_ 6月後半の2週間の間に、3回、セミナー発表があって、すっかりと死んでいた。でも最後のセミナーは、もう気負いもなにもなくて、気楽に楽しく話すことができて、個人的には満足。もうちょっと準備したかったなあとあとで思ったけれど、セミナーのあとに気落ちすることがなかったということだけで、もうなにもかもOKな気分なのであった。
_ そんな毎日のあとのある日、眠れなくて夜中に起き出して、テレビを付けた。3月末に衛星テレビの契約をして、最初の3ヶ月は無料で全チャンネルが見られるということだったのだが、7月に入ってもまだすべて見られる。だからということでもないのだが、ときどき、夜中に映画を観ている。で、先日、途中からみただけなのだけど、ものすごくツボにはまる映画をやっていた。カメラの視線と動線が、むちゃくちゃかっこいい。これはすごい映画じゃないかと一人沸き立って、食い入るように画面に近づいた。昔のATGの映画を思い起こさせるような、でも俳優の演技も独りよがりじゃなくて、なにもかもすごい。「恋人のデイスクール」という香港の映画だった。後半の部分を見ただけなのだけど、とてもインパクトのある映画だった。なんとかまた見る機会があるといいのだが。
_ で、少し前から、Later... with Jools Holland という音楽番組もよく見ている。外見はまったく異なるが、大橋巨泉みたいな感じのおじさんが、いろいろなバンドやら歌手やらをスタジオで紹介する番組。もちろん生演奏。おじさんもピアノがすごくうまい。で、この番組はわたしと音楽の「失われた10年」を埋めるような感じで、実にツボにはまった音楽を聴かせてくれるのである。この番組の出演者リストについては、ちょっとおじさんの好みが優先されて過ぎていて(大橋巨泉だからしかたがないと思うんだけど)批判もあるらしいが、とりあえず、今のわたしにはまったく無問題。昨日、見たバンドは昔懐かしい、The Cureみたいな雰囲気。ちょっとシューゲイザーちっくでもあり、うわー、いまでもこんなバンドがいるんだなーと興奮してしまった。Foalsというバンドらしい。
この番組を見るようになったきっかけは、たまたま、「一度、契約した衛星テレビのプログラムでどんな番組をやっているのか、すべてのチャンネルを最初から見てみよう」と思ったからだった。で、ちょうどそのとき、アデルという女性歌手がRight as Rainという歌を歌っていたのだった。ヒットした曲らしい。いやー、この曲、なんというんでしょう、ある意味ノスタルジックでもあり新しくもあり、どこか琴線にふれるものがある。でもアデルさんの姿かたちが、すこしぽっちゃりで、しかもどちらかというと普通の人がきるようなチュニックみたいなもので、踊ったり走り回ったり振り付けがあるわけでもなく、立ったまま歌っていたのが、「えらく上手な素人歌番組だな」と思わせたのだった。それで、チャンネルを動かすのを止めて、見入ったという次第である。
テレビをゆっくり見るという生活なんて、数年ぶりのこと。日本のテレビは、NHKも含めてあんまり面白いとはおもわないのだが、外国のテレビ番組の中には、大人の視聴者にちゃんと見てもらえるような作りのものもあるということなのだろう。この番組をとても楽しみにしている。
_ 先週末、やっと今学期が終わった。その1週間前から、今振り返ってももう思い出せないくらいとにかく多忙で、その状況は来週いっぱい、いや今月いっぱい続きそうで、自分でもびっくりしている。その合間に、やっとこさ契約書関連の手続きについて、とにかく契約内容どおりになにもかも実行してもらうことを確認し、ビザ関連の手続きも同時進行でなんとか目処がついた。忙しさの半分以上は卒論指導で、それも別に自分の担当している学生でもなんでもない学生関連の事態収拾のためだった。基本的に、すべての学生の日本語要旨の校正をすることになっているのであるが、数件、どう考えても内容がおかしいというものがあった。日本語で書いてあるけれど日本語として読めないという類いの問題ではない。学術用語の使い方とか選択が完全に間違っているもの、経営哲学あるいは人生哲学関連の文献なのに「文学作品」として読んで解釈していたもの(それもありなのだろうか?