_ 「おかあさんといっしょ」の歌の中に、もう何十年も前の歌謡曲ではないかなと思うのだが、「ホ!ホ!ホ!」という歌がある。最新のビデオブックにも入っている。子どもはこの歌が大好きである。この歌をYoutubeなどで探して聞かせると、狂喜して飛び跳ねる。そして「ママも一緒に!」などといって、わたしの手を取り、飛び跳ねる。この歌はわたしも好きだ。とても軽快なリズムで、覚えやすいフリつけと歌詞で、歌いながら踊るととても楽しい。基本的に、毎日むっつりと過ごしているので、ときどきこのように体を動かしてみると、血管が脈打ち、体が熱くなってきて、「わあ、生きているんだな!」と思ったりするほどだ。もちろん子どもと外出してブランコに乗ったりするし、毎日、いわゆる家事労働に従事しているから、機械的には動いている。しかし、能動的に喜怒哀楽を表すために体を動かすということはとんとないのである。そこで、この「ホ!ホ!ホ!」は、本当になんというのか、脱日常の体の動きということで、「生きている」感がたちまちあらゆる毛細血管にも廻るのかもしれない。かといって、別になにかカタルシスがあるというほどの激しい動きではもちろんないし、踊りの振付だって、踊り音痴のわたしでさえ、初見でまねっこできるほどの単純極まりないものである。なんにせよ、今のわたしにとっては、単調さをさわやかに乱してくれる変拍子のようなものだ。子どもはわたしがこれを踊って、けたけたと笑い転げると、うれしく思うようだ。こんなに小さいの親を心配させるようなことをさせてしまって申し訳ない。
_ 手続きがいろいろあったので、それを済ませてからひさびさに四条界隈を歩いた。早い時間だったので、あまりお店も開いてなかったけれど、こんなふうに、好きな街をあてどなく歩くことなど久方ぶりだったので、のんびりとぶらぶらとした。歩いて歩いて、手芸屋さんで端布を見ていたら、あっという間にお昼になってしまっていてびっくりする。もう清水の舞台から飛び降りたつもりで、3年ぶりくらいで、ひとりでごはんを食べるときにはよく利用してきたベトナム料理やさんへ。のんびりとゆっくりとしっかりと、一人で楽しいお昼の時間を過ごした。コーヒーを飲みながら、少し本を読んで、百貨店の地下で野菜を買って帰宅。バラ印百貨店の野菜売り場は、うちの近所のスーパーとおなじかそれよりも安い値段で、よいものが買えるので、実は密かにひいきにしている。昼下がりの電車に乗って、本を読んでいるうちにあっという間に家に着いた。ベトナムやのお姉さんが、ほんとにとてもすてきな人で、毎回、この人に会うと、とてもうれしくなる。ーやっと、パートが決まったんですよ!−とか、ー今、読んでいるこの小説(アン・タイラー再読中)、ものすごくおもしろいんですーとか、ー今日の揚げ春巻き、ものすごくおいしかったです!ーとか、話しかけたい衝動を必死に抑えて(いや、別に話しかけたって、全然OKだったのかもしれないけど)、とても幸せな気分になった。今はほとんど友だちもいないし、基本的にいつも自分の心の声とエンドレスな問答を続けているだけ。ママ友もいないし(子ども自身にはたくさん友だちはいる:とくにお気に入りは、昼寝のときによく隣になるらしいレオンくんだそうだ:子どものクラスには、【子】が付く名前の女の子はもちろんいない。母親の名前だって、わたしと数名だけが昭和の名前なんじゃないかと思う。。)、銀行や郵便局、いきつけのスーパーで顔なじみになった人に声をかけてもらうと、うれしくてもしかして尻尾を振ってしまってるんじゃなかろうかと、思わず
おしりに手をやって確認してしまいそうなほどだったりするのである。困ったことだ。わたしが生きているかどうか、定期的に連絡してくれる先輩と、子どもの成長が如何に光陰矢のごとしであるかについて毎回、演劇の台本をよんでいるかのような会話をするくらいしか、他人と話すことはないのだけれど、それにもとくに不満もない。こうやって、粛々と、毎日毎日、判を押したように同じ日々を過ごすのもおもしろくはないけれど慣れた。子どもの「いいまつがい」や元気な歌声だけが、わたしの日常においては予測できない事象である。子どもはわたしの古いMacintoshの全体に、クレヨンでいたずら書きをしてくれた。叱るべきことではあるのだけど、こういう存在がわたしの日常の中にいるということがおかしくて、頭を撫でてやったのだった。パートが始まれば、また新しい規則正しい日常に上書きされるのだろう。楽しくなくても、おもしろくなくてもよい。つらいものでなければ、それでよい。
