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  2. ね (07-16)
  3. pyonpyon21 (07-16)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

03-08-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 小さな子どもが亡くなった事件が喉のところに引っかかったままで、やりきれない。この暑い中をどんな思いで母を探して声の限りに叫んでいたかと思うと、たまらなくなる。

昨日の深夜、子どもが突然、狂ったように泣き叫びながら、目を覚ました。どうも中耳炎はわたしが思っていたよりももう少し以前から罹っていたようで、保育園でもらってきた風邪は、それを悪化させるきっかけであったようで、耳鼻科のお医者さんが予想していたように、すっきりとは治っていない。いつから罹かっていたのだろうか。毎日一緒に暮らしていて、こどもを身ぎれいにして健康管理をしっかりとしているつもりでもこういうことがある。新米の母親だからそういうこともあるよと言ってくれる人もあれば、注意が足りないと責める人もいる。もし子どもの聴力に異常が見つかったりすれば、なおのこと、わたしもやり切れなくなる。夜泣きなどめったにしなくなっていた一休さんが、こちらがびっくりしてしまうような泣き声をあげただけで、わたしはまだおろおろとしてしまう。某国で療養中の夫に代わって、父親も兼ねて一休さんを育てているという責任もある。子どもはしっかりと抱っこして、母乳を飲ませたら、すぐに泣きやんだ。クーラーのタイマーが切れたから泣いてしまったのだろうか。耳が気持ち悪かったのだろうか。亡くなった小さい子のことを考えながら、一休さんをしっかりと抱いた。

某国だとひとりで子育てするという状況は、まずあり得ない。厳密には一人親世帯はあるのだけど、近所の目というものが、とてもしっかりとある。十分に食べていないような子どもがいれば、正式ではないけれど、「養子」のようにその子を預かるようなことがある。もちろん人身売買やら児童労働などが普通に存在するようなところだから、不幸な境遇にある子どもがまったくいないわけではないのだ。しかし近所づきあいがまだ濃厚に存在し、機能しているようなところだから、そしてなにより、子どもを本当に大事にする社会だから、大人は大人としての役割を果たしながら、子どもをしっかりと育てている。日本よりもさらに多く、十代で結婚し親になる人がいる。苦労しながら一所懸命に生きている。

この頃は、動物園生まれの動物の中には、子どもを生んでも育てることを放棄する場合がある。そういうときは、飼育員が面倒をみている。一人で育てられないときは、だれかほかの人の手を借りるということが、もっと気楽にできるような、またそういうシステムがきちんとかつ弾力的に整備されているような社会であれば、こういう事件はおこらなかっただろうか。逆に制度に縛られるような考え方をする人は絶対にどんな環境においても一定の割合で存在するかもしれない。臨機応変に、柔軟に何事にも対応できるような余裕を持つ社会というのは、理想郷にすぎないのだろうか。もっと幅広く、世の中の出来事を見渡せるような人を見出して、やわらかい対応ができればいいんだけど。


30-07-2010 / Friday [長年日記]

_ この頃、小さい子が死んでしまうニュースをたくさん読む。今日、大阪であった事件の記事を読んで、むらむらと腹が立って仕方がない。理由がふたつある。ひとつは、盛んにその母親の職業を新聞が書き立て、テレビが読み上げていること。もうひとつは、府の役場がまったく役に立たない働きをしたということ。これだけ近所の人が何度も何度も通報しているのに、たまたま足を運んだときに中に人のいる気配がないという理由で、プロの職員があっさりと引き返しているのだ。もっと対応の取りようがあっただろうに。母親も疲れていたのだろうなどと、わかったようなことは言いたくない。不幸な事件がこれ以上起こらないよう、対策の可能性は無数にあるはずだ。少子化対策というのは、子どもをせっせと生ませることを目指すのではなく、生まれてきた子どもがみな健康に育つことを目標にしたほうがいいんじゃないかと思う。

_ チケット予約とか旅行伺いとか、頭が回らない。今回、どうしても河童国経由で行きたかったのだけど、どうにも飛行機の乗り継ぎが悪い。わたし一人だったらば、それはむしろありがたいことで、なんなりと時間を潰したりできるのだけど、子連れだとどうも難しい。なので、やむなく、直行便に乗る予定。

あと片付けてしまわなければならない諸々がいくつか。

『火星年代記』、読み終えた。SFは詩なのですね、というかブラッドベリが詩人なのか。わたし金星人だし、守護星も金星だけど、ちょっと火星に行ってみたくなった。イメージとしては、やはりアメリカなんだな。ちょっとさびれた中西部。というかもろにフロンティアを目指している幌馬車部隊だから、やはり開拓者というイメージなのか。人の気配がまったくしない都会の描写もあるけれど、それもやはり人気のない、真昼の決闘が終わったあとの盛り場のイメージ。そんなアメリカは映画の中にしかないよといわれるかもしれないそういうイメージ。


