_ 世間的に見れば、チョー最下層な生活をしているのだけど、親子二人で楽しく過ごしている。夫はほとんど毎日、電話をかけてくれる。ふたりともスカイプだといいんだけど、夫はタイプライター人(笑)。今時の若い人であれば、某国は日本などよりももっともっと顔ブックやらスマートフォンの普及率が高いから、ほかにもコミュニケーションの取りようもあるのだと思う。
年末はできる範囲でおせち料理を作った。ことしはお雑煮と紅白なますがおいしかった。煮染めが失敗したのは、お出汁をとてもとても薄く取ってしまったから。いくら調味料を入れてもなぜかもうおいしくはならなかったのであった。
元日は近所の氏子神社へ。おみくじは末吉。翌日は某御大のお宅で毎年開催される新年会。子連れ歓迎の会なので、同級生の子どもさんたちと久しぶりに会ったり。あとは子どもを連れて散歩や図書館詣での毎日。家では離乳食を作っているか子どもと遊んでいるかのどちらか。ほんとはだめなんでしょうけど、寝付きの悪い子どもを膝の上に抱えて授乳しながら、「発言小町」を読むことも多かった。いかにも讀賣新聞的な人生相談の延長線上にあるウェブ空間なんだなあと深く感心した。どんな質問が批判され非難の嵐がごうごうと吹き荒れることになるか、わからない人も多いようで、ほぼ周期的にそういう虎穴に入ってきてしまう丸腰の姑さんやお嫁さんやママ友さんたちがいる。海外組もおれば婚活組、離婚したい組もやはりいる。なんかすごいな〜と思いながら人の人生劇場をずっと拝見させていただいておりました。タイムリーにも子どもが難聴みたいでどうしようというトピ(ックのこと:小町用語)が立っていて、思わずお気に入りに入れて毎日チェックしたり。
親戚が集まったのが十日戎の日だったので、子どもを置いて、自分一人だけで隣町の割と大きなえべっさんへ出かけた。ものすごくいろいろな種類の屋台が出ていた。それがすべて、500円均一だったのが、興味深い。リンゴ飴の500円とキャベツがざくざくの広島焼きの500円は、なんとなく価値が違うような気がした。フランクフルトは三本500円。一本だと200円。イイダコがひとつひとつに入っている巨大たこ焼きもあった。また並んで参拝しておみくじを引くと大吉。そのあと福笹を買うため並んでくじの入った玉を引いたら、もっとも外れくじの笹が当たった。これは紙製の鯛やらえべっさんの顔がついているだけで、あとの飾り物は全部自分でこうておくんなはれ、というタイプのもの。この程度がわたしの大吉らしい。大きな笹だったので約3キロの道のりを口笛吹きながら歩いて帰宅。
そうこうしているうちに2ヶ月に一度の子どもの聴力検査の日がまた巡ってきて、大学病院で缶詰になる。睡眠剤を飲むのをいやがって小鬼のように顔を真っ赤にして耳鼻科の待合に響き渡る泣き声を発する一休さん。早く眠りに落ちるようにと、抱っこしてフロアからフロアを歩き回った。
勉強関連ではいろいろ。いろいろ進めているんだけど、言い訳がましいけれど、子どもと一緒ではなにもできない。せいぜい授乳しながら本を読むくらいしか昼間はできない。しかももう1歳なのだからいつまでも母乳を飲ませるわけにもいかない。夜、早く寝て、3時頃起きようと思う日に限って、子どもも3時に目を覚ましたりする。待機児童でなくなったらそれはそれでまた保育費をどうしようかという問題が出て来るんだけど、子どもを預けなければ、パートであろうがなんだろうが実際なにもできないわけで。しんぼう、しんぼうと言い聞かせながら毎日暮らしていた。
子どもと一緒にNHKの子ども番組を見たり歌ったりしながら、少しでもほんとは耳は聞こえているんだという確証を探そうと躍起になったり、そういう行動を反省したり。子どもはオフロスキ―さんが大好きである。オフロスキ―さんのコント(なのか?)は、どちらかというと大人向けのような気がしないでもないのだが、なかなかチャーミングな人で、わたしも楽しみにしている。近所の公園のママさんたちの派閥やその行動時間、幼稚園児のママさんたちのそれ、みんなが帰ったあとにひっそりとやってきて、静かに遊ぶグループのママさんたち(わたしはここに属しています)の生態調査ももれなく実施している。わが子は母と違って、実に某国人的に明るく誰とでも一緒に遊びたいタイプの人。病院でも待合で、小さい子どもがいると、自分からニコニコと話しかけている(というか、自分語を発して呼びかけている)。もう少し暖かくなったら、遠くの児童図書館にも足を伸ばしてみようと思っている。
