_ 夜はできるだけ早く寝て、朝も早起きをして、ひたすらヨガ。忘我の境地に至るためにということなのだけど、いつも邪念が襲ってくる。まあ仕方がないんだけど。。昨日、『愚行録』を読み終えた。後味が悪いミステリーのことをイヤミスというらしいが、貫井徳郎の小説の多くは、そんな感じのものばかりのような気がする。だから湊かなえの登場で急にクローズアップされたイヤミスという言葉だけど、そういう小説は今までもたくさんあったのだと思う。決してイヤミスカテゴリーではないのだけど、多島斗志之の小説も、少し、そういうところがある。とくに海上タクシーのシリーズは、瀬戸内海の穏やかでさわやかなイメージとは正反対の、じっとりと湿り気を帯びた日の当たらない側の手触りとか空気感が行間から立ち上がり、本を読んでいる空間に立ちこめるような錯覚する覚えるほどだったと思う。作家自身の失踪ということも相まって、3D小説として、多島斗志之を位置づけています。。もう新しいのが読めないのはとても残念。まだどこかでお元気でいてくださったらよいのだけど。。そして今なぜか手元には、『ずっとお城に住んでいる』もあります。まだ読んでいない。読むのが怖いというのもある。『くじ』はそれほど怖いとか気持ちが悪いと思わなかった。事情があって最後まで読まないうちに、返さなくなてはならなくなった本が、『わたしたちが姉妹だった頃』。おもしろかった。こういう小説は、アメリカでしか生まれてこないだろうなあと思った。最後、三分の一、ぜひとも何とかして読みたい。切ない、と思った。最後、どうなるのかな。。
というわけで、少しだけど、新しい本も読んでいる。もっとざくざく読みたいのだけど、なにかに渇望している状況こそが、現状を変えようとする最大のエネルギーだと思ってですね(笑)、これでいいのです。この蟻地獄から早く脱出できるよう、ハードヨガライフと活字中毒を原動力として、なんとかがんばります。とかいいつつ、昨夜は、久々に中島敦の『山月記』を読んだ。わたしは虎になるほどに、自分に自信もなければ、逆に誇りもないわけだけど、ともすれば、現況に甘んじていてはいけないと気持ちを奮い立たせるときに、自信過剰とはいわないのだけど、それに近い気持ちになったりもする。そういうはだめだ、と頭ではわかっている。だから、ときどき『山月記』を読んで頭を冷やすのだ。
_ またヨガをするようになった。ちょうど10年前、一所懸命に取り組んでいたころは、ほとんど精神的におかしいんじゃないかと思うくらい、朝晩、ものすごくストイックにヨガをしていたのだった。だから、そのときとおなじくらい、今、何かに取り憑かれているんじゃないか・・・と我が身を振り返れば、確かにそうなのかもしれない。今、いるところから抜け出したくてたまらないのだ。忘れたいとも言えるかもしれない。なぜかしら、ちょっとおかしい職場にばかり勤める羽目になるのは、わたし自身がふつうじゃないからなのだろうか。たしか前のブラックな大学にいるときにもそう思ったのだが、今度の劣悪さは、その比ではない。またそれで被るストレスも普通ではない。どうしていつもこうなのかしら。。。久しぶりにどんよりと灰色のことを日記に書いているような気がする。まいった。
_ 最近、お好み焼きをよく作る。野菜を手っ取り早く食べるためでもあるけれど、いろいろと工夫をこらすことができるところがよい。このところ気に入っているのは、キャベツ、ネギのほかには、シーチキン、干しエビを入れるの。干しエビはこちらではさほど高くないので、どばっと入れている。これでカルシウムOK。そしてもし冷蔵庫にあれば、大量のしそを千切りにしたものも入れる。こってりさっぱり、というのか、ちょっとしたバリエーションでおいしく食べられる。紅しょうがが手に入りにくいからというのもある。それだったら30円くらいでザクザクと買えるシソをいれようとなったのだ。塩分のとりすぎにならないよう、ソース類は控えめ。おいしい。子どものお弁当にもよく入れる。
_ この頃、よく夢を見るようになった。あるいは正確には、起きても覚えているというのだろうか。ざっと最近見た夢を書いてみると、某国の大学での教え子と一緒に滝登りをしている夢/水がとにかくキラキラときれいだった、ボートで川を上る夢/濁流で茶色の川だったのだけど、気持ちはとても楽しかったもの、跳ぶ?あるいは飛ぶ夢/三段跳びのようにポーンポーンポーンと跳んだら、三回目で体がふわっと浮き上がり、もうちょっと遠くへ、もう少しだけ飛びたいと思いながら、低空ながらも自分の意思で飛び続ける夢/楽しかった!、焼き魚の夢/いろいろなおいしそうな焼き魚が並んでいる屋台を楽しそうに歩き回る夢/でも食べなかったんだな…
調べてみたりすると、どれも悪い夢ではないらしい。なにかよいことがるといいなー。
_ そういえば大騒ぎの末にやっとビザも出た。ほんとうに待たされた。このまま出なければ国内旅行はできないし、疲れたからちょっとホテルへなんてことも不可能である。絶望的な気分になっていたところで、やっと出たので、ほんとうに祝杯を上げた。長かった。
