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  1. ね (05-12)
  2. ニゲラ嬢 (05-11)
  3. ね (05-09)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

04-05-2011 / Wednesday [長年日記]

_ 4月の初旬にやっと完治した中耳炎が、また再発して一週間。やはり保育園に行った翌日はかならず熱が出たりおなかが緩くなったりするのと連動しているのだろうか。子どもは不機嫌で、絵本を読む集中力もないし、ひとり遊びをする気力もないよう。熱があるからしんどいだろうけれど、家にいてくすぶっているよりかはと思い、歩いていける場所を一緒に散歩した。まだまだ咲いているボタンザクラの花びらが、白いお顔をしたお地蔵さんの傍をとおったときに、上からはらはらと落ちてきた。お地蔵さんに手を合わせて、乳母車をまたそっと押して、ふたりで長い長い散歩をした。子どもはいつのまにかすっかりと寝込んでしまい、耳が痛いことも忘れたような穏やかな顔をしていた。その顔を見ていると、たまらない気持になってきた。


05-05-2011 / Thursday [長年日記]

_ 最近よく作る、子どもが好きな離乳食は、寄せ豆腐と命名されているもので、レシピ本に掲載されていたもの。木綿でも絹でも、適当な量の豆腐をキッチンペーパーに包んで1分ほどレンジで加熱。水気を切って、スプーンなどで適度に細かく崩す。そこに緑の野菜(ブロッコリーやインゲン、あるいはネギなど)、黄色または赤の野菜(パプリカやニンジン、カボチャなど)をみじん切りにしたものを混ぜる。野菜はあらかじめ加熱しておいたもののほうがおいしくできる。溶き卵を半分までの量と、全体の感じをみて片栗粉を適量、醤油や出汁醤油など好みの調味料少々をまたざっくりと合わせる。全体の厚みが1センチ程度に収まるようにお皿などに平たくならして、レンジで加熱すること約3分。ラップをかければふんわり、ラップなしだとわりと軽快に仕上がる。好みで、出汁に水溶き片栗粉を混ぜた餡をかけてもおいしい。みじん切りにしたエビやらツナ缶などを入れてもおいしい。あらかじめ調理しておいた挽肉などを入れてもおいしい。子どもはこの豆腐が大好きのようで、いろいろな中身のバリエーションで食べさせている。お金は掛からないし、栄養もバランスよく取れるし、助かるレシピ。ヨーグルトも大好きなので、魚照り焼き+ヨーグルト、蒸しカボチャ+ヨーグルトなどというメニューもよく食べてくれる。助かる。しかし気分が乗らないときは、まったく何も食べない。料理に子どもを参加させるべく、エンドウのサヤからマメを一緒に取り出したこともあった。ところが子どもはマメが急に憎たらしくなったようで、積み木を持ってきて潰したり、わたしの耳に入れたがったりした。ボールにあけたマメを全部床にばらまくことも楽しかったようで、這々の体でマメを回収、直ちに火にかけてざっくりと茹で上げ、冷水に取って皮をむいたものを、延々と包丁でみじん切りにして、寄せ豆腐に入れたこともあった。あまりにもマメの匂いが青々とした大人向きの味になってしまい、このときだけは、子どももそっぽを向いた。子どもの日なので、子どものことを長々と書いてみたけれど、もはや今は子どものこと以外に書くべき話題も持たず、これでいいのだろうかと思ってしまった。今はそういう時期だということなんだろうけれど。

_ 氏子神社の子供祭。御神楽を見に行った。巫女が踊り、笛や太鼓が鳴る。子どもは少し怖がった。神社の裏口から出て、大きなお寺へ向かう。庭を散歩。子どもは、石を拾ったり、排水溝にしか興味がなく、きれいな花や立派な樹木にはあまり関心を示さない。例外的に、タンポポが好きみたい。保育園でタンポポ組だからかな。子どもにはたべさせないのだけど、ケーキ屋でこどもの日のパンダケーキを買った。子どもには、ホットケーキ。小さな小さなこどもの日。


06-05-2011 / Friday [長年日記]