という感じで、私小説的に振り返るといかにもぱっとしない日常なのですが、それなりに楽しいこともあって、落ち込んだりはしていない。。ように見えるところがまずいんだよな〜なんて思う空元気もあったりします。ま、まだ寒い季節だしな〜。これでいいのだ。と思っています。
_ なんというのか、あっという間に年が明け、大いにタイミングを逸してしまいましたが、明けましておめでとうございます、寒中お見舞い申し上げます。本年もぼちぼちとがんばって生きていければと思っています。よろしくお願いいたします。
_ なにしてた〜ん、と問われてもなんともいいようがないくらいに、いつものように暗く過ごしていた。「マーチ家の父」を図書館で借りて以来、すっかりと近所の図書館での読書にはまってしまい、子どもと散歩がてらに図書館にでかけては、山ほど本を借りてきた。秀逸だったのは、「巡礼コメディ旅日記」、ハーペイ・カーケリング。あまりにもおもしろかったので、一回返却して、また借り直したほど。今のわたしに必要なのは、なにか巡礼的なものなのかと思うところがあったのか。きっとそうなのだろう。この道程は、去年の春ごろだったか、NHKで再放送をみてすっかり夢中になった「サンティアゴ青春巡礼」と重なるから、ゴールはサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂。巡礼というのは、マーチ家の娘さんたちが登場する本編のほうでも、一章のタイトルになっていた。自分の来し方と重ね合わせてみると、この短い時間に「巡礼」というキーワードと何度も巡り逢わせたことの不思議をおもわずにいられなくなった。
去年の秋、出張を終えて帰国する直前、大学から連絡があった。わたしの雇用経費が出ている資金が予想外に早く尽きかけている、出張終了と同時に一旦辞職するか(パートなりアルバイトなりをみつけてくれということ)、月に一回の出勤と引き替えに身分を確保するかどちらかにしてくれと言われた。こういうのは、世間的にみてどうなのかとも思ったけれど、思うところもあって後者を選んだ。そういうわけで時間だけはたっぷりとできた。ただし経済的にはもう落ちるところまで落ちていて(笑)、来年度の身の振り方がきまらなければ、もう行政に助けてもらわないとどうにもならないというところまで来てしまっている。たとえ片道でも飛行機代を捻出できるうちに、夫のいる国へ脱出するしかないのだろうか。耳の聞こえない子どもが某国でどんな教育を受けることができるだろうか。某国に行ったって、わたしにできる仕事はもっともっと、ない。外国人の正規雇用などないのだ。農業に取り組むか。親の因果が子に報うことになり、子には申し訳ない。もうなにをどうしていいのかわからない。そういう暗澹とした毎日の中で、子どもだけはきらきらと明るく大きくなる。12月21日、子どもははじめてしっかりと二足歩行をして、わたしの腕に飛び込んできた。年が明けて初めて一時保育に預けられた子どもを夕方迎えに行くと、「おああたん!」と聞こえる声のようなものを発して、子どもが満面の笑みを浮かべて高速はいはいで駆け寄ってきたのだった。この子や夫を残してひとりだけいくようなことにならないよう、春まであともう少しがんばってみよう。これが巡礼だと思えば、いつかはわたしが神と出会うこともあるのかもしれない。ただ光の射す方向に向かって、毎日歩き出すだけだ。