子どもはといえば、インターナショナルスクールの1年生。編入当初、某国での英語学習がまったく意味のないものであったようで、前の学校からのレターを読んだだけで、「かような英語を書くような人から学んだ英語では、テストしなくても程度が知れています」と言い放たれ、学力が追いつかないというのでESL(English as the Second Language Class)に入っていた。ところが、まあ、仕方がないんだけど、なんと今学期は落第。次の学期ももう一度、ESLで勉強し直し、と言われたのであった。つまり、原級復帰どころか、もう一度、特別クラスでがんばって、それからまた一年生に編入できるかどうかをみましょう、ということ。
子どもは月水金の放課後は、別のところにある英語学校に通学している。こちらはマンツーマンで一時間。最初はまったくお金の無駄!というかんじだったのだけど、最近、新しい先生に変わってから、ぐんぐんとできるようになってきた(あくまでも本人比ですが)。こちらの先生は、「とても飲み込みが早い子です。でもスペルがいい加減だから、そこはお母さんがしっかりと見てね」と。そういうわけで、おしりを叩きながら英語の宿題をさせている。これが親子ともに結構辛いのだけど、まあ、がんばれ!と励ましています。
アパートの裏は、平屋の家があって、その向こうは隣りにあるコンドミニアムの広大な駐車場である。その向こうは警察の敷地ということもあって、わりと広々とした景色が広がっている。その裏の平屋の屋根と、その隣の家の屋根のちょっとずれて重なり合ったところで、ネコが子どもを生んだ。それが1ヶ月ほど前のこと。4人きょうだいのネコたちが、このごろお母さんネコと一緒に屋根の上を散歩するようになった。ネコたちはみんな模様が違う。わたしは割と前からネコたちの存在に気がついていたので、子どもにも話していたのだが、子どもはまだ一度も見たことがなかった。ある日、わたしが台所で水仕事をしていると、どこからか小さい子どもの声で、一所懸命にネコに話しかけているのが聞こえてきた。台所の裏に接しているのは、複雑な場所に建っている西欧人の家である。お父さんはロマンス語を話していて、お母さんはこちらの人。子どもはこちらのことばを話しているのしか聞いたことがないのだけど、お父さんが一所懸命にロマンス語で話しかけているから、きっとどちらもできるのだろうと思う。その子どもがネコに話しかけているんだろうと思っていた。ところが、聞くともなく聞いていると、子どもの声が、はろー、きゃっと、ふわっつゆあねいむ?あいあむ、◯◯ちゃん、はろー、はうあーゆー?と言っている!あらなんと、これはうちの子だったのか!とびっくり。そのまま聞いていると、まあなんとかかんとか英語が使えるようになったんだなーと、大いに感心する程ペラペラと話しているではないか。からかったりしたら、すぐに気分を悪くするので、とにかくできるだけ長く聞き耳を立てることにした。ネコの子たちも、やっとうちの子を認識してくれたようで、興味深げにじっと子どもの様子を見つめていた。ネコと子ども、どちらが先におとなになるだろう。
_ あら、4月と5月は一度も書かなかったのか。。
とにかく慌ただしかった。夏に学生が留学するかどうかの選考がいくつかあった。最初の選考では無事に合格したのだけど、過去5年間に一週間以上日本に滞在した経験があるものは受験できないという記載があるのに、合格後に気づき、念のため確認したら、去年、渡航していたことが判明。すぐに在外公館に連絡して合格辞退の憂き目となった。もうひとつの選考では、随分と苦労した。その最大の理由は、剽窃が悪いこととされていない「文化」というのか、「風土」というのか。そういうところなので、まずはその説明から。妙に上手に書いていると思ったときは大抵、クロだった。そういう仕事関係でとても忙しかった。
それ以外では、良くも悪くも首都に住んでいることで、人間もいろいろ、イロイロということがやはりたくさんあった。もちろんこの場合の人間というのは同邦人ということなのだけど、ニホンジンってほんとうにややこしい。そういう中でやはり気心知れた凸凹時代の先輩がいてくれることはとてもとても、大きな救いであった。まあええわあ~と、笑っておしまい、である。いろいろな人がいるけれど、妙に親しげな人には要注意というのは、いつでもどこでも有効!そう思っているところがあるから、別に大きなロスはなにもないのだけど、まあ他人を観察するのは最大の醍醐味という人が多くて、自分のことではないけれど、あまり愉快ではないこともいくつかあった。首都って、そういう場所なのだと思う。
あとは、超絶おいしい珈琲豆を売るお店を発見して、もうそれ以外はとても飲めないという気持ちになってさえいる。ほんとうにおいしい。ビアレッティのコーヒーメーカーを買おうかどうかとさえ思案しているくらいである。もっともこの豆屋併設のカフェではペーパーフィルターでドリップをしていて、それでも十二分においしいのだから、入れ方の技量次第なのであろう。とにかくおいしい。あまりにおいしいので、わたしも某国へ戻ったら、コーヒー焙煎技術をどこかで修行して、サードウェーブコーヒー屋でもやろうかと思ったくらいである。わりと真剣に考えています!
あとは絶対的に慢性の活字不足で、もう読めるものは薬の説明書も読むくらいになっている。本がない。インターネットはなんだかもうまったく拒否反応で、新聞のニュースしか読んでいない。通信速度の問題もある。美味しいコーヒーとおもしろい本。なんとかして本をどこかで手に入れたい。