_ 20年余りのときを経て、独裁者として裁判にかけられ即日公開処刑された政治家に対する再評価の動きが出ているというニュースを読んだ。自由主義経済の民主主義は、当然、すべての人に豊かさと幸福を約束するものではない。抑圧的な時代であっても、それは一部の人たちのものであったのと同じである。テロリストの首魁とされる人物が「殺害」されたと報道された。殺害された時は、非武装であったと新聞は書いている。「殺害」「非武装」ということばの使い方から、今回の「正義」に対するもやもやとしたきな臭さが感じられないはずがない。どれくらい時を経ても、そのきな臭さを覚えているのは、民衆なのではないだろうか。今回のことが、単に報復テロを招く可能性があるといった短期的な見通しだけでは済むとも思えない。正義の側に同列するものにとっては違和感を、あちら側に属するものにとっては禍根を残したのではないか。大量破壊兵器があったかどうか、もはや確認するすべがない(あるところにはあるのだろうけど)のとおなじく、テロリストの首魁がほんとうに実在したのかしていなかったのか(本当に殺害されたのか否やを含めて)、第三者が確かめるすべがない正義なんてほんとにあるのかという気持ちになってしまう。


08-05-2011 / Sunday [長年日記]

_ どうにも煮詰まってしまって、でも日本語で話したかったので、先輩に電話をかけてしまった。こんな中学生みたいなことで、こどもがふたりいる人に電話なんてしてはいけないと思っていたのだけど、「そういうふうにいってもらいたかった」ことばずばりで、慰めてもらった。そのことばがおとなの付き合いから出されたものであることは重々承知…なんて、かわいくないことは思ったりすまい。なにをあほなことをゆうてんねん、などと弾き飛ばさずに、きちんと話を聞いてくれた度量の大きさに、感謝した。もう煮詰まって煮詰まって、頭が高野豆腐みたいになっていた。今もまだ決して落ち着いてはいないけれど、ほんとうにどうしようもなくなったら、まだ少なくとも一人は、話を聞いてくれる人がいるのだから。そう思って、がんばることにしよう。一度、どこかで思いっきり、泣いてみたい。そしたらすっきり晴れるんじゃないかと、そのことだけを考えて乗り切るしかない。


09-05-2011 / Monday [長年日記]

_ 子どもが夜中に咳をするようになった。咳き込むというよりは、二回くらい咳をしたあとに、ひっくひっくと息を飲み込むような感じで、痰は絡まない。30分くらいそんな感じで、ミルクを飲ませたりお茶を飲ませたりすると、寝付いてしまった。中耳炎もあるので、翌朝、すぐにかかりつけの病院へ。先生に説明すると、今、この地域の保育園児の間で流行の兆候を示しつつある仮性クループに罹っている可能性があるという。ケンケンと、犬が吠えるような咳をしますかと聞かれた。犬が吠えるような咳??犬を飼っていないし、犬がケンケンと吠えるという表現がさっぱりとわからなくて、犬はどんなときにケンケンと吠えるのですかととんちんかんに尋ねたりしてしまった。先生は苦笑して、たぶん、大丈夫と思うが、抗生物質を4日ほど飲んでみて、来週また来てくださいと言うことになった。続いて耳鼻科で中耳炎のチェック。帰宅してインターネットで調べてみると、ケンケンとした咳のことは、犬吠様咳(けんばいようせき)というのだと書いてある。犬を飼っていて、犬はワンワンと吠えるだけでなく、ケンケンとも吠えることを知っている人は、きっとただちに合点がいくのだろうが、わたしにはさっぱりと理解ができず、「犬みたいには咳をしませんが、喉のつかえを絞り出すように咳をします」と答えたら、咳は普通そんな感じですといわれた。日本以外の外国だったら、なんてよばれているんでしょうか。バウワウ・コフとでもいうのだろうか。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ pyonpyon21 [先日のお怪我のことといい、今回の咳のことといい、さぞやご心配でしょう。どうぞお大事になさってください。   ところで..]

_  [pyonpyon21さん、子どものこと、ご心配くださってありがとうございます。おかげさまで、病院でもらった薬と咳止め..]


11-05-2011 / Wednesday [長年日記]

_ 子どもの前髪を切りすぎて、えらいことになったと思っていたのだけど、予想外に評判がよく、申し訳ないと思っていた気持ちも晴れた。一時預かりの先生曰く、昨今は小さい頃から長髪にする子どもも多く、毛先が目に入って角膜が傷ついたり、感染症にもかかりやすくなりがちなのだとか。QPさん(今日から、子どもはQPさんと呼ぶことにしました;とても似ている)の切りすぎた前髪と、ワカメちゃんカットの襟足は昭和風で、よいらしい。もともと顔が小さいので、顔の面積を大きくしたところで弊害もないようである。本人も、鏡を見てもなんとも文句を言わないので、気に入っているのだと思う(のか?)。

人生相談の手紙が一通、某国語に訳した詩の校正が一通、珍しく私的な郵便が届いた。わたしからは、先日煮詰まったあまり助けてメールを出した先輩にまたしてもあほ丸出しのトンデモメールを書いてしまって、すぐに届いた返信を読む勇気がない状態。もう一通、あまり親しくない人にも煮詰まりすぎておばかメールを書いてしまって、これも今朝届いた返信を読む勇気がないのである。SOSに反応してくれた人からのメールを読む勇気がないって、つまりは自意識過剰なのか短絡的な行動を恥じているのかどちらかかあるいはその両方で、まったくもういくつになっても塗る薬は見つからない。そんなわけで、昨日は誕生日だった。あほは死ぬまで治らない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ニゲラ嬢 [メールがもとで友人を失ったこともある私…お返事があるなんて、それだけでもうエブリシンオーライです。お誕生日おめでとう..]

