_ ずっと探し求めていた絵本とレコードのコンビネーション。童音社の「おはなしコンサート」というシリーズであることがわかった。今考えれば、なんとあほだったんだろう。。インターネットを駆使すれば、もっともっと早い段階で情報にたどりつくことができて、オークションなどで状態のよい12巻セットを購入できたのだと思う。実際、今年になってからの記録をみてみても、そういう落札が何度もあったようだ。今、出ているのは12巻のうち3巻が欠品のセット。探し求めているものが、どういうものであったかがわかって、少し落ち着いた。全巻がそろっているかは不明だけれど、国会図書館にも入っているみたい。復刊どっとこむにも登録されているようだから、いつかきっと復刊されることを願いつつ、記憶の音と絵との再会を楽しみにしている。よい状態のものが見つかれば、すぐにでも買いたいけれど、きっとレコードを聴きながら泣いてしまうだろうなあ。今、一休さんに歌ってあげる歌はほとんどそのレコードの歌であるか、わたしが小さいときから知っている歌ばかり。その小さいときから知っている歌は、母がわたしに歌ってくれていたのだろう。母が歌う歌とわたしが歌う歌が同じであることに気がついて、しばし胸が熱くなった。
_ あれこれ手を尽くしてもどうしても離乳食を食べてくれないので、先週半ばからしばらく休んでいた。わたしが書けない病にかかっていたということもあり、余裕もなかったからだ。昨日、小さな落雷の音を聞きながら、わたしは無添加の野菜ジュースを飲んでいた。一休さんがじっと見ている。ふと思い立ち、一休さん用の小さな手造りグラスに1センチほどジュースを入れて、お湯で4倍に薄めてみた。離乳食用のスプーンで口に近付けたところ、初めて口を開けてくれた。いつものように、口からそのまま吐き出すこともなく、飲んでくれる。よし今だと思って、冷凍しておいたカボチャのペーストとおかゆをダッシュで電子レンジであたためた。茶漉しに鰹節を入れて、ポットのお湯で簡単一番だしを取り、おかゆとペーストを溶いた。一休さんは、少々、難しい顔はしていたが、全部食べてくれた。今日食べてくれたからといって、明日も食べてくれるかどうかはまだわからないけれど、よかったよかった。小さい子は毎日、成長が見て取れるところがよい。たくさんほめられて、得意げにしつつも照れ笑いをしている一休さんを抱っこして、雨上がりの公園を少し歩いた。アジサイの葉っぱがぴかぴかに光っていて、一休さんに教えてあげようと思ったら、もうぐっすりと眠っていた。如月さんにも連絡してあげなくては。
_ 保育園へ子どもを迎えに行ったときのこと。いつもならば仏頂面をして、先生に抱っこされて、わたしを待っているのだが、昨日はなんとプレイマットの上に座って待っていた。上機嫌で、わたしにだけでなく、先生やまわりのお友達にも、にかにかと愛想よく笑っている。先生も、ミルクもたくさん飲んだし、お昼寝も午前と午後とで3時間もした、沐浴も楽しそうにしていたし、よだれもたくさんになってきましたねという。ほんとに大きくなってきたんだな。赤ちゃんのときから来ていたコンビの服やガーゼの服がどんどんと小さくなってきている。これで離乳食をしっかり食べてくれるようになったら、もう幼児になってしまうんだろうなあ。「アンの夢の家」の終盤、こういうくだりがある。来週からベビー服ではなく幼児服に衣替えをするジェム坊や(アンとギルバートの長男)のことを考えると、アンは胸が張り裂けそうな思いをする、というもの。赤ん坊が身近にいる暮らしをしたことがなかったから、小さい赤ちゃんがどんなにたいへんで、どんなにかわいいかを知らなかった。アンの気持ちがよくわかる。
カルガモさんもこの頃は、ちょっと幼児服っぽいものを着ることがある。小花模様のかわいい服を着ていても、ピンクでコーディネートした服装をしていても、「かわいい坊ちゃんですね」と言われるカルガモさん。思い切って、これからは男装させようかというと、母が本気で唸りました。頭髪も薄く、どうみても一休さんにしか見えないカルガモさん。これからも病気はできるだけしないで、元気に育って欲しいなと思う。
_ で、わたしはというと、締め切りをとうに過ぎた原稿をいまだ後生大事にしていたりします。全然書けなくて、ほんと、頭が割れそう。どうしよ。
_ 年度の後半に、もう一度、長期での出張が予定がある。この日程を早く決めてしまわなければいけないのだが、なかなかできない。いくつか解決しておかねばならない理由があって、むずかしい。