_ 先週の金曜日、「マーチ家の父」も読み終えたし、子どもが寝たら書き物のついでに感想文を書いたりなんかしてゆったりと週末を迎える準備をしようと思っていたら、その晩に限って、いつまでも起きていて、わたしの周りをちょろちょろとしていた子どもが、腹ばいになっていたわたしの上に乗りかかってきた。いつものように遊んでいるのだろうと思って、すぐに上向けに直って両腕で子どもを持ち上げ、飛行機遊びをして、布団に寝かしつけようとしたところ、子どもが突然、嘔吐した。顔が真っ青になっている。本人は初めての経験で、驚いたのか、声も出ないようで、こちらが思わず出した声で我に返ったのか、泣き始めた。すぐに新聞紙を取りに行ったり、タオルを取りに行ったり右往左往してしまったのだが、結局、その場を冷静に取り仕切ってくれたのは母だった。子どもがそれ以上、状況に驚かないように落ち着かせ、熱を測り、水を飲んでも吐くかもしれないからガーゼで口を湿す程度に止め、汚れてしまった毛布や布団カバーを剥ぎ取り、子どもを着替えさせてくれた。呆然と、片手に新聞、片手になぜか台所用布巾を手にしたまま、ああ、これが保育園の先生が話していたウィルスか、、と思った。
その前の日に、一時保育の保育園に行ったところ、おなじクラスの子どもが三人しか来ていなかったのだ。まだ来ていないのかなと思っただけで、その場は子どもを預けてさっさと辞したのだが、夕方、子どもを迎えに行った時も、0歳児のクラスは4人しかいなかった。先生に、他のお友達はどうしたのですかと尋ねると、ノロではないようだが、ウィルスのせいで、みな下痢と嘔吐でお休みをしているんですよと教えてくれた。実は、その日の朝、子どもは元気だったのだけど、今日は保育園に行かせないほうがよいような気がざわざわとしていた。その原因は、これだったのかー、と腑に落ちたのだが、先生が仰るには、もしかすると一休さんも数日中にそういう症状がでるかもしれないとのこと。そうですかとしか言いようがなかった。帰宅して、いつもよりも念入りに、一休さんの顔と手をお湯でしっかりと洗い、保育園から来て帰った衣類はすべて洗濯機にすぐに入れたのだけど、もうしっかりと感染していたのだと思う。
金曜日の夜は、8時になるのを待って、すぐに子ども医療相談に電話をかけ、緊急受診する必要があるかどうかを尋ねた。ノロでもロタでも、基本的に特効薬がないので、嘔吐や下痢が治まるのを待つしかないらしい。脱水症状にならないように注意して、ゆっくり休ませるようにと言われる。嘔吐の後、発熱が顕著になるにつれて、顔色は赤くなり、結局、その夜は、子どもは2回、吐いただけで、あとは寝苦しい夜を過ごしたようだった。翌日の午後になってから下痢が始まったけれど、それ以外は容態は安定していて、さすがに離乳食はたべさせなかったけれど、母乳はしっかりと飲めるようだった。と安心していたら、なんと今度は母とわたしに子どもとおなじ症状が出た。。ついでに激しい頭痛付きで、なんともサバイバルな数日間を過ごしていたというわけでした。わたしは下痢も嘔吐も、某国暮らしの中で頻繁ではないけれど、普通に経験してきたので、じっとしていたらいつかは波が引くように落ち着くとわかっていたのだけど、自分がしんどいときに、子どもの面倒をみるというのは今回が初めての経験だった。ああー、夫がいたらどんなに助かっただろうと、思ってしまったのだった。夫に話したら、某国だと子どもが吐いたり下痢したりというのは、余りにも当たり前のことだから、ボクはあたふたなんてしないよなどと笑っていた。
子どもは今回のウィルス感染で、もっともっと甘えっ子になってしまったよう。今回、帰国してからは、ずっと一人でベビー布団で寝ていたのに、病気になってからはわたしの肩に頭を乗せてでないと寝ないようになった。軽い症状ではあったけれど、病気になると不安になるからだろうな。。でもまたいろんな経験をしてちょっと大きくなったねと言うと、一休さんは、どこで覚えてきたのだろう、肩をすくめて恥ずかしそうなポーズを取って、笑った。
_ 御大に長いメールを書いたり。