わたしには実のところ、まったく理解できなかったんだけど、文学の定義とはいったいなんぞやと、以来、ずっと考え続けている)、歴史的事実を自分の使いやすいように工作してあるもの、であった。要旨を読んだだけでは、論文の欠陥を完全にクロとは判断できなかったりするので、その都度、指導教官に問い合わせる・・・んだけど、その聞き方というのもまた、いろいろ配慮しなければいけなかったりする。だからその前に、副査の先生に根回しをしておいてから、本人と再面談して、それから主査に話を持って行く。こういうのをずっと毎日、やっていたような気がする。学生にとっては、卒業が延期されることもあるし、しかし先生方にとっては、学生を何人卒業させたかでボーナスが査定されたりするわけで、いらんことしてくれはったなー、ということにもなってしまう。それで、ずっときりきりまいをしていた。でもこれも今月末で終わりそうだから、あとは長期休暇で充電したい。自分の勉強をしなくちゃなあとずっと思っていたのを、なんとかしたい。
_ 昔、大阪・アメリカ村の雑居ビルの一階に、Pat O'Brienという名前の店があった。もしかすると、今でもあるかもしれないけれど。そこは今風にいうなれば、カフェということになりそうな雰囲気だったけど、700円だったか800円だったかのランチメニュー数種あって、それくらいの値段のケーキセットもあって、ちょっとアメリカン・カジュアルな内装だったような記憶がある。3回くらい行ったことがあったのは、隠れ家とまではいわないけれど、ちょっと中に入り組んだところにあって、かならず座れるからだった。急に思い出したのは、ゆうべ、夜中に目が覚めて眠れなくて、「色彩を持たない多崎・・・」を読んだからだった。読みながら、そういえば、高校時代、全員女子だったけど、仲良しグループでよくいろいろなところに出かけたなあと思い出したからだった。そのうちの何人かとは、極めて不定期的に連絡を取り合っている。でもあとの人たちたちとは、高校卒業後、たぶん、一度もあったことがない。みんなで最後に出かけたときもPat O'Brienでケーキを食べたような記憶がある。「多崎」については、どんなふうに評価すべきなのだろうか。恐らく、少なからぬ人数の人が感じたのではないかと思うけれど、「ノルウェイの森」を薄くしたような、あるいはそこからインスピレーションを得た人が似たような小説を書いてみたらこうなったとでもいうような、そんな感じがした。好きか嫌いかとか、面白かったとかつまらなかったとか、そういう感想ではなく、「全編村上春樹的」という感想しか思い浮かばない。肯定しているのか否定しているのか、自分でも不明。
徹底的に小説に飢えている。貧乏じゃなかったら、そしてちゃんとお給料がもらえていたら、キンドルを買うのだけど、状況が許さないので、手持ちの本を何度も何度も繰り返し読んでいる。おもしろい小説をひたすら読み浸る状況が欲しいものだ。
_ 押し入れにはオシイレ仮面が、お風呂場にはシャワーマンが、うるさく騒げばオオカミ男が現れる。そういって、いつまでも起きていたい子どもを寝かしつけ、お風呂で遊びたがる子どもを制し、大声を張り上げて遊び回る子どもを大人しくさせようとしてきた。しかし、当地には押し入れはなく、お風呂は日本の風呂場の2倍ほどの広さがある。オオカミ男になりたいと思い始めた子どもには、どんなことばも効かなくなってしまった。風呂場には、日本地図と各都道府県の名物をイラストで表した表を貼っている。秋田県のところには、なまはげの絵が描かれている。子どもの弱点はなまはげであった。あるとき、業を煮やして、「そんなことばっかりしてたら、なまはげが来るで!」と言ったところ、怖いもの知らずの子どもの顔色が変わった。本気で泣き出すのである。よし!やった!とばかりに、この頃は、ずっとなまはげで、子どもを怖がらせている。たぶん、子育てとしては、よくないやり方なのだろうけれど、おもしろいくらいに子どもがおとなしくなるので、トラウマにならない程度に、なまはげさんにお願いしている。