_  [ニゲラ嬢さん、ありがとうございます。 メールボックスに入ったままの未開封のメールが二通、不気味なオーラを放っています..]


13-05-2011 / Friday [長年日記]

_ 午前中、今日は乳母車に子どもを乗せて、旧街道を歩いた。古い板壁の家の周りに張り巡らされた用水路の水が、先週とは違って、薄茶色に濁っていて、水量が増えている。古い日本家屋のゴミ箱の蓋の上にまた黄色いねこが座っていた。公園の背の高い林の中は、とても気持ちのよい風が吹いていた。なんちゃって森林浴をして、またお寺のそばを通ってから一旦帰宅。引き出しやら鞄の底に沈んでいる小銭をかき集めてから買い物へ。ごはんを食べてから、最近のパターンでは、子どもをお風呂場の桶で水遊びさせることになっている。お湯を張って、QPさんの体を洗いながら、ふたりで話す。互いに、相手が何を話しているのかさっぱり理解していないことがポイント。QPさんは今朝、乳母車で移動中は、ずっと鼻歌を歌っていた。もちろん聞いたことのない歌である。道端の白いタンポポを摘んで持たせていたので、すれ違う人のうち年配の方々が、目を細めるのをうれしく思った。あるおじいさんは、まだ10メートル以上も離れているところから、わー、こりゃこりゃと言った。で、すれ違いそうになったときに立ち止まって、「これくらいの時がいちばんよろしいなあ−」と。ハローワークの人や、名前も知らない街中の人びととの会話が、胸の涸れ井戸を潤すような甘露に思われる。

_ 先輩と元同僚からの返事はまだ開封できず、まったくなにやってんだかと、さすがに頭がいたくなってきた。で、明け方変な夢をみた。別の先輩(女子)が赤ん坊を抱いている。その赤ん坊は実は恩師の子どもであるというもの。。その意味するところは、なにかとてもよいことがその先輩の身に起きたということらしい。恩師が登場していることは、その先輩のこととは関係なく、むしろわたしが不義理していることを潜在的にやはり後ろめたく思っていることと関係するらしい。わたし以外の人の身にはいつも素晴らしいことがあり、わたしはいつも悪運にだけ見舞われているような気がするのだが、それは取りも直さず、努力の量の差なのだと思う。それに尽きる。


15-05-2011 / Sunday [長年日記]

_ 朝早い時間から、乳母車でまた長い散歩に出た。川縁の道を進んで、二股にわかれるところで右側へ。初めての道ばかりを選んだ。やがて小さな公園へ。高い樹木の木陰にほのかに甘い花の香りがする。今日もQPさんに摘んだ野花をもたせてたら、終始ご機嫌で鼻歌を歌っていた。木陰のベンチで水筒のお茶を飲み、ふたりで話など。一方通行の話だけど、ときどき同時にふたりとも笑ったりして、仲良しごっこみたいだった。それからたっぷりと時間をかけて遠回りしながら知らない道を歩いた。運動公園みたいなところでは、四隅をそれぞれホームベースにして、キックベースが四試合、同時進行していた。乳母車からQPさんを下ろして抱きかかえて、一緒にしばらく観戦。今時のキックベースのユニフォームのおしゃれさにちょっとどっきり。小さな無人店舗で少し育ちすぎた感じのシソ。たっぷりと入って100円だった。3時間ほど歩いて家に帰って、素麺を茹でた。たっぷりのシソを刻んで、残っていたネギも合わせて、QPさんには薄焼き卵を加えて、納豆をふたりで半分こ。おつゆはあたたかく作って、一旦、麺をそこに浸してから、お皿に取り出して丸くまとめ、子どもに食べさせた。トマトも切って、ふたりで向かい合って食べた。相変わらず、豪快な食べっぷりのQPさん。食後は風呂場へ直行して、湯浴み。子どもは喜んで、いつまでも桶からお湯を掬っては、アヒルのおもちゃにかけていた。