_ 某所よりの帰路、久方ぶりに少し遠回りをしてタイガース百貨店を覗いてみる。お気に入りのアクセサリーのお店がどこへ行ったかわからなくなっている。一階にあったアクセサリーやハンカチなどの装身具売り場が二階へ移動している。そういえばちょっと前にリニューアルしたとかなんとか、リオープンしたとかなんとかというニュースがあったけど、あれはいつのことだったっけ。なので今日は思い切って、ブレーブス百貨店(!)でおつかい。ここも大幅なリニューアルで、百貨店の一階がいきなりお菓子売り場になっていた。凸凹に比べてどわーっと人が多く、どちらをみてもすごい人。そうでなくても目がちかちかするから用事をさっさと済ませてさっさと特急に乗り込んだ。どんどん世の中の動きから周回遅れどころか3周遅れくらいのところをえんやこらと走るようになっている気がしてきた。
_ 図書館にて借りてきた「マーチ家の父 もうひとつの若草物語」を電車の中で読む。なんというのか、「若草物語」の雰囲気、かしましい四姉妹の成長譚の漂っている花の香りや温かいミルクの匂いに溢れた「家庭」の向こう側にかすかに透けて見えていた灰色の影(南北戦争)が、ばーんと全面に打ち出されていて、ちょっと面食らう部分がある。マーチ氏は、オモテのお話ではほとんど存在感がなく、それゆえに姉妹は成長していかざるを得ない日常を生きているのであるが、え、こんなにも情報が少ない人の話をこんなふうに広げて描いてええんかいなとさえ思うほどである。まだ最初の4章しか読んでいない時点で感想を書いたりするのはおかしいんだけど、若草物語のスピンオフとかそういう次元の物語ではないことはわかった。あまりよく知らなかった南北戦争のことがわかるにつれ、そこで取りこぼされたことが、今のアメリカにもまだ根強く存在しているんじゃないかとか、そういう問題をつい考えてしまった。アメリカっていう国はアメリカの内部にはなくて、誰かとの相対的な関係で存在している国なのだろうか。なんてわかったようなことを思わず考えてしまいました。
_ 夫から電話がかかり、わたしが某国語で話し始めると、子どもの顔が急にきらきらとしてくる。いつも歌う子守歌をiPod でかけるとうれしそうに見上げる。一緒に卓上ピアノを弾けば、ばんばんと鍵盤を叩き鳴らし、遊んでいるんだか超前衛音楽を演奏しているんだかわからないような真剣な顔つきをする。バイリンガルの子どもは、ことばが遅いという話も聞く。だからそれほど心配はしていないのだが、子どもは実は耳が聞こえていないらしい。少しは聞こえているみたいではある。しかしその少しがどの程度なのかは、まだ本人が小さすぎて、よくわからないのだという。大学病院の検査室で子どもを膝に座らせ、なんだかよくわからない不可思議なマニュアル式の検査を受けたり、睡眠剤で眠らせて脳波を測定する検査も受けた。今はNICUがあるような病院で生まれたら、生後一週間以内に簡易聴力検査を受けるのだという。わたしが出産した病院ではその検査がなかった。だから、先天的なものなのか、中耳炎が遠因の後天的なものかは、それもまたまだわからないのだという。検査の結果、異常が認められましたという電話がかかってきて以来、高齢出産だったからかもしれない、生後数週間で飛行機に乗せたからかもしれない、お風呂で水につけてしまったこともあったかもしれない、鼻風邪を引いたときにすぐに病院に連れて行かなかったからかもしれないと、あれこれと考え出して止まらなくなる。保育所なんかに行かせるから変な風邪を引いて中耳炎になったのかもしれない。それでも毎日一緒に暮らしていて、ほんのりと明るく温かいものを感じさせてくれる子どもの様子には、何の問題もないように見えるのだ。たいしたことはないんじゃないかな。たいしたことがあったとしたら、それはそのときにまた考えよう。そう思って、明るい顔で過ごすようにしているんだけど、親の因果が子に巡ったのだとしたら、もうなんといっていいのかわからない。いやいや、look on the brighter side of life。一緒にビートルズが聴けなくても、他に一緒にできることはまだまだたくさんあるはずだしね。
_ ニゲラ嬢 [なにはさておき、早く暖かくなってほしいです〜。今年もよろしくお願いします。]
_ ね [ニゲラ嬢さん、ありがとうございます〜。今年もどうぞよろしく。MacAir、当たるといいですね♪]