_ あっという間に一ヶ月近くが過ぎていたのですね。やっと昨日、近所のスーパーの陳列のパートが決まった。2日おきにハローワークに通って、定期的に履歴書を量産して、インターネットの求職サイトと勝負の付かないにらめっこをして、派遣登録をもう何カ所でしたかわからなくなってきて、冬物の一張羅の上着とパンツではもう格好悪くて電車に乗れないなと考え出して、レンタルスーツをしようかとか考え始めたころになってやっと、決まった。これで子どもも保育園を退所しなくてよいという安堵感で一杯で、昨日からすっかりと気が抜けてしまった。スーパーのパートの面接だからといって、気合いが抜けていたわけではないのだが、ハローワークからの紹介状を持って行くのを忘れてしまって、ああだめだと思ったのが、案外、リラックス要因となったのかもしれない。日商珠算検定一級の腕前を計算テストで発揮したからなのかもしれないけれど、やっとほんとにアルバイトが見つかった。雇用保険はついていないけど、半年くらいして、10万円くらい貯金できたら、求職者支援制度を使って、とにかく資格を取りたい。わたしのように、な〜んの資格もない人は、全然だめだということが、いやというほどわかったから。中古の自転車を探そう。わたしも子どもを乗せて、やっとパートにでかけられるようになったのだ。これで、仕事がないからといって保育園を追い出されていたら、もうほんとになにから手を付けていいのかわからなかったと思う。府の最低賃金より20円ほど多いだけの時給だけど、とにかく節約して、ちゃんと貯金して、免除してもらっていた年金もきちんと納められるように、人間らしい生活をしていけるようになればなあと思っている。わらしべ長者のように、これをスタートに、子どもにも辛い思いをさせないように暮らしていきたい。お父さんに会いたい、会いたいという子どもの気持ちが今はとても重たい。早く某国に連れて行ってあげられるよう、なんとか生活を立て直していきたい。そんなかんじの4月、5月でした。夏の面接にどんな服を着ればいいのか悩んでいたので、ほんとに助かった。次の活動は秋。冬になる前に、もう少し時給のよいパートに就けたらいいな。
_ かねがね、ジョナサン・ケイナーの西洋占星術は、いわゆる占いというよりも、カウンセリングやさんみたいな感じに思っていた。石井ゆかりに対しても、そんなふうに思っている。基本的に占いは信じないのだけれど、このふたりの占いは、なんというのでしょうか、返事を書くことはできない手紙が届いたみたいな感じで、ふむふむと頷いて毎回読んでいる。で、ジョナサン・ケイナーによる4月のおうし座の月間占いを読んで、一人爆笑しておりました。以下が、その全文。
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世の中には、無人島に建てられた豪邸で余生を送ることを目標にする人がいま す。そうかと思えば、ヒマラヤ山中の洞窟にこもって、心の静けさを得ることを 夢見る人もいます。しかし、人通りの激しい街の通りにいても、人気のない牧草 地にいる時と同じくらいの心の平和を得ることは可能なのです。それに、心配事 や腹立たしい記憶に注意を払っていたら、人里離れた田園地帯に行っても、心配 事や記憶はあなたについてくるはず。
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実は2月から3月にかけて、ちょっと某国で、日系企業での就職活動をしたりなんかしていたのだった。もちろん全滅全敗です。で、ジョナサンの占いを読んで、うひゃー、確かにそやわー、日本でも就職できひんのに、外国でできるわけないっちゅうねん!と、ひとりでバカ受けしてしまったというわけでした。確かにあの就職活動が終わって、まるでハーフマラソンを毎日走ったかのように疲弊して得た結論があったのである。わたしは多分、その問題とどう折り合いを付けるかを自分できちっと答えを出さないと、きっと何をやってもだめなんだろうなと思ったのだった。それをきっちりと改めてジョナサンに指摘されたような気がしたのだった。
_ ハローワークの前の桜堤の花が満開だったのが先週のこと。今日はもう枝に残っている花のほうがすくなくて、一面が花びらの敷物になっていた。結婚した年の春に、一時帰国したときのこと。夫に桜を見せたくて、ほんの少しだけ桜の花を枝から摘み取って、手帳に柔らかく挟んで押し花にした。もう辞書も手元になかったので、少しでも柔らかい雰囲気が残るようにと、押し花の作り方に逆らった言い訳としたのだった。昨日、子どもと一緒に遊んだ公園で、木馬に乗った子どもの背中に、花びらがはらはらと落ちてきた。バネ仕掛けの木馬を、子どもはなんとか自分の重さだけで揺らそうとするのだが、力が足りなかった。二人乗りをした木馬は、まるで酔っ払いの馬のように前後に揺れて、子どもは喜んだのだが、少し不満そうでもあった。自分一人だけで揺らしたかったのだ。わたしはそっと木馬を降りて、隣の機関車の形をした木馬に乗った。一人乗りの木馬に重たい大人が乗ったので、木馬は勢いをつけて前後に大きく揺れる。子どもは不満そうな顔をして、ママ、こっち、こっちと、また後ろに乗るように指令を出す。子どもよりも楽しそうに遊ぶ母親に呆れたような、そんな顔をしていたので、子どもを促して、図書館へ急いだ。子どもとふたり、木製のベンチに腰掛けて、あれこれ絵本を読んで、ふたりとも楽しんで家路についた。