_ 4月の初旬にやっと完治した中耳炎が、また再発して一週間。やはり保育園に行った翌日はかならず熱が出たりおなかが緩くなったりするのと連動しているのだろうか。子どもは不機嫌で、絵本を読む集中力もないし、ひとり遊びをする気力もないよう。熱があるからしんどいだろうけれど、家にいてくすぶっているよりかはと思い、歩いていける場所を一緒に散歩した。まだまだ咲いているボタンザクラの花びらが、白いお顔をしたお地蔵さんの傍をとおったときに、上からはらはらと落ちてきた。お地蔵さんに手を合わせて、乳母車をまたそっと押して、ふたりで長い長い散歩をした。子どもはいつのまにかすっかりと寝込んでしまい、耳が痛いことも忘れたような穏やかな顔をしていた。その顔を見ていると、たまらない気持になってきた。
_ 子どものわがままっぷりに泣かされている。朝、顔を洗うと、わたしよりも先に化粧グッズをおいている棚の前に陣取り、わたしが化粧品を使うと、自分にも使わせろと主張する。乳液を掌に出すと、すかさず人差し指を浸して、実に誇らしげな顔をして、なぜか耳の後ろに塗る。眉を描けば、自分にも描いてくれと、目を閉じて顔を突き上げる。髪を梳かせば、いまだにヒコバエみたいにしか頭髪が生えていない頭を振りかざすので、ブラシで頭皮マッサージ風にポンポンと頭をなでれば、完璧!という顔つきをして、お澄ましポーズを取る。目下のところ、一番お気に入りのカバンであるらしいauの紙袋に、ありとあらゆる細かいおもちゃを詰め込んでいるのだが、それを手にかけて(底は若干引きずりながら)、さあお出かけしましょ!と玄関で靴を履こうとする。すぐに出かけないと、必死の形相で大泣きする。思い通りにできないときもあるんだよということを、どうやって教えていけばいいのか、まあだんだんとたいへんになってきた。
_ 復興とか復旧とか、今までとはまったく違う発想で、取りかかる必要があるんじゃないかなとずっと思っている。たとえば昔のソ連のソフホーズとかコルホーズみたいなかたちを援用したような、新しい農業や漁業の基盤を整備するとか。個人の生活の再建と、生業基盤の復興は、分けて考える方が、被災者の負担は少ない。次の地震津波が来るのが何年後になるかはわからないけれど、災害に強い復興プランというものがもしあるのだとしたら、個人の被災の規模を少なくすると言うことだけなのではないかと思う。「想定外」を考え出したら、きりがない。そのことはもうわかっているし、それが免罪符にならないことを考えるのも、大事なのではないか。生業活動と生活の場をゾーンで分けるのは、前回の地震津波の時にも、一部の集落ではおこなわれていたことで、それ自体はむしろ伝統的な考え方だ。でも有効なことはわかっている。この取り組みをひとつの地域が単体で実践するのではなくて、より広い地域で実践されたらいいのになと思う。個人個人が災害から立ち直る、被災を乗り越えるというのは、もちろん大事なことだと思う。しかし、一人で乗り越えるには今回は被災の規模が大きすぎる。新聞によれば、すでに自殺者も出てきてしまっているのである。今さら政権を批判してもはじまらないのだから、みんなが考えを出し合っていけるようになればよいのだけど。
仮設住宅も、そんなに急いで作らないほうがいいんじゃないかなとも思っている。ほんとはもっと早い段階で、使われなくなった学校や施設を改装して、「仮設住宅」とすればよかったとも思っている。ホテルや民宿なんかを政府が向こう1〜2年借り上げるくらいの機転があってもよかったんじゃないかなとも思った。すでに2ヶ月目を迎えようとしている時点で、一体、何がどうなったのか。被災地の外にいて、たくさん情報を持っているはずの人でも、実はあまりよくわからなかったりする。
_ 幼馴染は年子の二人姉妹だった。三人で遊ぶから、いつもキャンディーズごっこ。顔が似ていたから、幼馴染はランちゃん、その妹はミキちゃんの役。わたしはスーちゃんだった。三人で歌って踊った日々には、もう帰れない。今でも、あの頃、レンゲを摘んだりアリの巣を襲撃した原っぱの跡地に建ったマンションの前を通ることがある。あのころのわたしたちの影を探してしまうことがある。ときどきテレビでキャンディーズのメンバーをみかければ、必ずあのころのことを思い出した。これからは、もうあまり思い出さなくなるだろうか。いろいろなものを失くしながら、年を取っていくのか。その分、得るものもあるかもしれないが、いつも探してやまないものは、今ここにはない。過去にあったのか、未来にあるのか、それすらもわからなくなって、混濁してきた今を生きている。霧が晴れる日がもし来たら、思いっきりキャンディーズを歌ってみたい。わたしの代わりに行ってしまったスーちゃんの弔いのために。
_ 冷たい風と雨が吹き付けるときもあったけど、ところどころ、お天気もよくて。久方ぶりに柳月堂でパンを買う。持参のお弁当を子どもにつかわせたのだけど、河川敷を吹き抜ける風が強すぎたのと、隙あらば接近してきそうな勢いで、われわれの上空を旋回し続けるトンビを威嚇し続けるのに疲れてしまい、30分ほどで退散した。家に帰ると同時に雨が降り出した。用事も片付けたのでほっとして、帰宅と同時に二人して長い昼寝をしてしまった。
子どもの眉間の傷は、さすがに新陳代謝が早いのか、オロナインの効果なのか、もうほとんど治っている。カサブタも剥げて、きれいになった。見る度に思い出さずにすんでよかったけれど、子どもは滑り台で遊ぶのを怖がったりしないだろうか。大丈夫かなと少し心配。子どもはこちらが、え?と思う場面で泣き出すことがある。たとえば、テレビの画面いっぱいに、おおきなおおきなバオバブの木が映し出されたときのこと。子どもは怯えて突然泣き出した。星の王子様か。