_ tDiaryのメンテナンスがあって、しばらくアクセスできなかったのだけど、接続できるようになったら、ちょっとフォントが変わっていた。どうしちゃったんでしょう。まあ、いいんだけども。


17-05-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 某日。某師と昼食。子どもも同伴。QPさん、おとなしく椅子に腰掛けて、マイペースで食事。お店の人が用意してくれたお椀とスプーンで、楽しく遊びながら食べていた。食後、コーヒーが運ばれてきてから本領発揮。砂糖壺に注視、あれを自分も使いたいという。コーヒーに添えられていたフレッシュを、恐らく、生まれてきて初めてみたはずなのに、躊躇なく、コーヒーに注ぎ入れ、しかも丁寧にコーヒーで洗う(!)技まで駆使して、飲む意欲全開。あかんあかんでー、という声もむなしく、まずは右手握り拳をカップに潜水させた。熱いはずなのに、顔色ひとつ変えず、次は左手。三角に折りたたまれた紙ナプキンを取れとわたしに指示するので、思わずひとつ渡してしまった。それをどうしたかというと、、くちゃくちゃと丸めてカップに浸し、軽く握って、取り出して、顔を上向きにして口元で絞って飲んだのである。一体そんな技をどこで覚えてきたんだか、、。前世はロビンソン・クルーソーだったのだろうか。これなら、一人でジャングルに置いてきても案外大丈夫かもしれないぞ。恩師の前で、ひたすら恥ずかしい思いをしながら、そういうことを考えていました。


18-05-2011 / Wednesday [長年日記]

_ 子どもを保育園一時預かりへ送った後、買い出しへ。隣の町に、とても安くて新鮮な生鮮食品専門のスーパーがある。朝8時から開いている。QPさんにはできるだけたくさん季節の魚を食べさせたいと思っているのだが、財布さんの都合が悪いことが多く、いつもちっちゃなちっちゃな頭から尻尾まで食べられる魚ばかりであった。今日はちょっと違う魚を食べさせてあげたくて、ほくほくとでかけたらば。。いつもここに来るのは午後の時間帯だったので、しらなかったけれど、午前中はほ〜んとうに新鮮な魚がびっくりするくらいに安い値段でたくさん並んでいる。買いに来ているのは、もちろん一般の主婦の人びとが中心なのだが、食べ物やさんというのか割烹とかレストランとか食堂とか、ランチをたくさん用意するようなお店の人としか見えない感じの人がたくさんきていた。ここは野菜もとても新鮮で安い。青ネギ、水菜、レタスなどをびっくりするくらいたくさん買っている人があちらこちらにいる。わたしはいろいろじっくりと吟味して、新鮮な小あじと小振りの天然鯛を一匹買った。鯛は鱗と中身を処理してもらったら、白子が入っていた。どうやって食べようか。

それから少しだけ、大型スーパーを覗いた。QPさんは、多分、同年代のよその子たちに比べて、圧倒的に持っているおもちゃが少ない。なにか安くて楽しいおもちゃがあれば、ちょっと買ってあげようか、リサイクルショップで探してみようかと思い、そのための情報を仕入れようと思ったのだ。ところが、まあ大型スーパーだからなのか、圧倒的にキャラクター関係のおもちゃが多くて、安くてひねりがきいてそうなおもちゃは、探せなかった。NHKの作ってあそぼで紹介される魅力的なおもちゃは、手作りでできるもの。いろいろ創意工夫すれば買うことないということを実践してくれる番組で、基本的には大好きなのだけど、やっぱり心に残るようなおもちゃも買ってあげたいなあと思ったりもする。ライナスよろしく、QPさんも大人がみたら、いったいなんでまたそんなものを気に入っているのかわからんものを、後生大事にしている。それは、某国で離乳食を保存するのに使っていたタッパーである。なんのおもしろみもないただの丸い小さなタッパーなのだが、これを肌身離さず持っている。で、別になにか特別な工夫をして楽しく遊んでいるわけでもない。ただただそれを掴んでいるのが楽しくて心安らぐようである。それはそれで、まったく問題ないのだけど、よその子がぬいぐるみや人形や、ちょっと洒落たおもちゃを持って乳母車に乗っているのを見ると、わが子が透明の容器をしっかとひっつかんでいる姿が、道端で小銭を求めるストリートチルドレンの子らがもっているプラスチックの容器と重なって仕方がない。まあでも子どもはそんなこと考えないし、QPさんの目には、そのタッパーの中に小さなお友達やらなんかが見えているのかもしれない。それはそれでまた別の心配を呼び起こさせるものでもあるけれど、それはまだしばらく先に心配し直せばよいだろう。