27-07-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 今回、帰国して数日してからずっと今日まで、こどもが四つん這いの姿勢から、一所懸命、立ち上がろうとしている。毎日、飽きることなく、練習を試みている。どんな絵本を読んであげるよりも、どんなおもちゃで遊ぶよりも、それが一番楽しいといった顔つきをして、明るい声を上げている。より正確には二足歩行のために立ち上がるのではなく、両手両足歩行というのだろうか。生まれたばかりのほ乳類はウシ目やウマ目のこどもが立ち上がろうとしているのに似ている。某国で義理の父が育てている牝牛がこどもを生んだとき、まだひよわな四本の足でよろよろと立ち上がろうとしていたのを思い出した。わが子は思い通りに立ち上がれないとわかると、決まって疲れ果てて泣き出す。まだ後ろ向きにしか進むことができないはいはいで、器用に机の下や椅子の下に入り込んでしまった子どもを救い出し、明日は立てたらいいねえという。子どもはビー玉みたいな目をきらきらさせて、うん、と笑った。

_ 『火星年代記』(新刊)。電車の中でぼちぼちと読んでいる。頭の中でのBGMはやはり/なぜか、ジギースターダスト。

昔、ジェッターマルスという手塚アニメがあって、その始まりの歌の歌詞に、「♪…時は、2015年…♪」というのがあった。2015年といえば5年後。5年後に、少年型アンドロイドロボットがいるとはとても思えない。この歌の歌詞も、『火星年代記』とおなじく、プラス30年ないしは31年で修正すべきなのかもしれない。昔、「未来」だと思っていた「時」が、今、「現在」になっている。不思議といえば不思議。わが子は、もし日本人女性の平均寿命のままに生きるとすれば、22世紀初頭にもまだ生きている可能性がある。22世紀なんてドラえもんの時代ではないか。

いろいろな機械が開発されて、インターネットやiPhoneやら、なんだかすごいよなあと思う。だけど、真にSF的な科学技術の発達としてわたしが期待してしまうのは、やはりテレパシーとかテレポーテーションかもしれない。超自然科学ではなくて、物理学的科学としてこれが解明されて汎用化されたならば、やっぱりすごいと思うだろうなあ。なので、やっぱりどこでもドアとかほんやくこんにゃくの到来を待ちたいわけである。一休さんにはせいぜいドラえもんをたっぷりと読ませようか。


26-07-2010 / Monday [長年日記]

_ 超早朝休日出勤の日曜日、早めに引き払って、高島屋へ。ざっと巡回して、やはり生鮮食料品スーパー内の魚やで、鹿児島産のウナギを買った。うっかりしてタレを忘れてしまい、母から小言を言われる。さて、そのウナギを食べてみたところ、やわらかくてくどくなくておいしいこと。あまりのおいしさに明日も食べようと思ってしまい、今日も一匹買ってきた次第。昨日はとにかく早く帰ることだけ考えていたので、奈良漬けも忘れてしまっていたので、今日はお漬け物コーナーも巡回。今日は行きも帰りも、電車の中やホームで人から声を掛けられ通しの珍しい一日だった。ある男性は、自分の孫がちょうど一ヶ月、お宅のお子さんはいくつですかと。電車を乗り降りする人がたくさん、一休さんに声を掛けてくださる。かわいい顔ではないけれど、愛嬌を振りまきたがるこどもだからだろう。泣いても笑っても、周りの人の視線がとても温かく、あまり肩身の狭い思いをしなくてすんでいる。


25-07-2010 / Sunday [長年日記]

_ こども、両耳が中耳炎になった。わたしはこどもが持って帰ってきた風邪を家族の中で一手に引き受けてしまい、毎日げほげほと咳き込んでいる。

_ ところで案外、紙媒体の本はなくならないんじゃないかと思っている。わたしはお金がないから今はiPadとかキンドルとか買えないけれど、外国に住む人(日本人だけじゃなくて)にとっては、重い思いをしないでも手軽に母語で書かれた本を読むことができるのだから、いいんじゃないかと思う。こういうとき、いつも思うのは欧米先進国以外の国ことだ。有線電話が普及しないうちに携帯電話があっという間に自転車やテレビ並みに生活の中に入り込んだ。そんなふうに、本もまた形を変えて、あっという間に普及してしまうのかなと思うのだ。今、本を読むということに関しては、少なくとも某国では、あまりそういう文化がない。版を重ねた名著が書店の戸棚に並んでいるということは皆無。とはいえもちろん版を重ねた名著も少しはある。そういう本は、ほぼ例外なく、某国以外の外国人が評価した本だ。出版社が外国にあることも珍しくはない。しかしほとんどの本は初版が売り消れたら終わりの文化で、ほとんどの本がペーパーバック。書店で見たときに買わないと、もう二度と出会うこともない。みな本を大事にしないし、すぐにうちわとして使い始める。つまりそれくらいの薄さの本が多いのである。厚い本でも、みな平気で曲げたり丸めたりする。本を跨ぐな、ページを拡げたままに背表紙を上に机の上に置いてはいけないなどといわれて育った人にとっては、恐るべき光景を日常的にみるような世界である。そうではあるけれど、新しい本は次から次へと続々と出版されている。消費されている。本を読むのが好きなのかどうかはわからないけれど。電子書籍のデメリットはきっと、電気の供給量と、インターネットに関する問題だけのような気がする。今や、どんな田舎に行ってもふつうにインターネットカフェがあるし、みな携帯電話で顔ブック活動を盛んにおこなっている。ITリテラシーは高く、新し物好きの人が多いから、先進国の人が思いも寄らないような使い方が広まる可能性もあるんじゃないかと思っている。

わたしは機械で本を読むのはあまり好きでないから(パソコンのインターネットで十分だと思っているので)、できればずっと紙の本を読み続けることができればと思っている。


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