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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

28-06-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 先日の日記が、なぜかしり切れトンボになっていたのは知っていたのだけど、もうどうやっても直せなくてなんだか自分がものすごく「無能の人」、あるいは鈍感力を発揮しているおばはんに思えてくさくさしていた。

週末くらいから、異様な暑さが本格的に始まって、諸般の事情からクーラーも付けられないので、ひたすら団扇で扇ぎ、夜中であろうが打ち水ができるところには水を撒いたりしていたので、とにかく一日中非生産的に眠気が押し寄せてきてたいへんだった。朝昼晩、行水していたような気がする。

それで考え方を変えて、ある日は朝から電車を二回乗り継いで行かねばならないようなところにある超大型ショッピングモールに出かけてみた。節電てどこの国のこと?といわんばかりに、がんがんに冷房が効いていて、寒いくらいだ。そ、それに、これが今時のショッピングモールなんだね!!とにかく広い!すごい!昼時になっても、フードコートに空席がある!フードコートがなんだか某国を思わせる料理やさんの展開で、ええ〜ここはどこなんだ〜と、思わずテンションが上昇したおかげで、せっかく冷えた体がまた暑くなってしまう始末で、とにかくビックリしたです。広いんだな〜。そして、いろんなものがあるんだな〜。QPさんは、いつもはショッピングモール備え付けの子ども用カートに乗るのをとてもいやがる。自分はそんな子ども騙しは嫌いなんだという態度で、断固として抱っこ紐から下りない。なので、その時は家から乳母車に乗ってきていたのだが、そのモールに備え付けの子ども用カートが、QPさんのハートを鷲づかみにしたようで、乗ると言ってきかない。いつもは外で奇声を上げたりはしないのに、とにかく大声を出した。挙げ句には、乳母車から立ち上がろうとする。もちろんシートベルトをしているから、乳母車はその反動で、あわや転覆しかかるし、ほんとに往生した。よその子はみんなとても静かだし、おとなしいのに、うちの子はほんとにほんとに、どこの子や〜というくらいに自己主張というのがわがまま放題で、とにかく気がどんよりと重くなってしまった。せっかく涼みに来たのに、もうそんなことはどうでもいい漢感じになってしまったのだった。予定では、夕方涼しくなる頃に家に着くようにと思っていたのだけど、炎天下の1時半過ぎに、駅から家までの道を歩く羽目になってしまった。帰宅しても、なお外で遊びたがるQPさんを宥めながら、無理矢理DVDを観たりしたのだが、もう利かん坊の小鬼と化した子どもは恐ろしい泣き声を上げるばかり。なんとか用意した夕食も、自分の好きなように食べたいと主張して、思い切り派手に散らかしてくれた。まだまだ半分以上、器に残っているのにごちそうさまをして、お皿を重ねて流しに持って行ってくれるので、こちらの気分はまたどんよりしてくる。賢いのかあほなのかわからんのです。お風呂でも、湯船のお湯をいかにして飲ませないようにするかを巡る攻防があって、こちらはひたすら消耗していた。とにかくですね、飲みたい!と思ったらなにがなんでも飲みたいわけです。だから、愛して止まない丸形タッパーでお湯を汲むことを禁じられても、泡立てネットを浸してそれを口に含んで飲むとか、タオルを浸すとか、挙げ句の果てには蛇口に口を付けるとか、などなどなど。そういう毎日を過ごしています。もう夜も昼もない。


21-06-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 最近読んだインターネット上の文章で、とても心に残ったもの。「…どの時代でも人は、今出来ることを一生懸命にやることで道が開けてくるのだと思う。…」時々、読ませていただいている方のブログで、『JIN』というドラマの感想を書いておられたもの。ドラマは観ていないし、こちらの方の感想を読んであらすじを把握しているようなものなので、この文章だけ取り出すのはなあという気が多少するのだけど、そうだなあ、、わたしはそういうところがちょっと足りていなかったよなと思って、はっとしたのだった。今日は朝から子どもを連れて図書館へ行き、絵本を借り直したり、新しい本を借りたりして、そのまま特売日のスーパーを回った。帰宅して食事の準備をして子どもに食べさせ、後片付けをしたら、またわたしだけ電気が切れたように寝てしまい、大声を上げて泣く子どもに起こされて、まだ日差しの強さがぎんぎんの中、公園に出かけた。バネ仕掛けのキリンやパンダの乗り物に子どもを乗せ(自分も一緒に乗ったり)、かけっこをしたり鬼ごっこをしたりして、約一時間。とっても喉が渇いたので、またスーパーに寄って冷たい飲み物を買い、途中で飲んで帰宅。子どもは疲れてバタンキューと昼寝。そのすきに家事を片付けて、もうこんな時間だ。でも、もっと一所懸命がんばってみよう。もうなにをしてんだかわからんのだけど、がんばらないと。そんなこと


20-06-2011 / Monday [長年日記]

_ この日記、相変わらず、一旦更新すると、二度と修正できないままになっているので、ときどきとんでもない綴り方の時があって、ひとりであ゛〜と叫ぶことが多くなった。でも仕方がないので、ドンマイ。