_ わたしが小さい頃、買ってもらったおもちゃだったのか、弟のおもちゃだったのかわからないけれど、セルロイドっぽいおきあがりこぼし人形が家にあった。わたしはこれが大好きだった。頭の部分とおなかの部分と、ふたつの球からなる人形で、おなかの球にチャイムが入っている。この音がとても素朴で、お人形の顔がレトロでいかにも外国人ぽくて、いつか子どもを持つことがあったら、このおもちゃを買ってあげたいと思っていた。21世紀のそのお人形は、おきあがりポロンちゃんと名付けられている。
カルガモさんは、初めてポロンちゃんが届いた時、怖がったらしい。わたしは大学に行っていたので、その場面をみていないのだけど、顔を歪めて泣き出したという。ところが、今回、帰国してみれば、顔なじみのおさるのぬいぐるみやくまこさんはさておき、真っ先にポロンちゃんに手を伸ばした。夜中など目が覚めたとき、以前ならばまず泣き声を上げたのに、今は枕元に置いているポロンちゃんに手を伸ばして、音を鳴らす。そうすれば、かならずわたしが目を覚ますことを知っているかのように。
添い寝しながら母乳を飲ませているときも、振り子時計みたいに、しばらく飲んでは、しばらくポロンちゃんを振り返って手を伸ばて音を鳴らし、また振り返ってうっくうっくと飲んでいる。その様子を見ていると、大きくなったなあと感慨深い。もうお座りもできるようになった。まだ寝返りを打つのがあまり上手でないのだが、あやせば笑うし、親が口をぶっと尖らせて音を立てれば、子も必死にまねをする。高い高いをすれば、きゃっきゃと声を上げて笑う。電車に一緒に乗れば、きょろきょろと車内を見渡し、きっと誰かの視線を捉えてはにっこりと笑う。どんな大人になるのでしょうね。今日で6ヶ月。大学の友だちがカルガモさんの手相を見て、「学者に向いている」と言うので、猛烈に怒ってしまったわたしです(苦)。手に職をつけさせますねん!
_ 帰って来た。学会のことは聞かんでやってください(笑)。今度こそほんまに死にたくなった。しばらく腐っていて、夫にははなはだ迷惑をかけました。
それでも無理していろいろ仕事を少しこなして、ペンディングになっていたカルガモさんの共同体メンバーに入れてもらうためのイニシエーションも無事にこなし(肝心なところでビデオの録画スイッチを入れ忘れてしまい、そのことはこの期に及んでもまだ夫には話していません)、むちゃくちゃへとへとになってしまったということもあります。予定よりも早めに帰国することにしてしまいました。夫にはかわいそうなことをした。その間も、とにかく腐っているか洗濯しているかのどちらか。毎日一回は手抜きをしようと思って、カルガモさんを連れて外国人向けのカフェやレストランでゆったりとした食事を取ることを心がけた。時にはプールに泳ぎにも行った。その合間合間に、書かなければならないものを書いたり、調べなければならないものを調べたりもした。日本人会の付き合いも疲れない程度にこなした。妊娠して以来、乗るのを止めていたバイクに乗った初日、運悪く、検問に出くわした。運悪く、免許証もバイクの所有者であることの証明書も携帯していなかった。外国人はぼったくられるで〜と聞いていたのだが、検問突破する勇気もなかった。意を決して、外国人のふりをして(パスポートのコピーさえ持っていなかったのである)、「Wow, I am so sorry...」と言いかけたらば、「Ok, ok, please go ahead」と、無事に通されたのであった。よし、これからはこの手で行こう、などと少しだけうれしくなった。子どもが生まれて以来、自分のものを買うこともまったくなかった。思い切って散財するぞーと、繁華街に向かった。こんなん自分で縫えそうなどと思ってしまうからか、以前のように張り切って買い物もできなくて、驚いたりする。残してきた子どもと夫のことを少しだけ気に掛けながら、久々の自由を満喫すべく、すべての道を南北東西に駆け抜けて、大満足して街道筋の屋台で晩ご飯を包んでもらって帰宅したあの日。カルガモさんがさんざんに泣き疲れて腫らした顔で、とっぷりと暮れた夕闇の下宿の庭で、夫に抱かれて座っていたのだった。自分の都合で某国くんだりまで連れてこられ、父親に会ったはいいけれど、人見知り真っ最中でさんざん泣きわめいてようやく父親のことを思い出したと思ったら、また母親の都合で日本へ帰るのである。不憫やなあと思うのだけど、そういういろいろを家族で乗り越えたなあという感慨が、今回は大きかった。夫が寛容であることに甘えすぎてはいけない思いつつ、またしばらく日本で暮らす。