風呂場のイラストは、どちらかというと、全然怖い顔には見えないただのイラストなのに、子どもは子どもなりに恐ろしい存在だと受け止めたのか、なまはげだけには来てもらいたくないと真剣に考えているようである。子どもはおとなとはまったく違うんだなあ。わたしも子どもの頃、いつも寝るときに、壁を向いて寝るのが怖くてしかたがなかった。なぜだったのか、今でも全然わからない。いつも壁とは反対側の景色を見ながら寝ていた。時々、夜中に目が覚めたときに、壁を向いていることがあった。するとその瞬間に、もう怖くて怖くてしかたがなくなって、慌てて両親の寝室に走っていくのであった。だから、今でも、壁を向いて寝るのは苦手である。いつも、天井を見て寝る。こちらではわざわざベッドの置き方を工夫して、壁がどこにもこないようにしたほどである。壁となまはげとは全然、違うものではあるけれど、子どもがずっと怖がらないように、いつかきちんとなまはげさんの役割について、説明しなければいけないと思っている。
_ 相変わらず、待遇関連ではまったく進捗がなく、一応、毎週月曜日に、どうなっていますかとだけ、学科長に尋ねることにしている。滞在ビザについても、予想外のややこしい局面を迎えるというアクシデントがあった。しかしだからといって大学が何かしてくれるということでもない。じゃあもう辞めるしかないよねえという状況になったとしても、きっと大学は、ああ、そうですよねえ、じゃさよなら、というだろうと思う。ネイティブ教員が必要だから採用されたわけなのだが、本音と建前の大きな違いや、状況主義的に対応される場面が多すぎて、なぜわたしが必要なのだろうかと考え込まざるをえない。ありがたいポジションではあるのだが、所詮は外国人だから、取り替えが効く存在だと思われているのだろう。なかなか安住の地に恵まれないものである。ずっと苦労している。
仕事の関係で、頻繁に日本と当地を往復する知人に、ユーミンの40周年記念アルバムを買ってきてもらった。これを学生に聞かせて、どんな状況か想像して寸劇を作ってもらうというつもりだった。ところが、学生には「懐かしの演歌」にしか聞こえなかったようだ。全然、盛り上がらず、どんなふうに事態を収拾すべきかひじょうに困る羽目に陥った。やっぱり、日本語がはっきりと聞こえすぎたり、わかりやすいメロディーというのは、今時の若い人にはもうひとつだったのだろうか。
で、学生になにもかも任せて、ドラマの準備をしてもらっている。このドラマというのがたいへんくせ者だった。今学期が始まって2回目の授業のときに、「あ、そういえば、3回生はドラマをお願いします」という指令が突然出されたのだった。え?し、しかし、わたしはもうシラバスも作ってあって、教材だって準備して・・・ということばを挟む余地もなかった。なぜならば、3回生のドラマは恒例行事であり、毎年、ビデオ撮影をして、みんなが楽しみにしているからだそう。。しかし、わたしが来て以来、そんな話は一度も聞いたことがなかったのに。いつも仲良くお茶飲んだり、雑談なんかしたりしているのに、なんでそんな大事なことをもっともっと早くに言ってくれなかったんだろうと、かなり気持は落ち着かなかった。でも所詮は外国人なのである。そして、まだまだ新人なのである。もっと自分があれこれ先に情報を収集すべきだったのだろう。いろいろ考えて、ドラマの役に立つような授業を慌てて組み立てた。しかし、自分の準備不足を解消する余裕もなく、結局、なにもかもその場しのぎ的に取り繕うようなことになってしまった。せっかくのネイティブの授業なのに、こんなことになって学生に申し訳ない。仕事の場面での話の進め方とか情報の引き出し方とか、長々とこの国に関わってきたけれど、ほんとによくわからないことが多い。本当のことはどこかにある、しかし、それがどこにあるのか、誰にもわからないままに何かが始まって終わる。だから、その間の出来事が一体なにを表すものであったのか、どんな意味があったのか、永遠にわからないのである。反省して次回に活かすとか、そういう発想もない。いいとか悪いとかの問題でなく、そういう適当さとどのように付き合っていくべきなのか、未だによくわからないでいる。