_ 山の家の片付けへ。バスの時刻表が変更されているということを知らずにいて、えらい長い時間、ぼーっと待つ羽目になった。久々の山の上で一汗搔いたが、下界よりも涼しいのであっという間に時間が過ぎた。真っ直ぐ帰宅して家にたどり着いたら、自分では気づかなかったけれど、疲労困憊していたもようで、食べ損ねたお弁当を片付けたら、もう一瞬たりとも起きていられなくなった。それでも子どもをお風呂に入れないといけないので、一緒に泡で遊んだり、数え歌を歌ったりしているうちに、いつもの頭は覚醒しているのに体はもう燃料切れ状態になり貧血。絶好調の子どもをなだめすかせて着替えさせ、自分はお風呂上がりにカルピスもどきを一杯飲んでしばらく起きていたけれど、知らない間に寝てしまっていた。子どもはその間、一体、どうしていたのだろうか。。気がついたら、子どももわたしの隣で寝ていた。中途半端な時間に目が覚めてしまって、まずいことになった。。そうそう、今日の夕食、子どもは一体何を食べたのだろうか。ちょっと謎だけど、ジャガイモを食べていたような記憶がある(もちろん生ではありませんー)。

_ 思考停止状態が長く続いている。子どものことを考えたら早く動き出さないといけないはずなのだけど、まだ動き出せない。そういう甘いところが自分の一番だめなところ。子どもは一体、何歳くらいから、自分の親のことを記憶に刻むようになるのだろう。わたしの場合、明らかに弟が生まれる前後から、自分の記憶というものが始まっている。いつか書いたことがあるけれど、母が入院していたと思われる病院の廊下のベンチから落ちて、鼻血が出たこと、わたしが抱っこできるくらいに首も座ってちょっと大きくなった弟を膝に抱えた写真を撮ったこと(写真を見ることで、その記憶が再生産されたということでもあるのだろうとは思う)、いつもいつも弟一番の家族になって弟に意地悪をしたら、腕が脱臼してしまい、以後しばらく、脱臼癖がついてしまって、母にひどく叱られたこと、、。だから大体、三歳前後から、自分の人間としての記憶が始まったような気がしている。今なら子どもと離れるようなことになっても、子どもはわたしのことを覚えていないんじゃないか、そういう考えが頭に浮かんでは消えていく。そして、すぐに子どもの耳のことを考えて、一瞬たりともあれこれと考えたことを打ち消している。子どもは、わたしが子どもの頃に買ってもらった古いぬいぐるみと、大学院生の頃に買ったちょっと新しい古いぬいぐるみを喜んで、一緒に寝ている。ぬいぐるみと子どもの顔の大きさがほぼ同じで、三人キョウダイみたいにみえるのが、おかしくって。明日はもうちょっとがんばろう。


17-06-2011 / Friday [長年日記]

_ 『苦海浄土』。ちびちびとしか読み進められないのがもどかしい。弱者という立場に追い込まれてしまうことに、当事者も、その周りの人びとも、無自覚だった時代があった。今はどうなのだろうか。さまざまな立場の人に、手厚いサポートを提供する種々のサービスがあるように見える。昔は問題とならなかったような事柄でも、今はきめ細やかに焦点が当てられているようにも見える。人の世の中は、そうであれば楽になってきているのかと思えば、そうであるとはなかなか言い切れない部分もまたあって、世の中がどんなふうによくなってきたのか、わるくなってきたのか、昔と簡単に比べることに意味が見いだせないようになっているともいえる。そんなことを考えつつ、夜中に少しずつ読み進めている。それにしても、石牟礼さんが美しい日本語で描く水俣の漁村の人びとの暮らしは、なんと人間的な豊かさに溢れているのだろうか。美談ばかりではなく、哀しい話がたくさんある。そこを生き抜く人びとの力強さを前にすると、この人たちが、今われわれが公害とは無縁の環境でのんびり(それぞれの範囲内でそれなりに苦しく)生きていられるのかなとも思えた。水俣だけでなく、四大公害の被災地はすべてそうなのかもしれないと思ったりもした。苦しいときほど、人間の真価がみえるというけれど、そうであっても情けないわたしなどはどうすべきなのか。一層、頭が痛くなってくる。


13-06-2011 / Monday [長年日記]

_ 花やさんの前を通ると、カサブランカがたくさん出ていた。思い切って一本、買う。帰宅して、花瓶に花を挿すと、部屋中に濃厚な百合の匂いが立ちこめた。長年、大事にしてきたハゴロモジャスミンが枯れてしまい、今年の季節には花やさんで小さな鉢物を買ったのだった。来年もきっと咲いて欲しい。花のある生活はやっぱりよい。

_ 土鍋でご飯を炊くようになった。おいしい!子どもも喜んで、ご飯ばかりを食べる。

_ 背中の真ん中あたりにまで達するようになった髪を切ろうと思っている。長いのにはもう飽きてしまったというのもあるけれど、変えられる部分から変えてみるのもいいかなと思って。ショートカットだと、小まめに手入れをする必要も出てくる。いまのわたしには、それがどういう種類のことであれ、なにかとにかく「やってみて」「がんばってみる」というのが必要な気もするからなのかもしれない。長いのは、それはそれで便利だし経済的でもあるのだけど、そういう自分にとって楽な方向に流れるのがよくないのだと思い始めたということでもある。遅すぎるといわれるかもしれないけど。子どもはわたしが誰だかわからなくて、泣いたりするかもしれないなあ。


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