を呼ぶ羽目にはなっただけで、恐ろしい目には遭わずにすんだ。なんだか懐かしいような歴史だ。ところで、ディスコティークといっても、現在のクラブとやらの原型とかそんなのではなくてですね、民族的伝統踊り系ディスコ。温泉なんかにある宴会場系ディスコである。ここでみんな踊る。二列になって、男女が向かい合わせになって踊るのである。身体接触は禁じられているので、チークダンスふうなのも一切なし。みんな一人で糸巻き巻きふうな振り付けで踊り狂う。大勢で踊るのだが、かぎりなく一人の世界であり、もじどおりのフォークロアダンスだ。これが踊れんずばして何をかを語らんやというわけで、某国歴が長いのに踊れない人はもぐりとされている。そういうわけで、わたしももぐりなのである。こんな演歌な踊りは踊られないのです。もちろんポップな踊りもまた、踊られない。それなのに毒を盛られてしまったので、踊りなんてきらいになったのである。


最新 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|12|
2022|01|08|