まだ5月の朝の新鮮な緑の芳しい香りが残る公園を抜けて帰宅。


21-05-2011 / Saturday [長年日記]

_ 先週、快癒、問題なしと診断されたばかりなのに、また鼻水がでるようになっている。間違いなく、耳も腫れていることだろう。耳鼻科と小児科をはしごする毎週末。小さな病院の看護婦さんとは全員知り合いになっている。切ない。

_ 久しぶりに図書館へ。前回、借りた絵本を少し破いてしまったため、足が遠のいてしまっていた。今回は、乳母車に乗せていく。児童書の部屋で、カロリーヌのシリーズを発見、自分が読みたいから、それを借りてしまった。(ピエール・プロブスト、「カロリーヌのゆきあそび」)

子どものころにわたしが読んだのは、小学館のオールカラー版。多くの子どもたちと同様、わたしも一語一句、暗記するほど読み返した。大好きな大好きな本だった。自分のためには、梨木香歩とアガサ・クリスティー。10冊借りられるけれど、全部で5冊だけ借りて、また歩いてゆっくりと帰ってきた。乳母車に乗せるときは、QPさんの目線の高さにある草花を少しずつ摘み取ることが多い。少し前に満開だったタンポポの野原は、今、綿帽子が圧巻となっている。一本だけ摘んで、ふうっと綿毛を飛ばして、乳母車で追いかけた。人間は多年性だけど、一年性の動物だったらどうだろう。冬眠して、春になったらまたなにもかも忘れて若葉を茂らせて、花を咲かせ、実が生って、鳥に食べられて、葉が枯れて。。植物のつもりで、毎年毎年、新しい気持ちで生きていけば少しは楽になるだろうか。明日はもっとがんばろう、次はもっとがんばろうと思うからしんどくなるのだろうか。カロリーヌを読んで、とても懐かしい暖かい気持になったのも束の間、続いて読んだクリスティーの中に、殺人が起きた館で、その時に居合わせた人たちの部屋を捜索する警部のことばがぐさりささる。ある人物のベッドの周りには、何度も読み返したと思わしきキプリングの小説が置かれていた。「ふふん、古い小説を何度も読み返すとは、保守的な性格のやつだな」。そういう発想があるのか。。新しい小説にちっとも食指が動かないなどというわたしは、確かに保守的で、ちっとも進歩のない人間なのだろう。


22-05-2011 / Sunday [長年日記]

_ いつのまにか梅雨の気配がすぐそこでわれわれを待ち構えていたかのような雨模様の明け方、カーテンは引いたままで窓を全開にしてもう一度眠りについた。

布地やさんで、子どもの帽子にぴったりな麻の生地を見つけた。若干、微妙な大きさの布だけど、頭も小さいからこれで足りるかと思って、思い切って清水の舞台から飛び降りて購入(JPY340)。子ども用の帽子は、お店で買うと普通に千円以上の値札がついている。安いお店だと300円というものもあるので、そういうのを買えばよいのだろうけど、そのあたりは気持ちの問題とやらで、わざわざ布を買ったりなんかしてしまうのだった。アンパンマンのキャラクター的かわいさ(お話の内容は別として)がまだよくわからないので、むやみやたらとアンパンマン漬けにはしたくないとか、そういうややこしい気持ちなどもたなければよいのですがね。。


24-05-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 某日。久方ぶりに某博物館へ。ウメサオタダオ展を見に行く。大学一回生から学振PDになるまでの足かけ9年余り、アルバイト要員として長らくお世話になった場所で、いろいろな人とも久しぶりにお会いした。生前の大先生にも何度もお目にかかったことはあったが、お話はしたことはない。なぜか運転手のおじさまに可愛がられていたので、ときどき、車に乗せていただいて、公園の中をドライブに連れて行っていただいたりすることがあった。といっても、年に一、二回だったけど。そういうノスタルジイも含まれるからだったのだけど、どちらかというと地味目の展示の、特にフィールドノートやらカードのコピーを手にとって読んでいると、もうそれだけで、万感の思いが迫ってきて、あれこれあれこれ考えた。わたしのノートはとても人様に公開できるような代物ではないけれど、ちょっと似ているところもあって、密かにうれしいと思ったところもあったり。いろいろ、いろいろな思いが頭の中に浮かんでは消えていく瞬間に、ああ今のこの時にノートをもっていないなんて、やっぱりわたしは終わっているよなあ、なんて改めて思ったりしたけれど、なんか違う別の感慨もあったりして、全体的に元気に気分になった。久しぶりの常設展示も、結構、大きな入れ替えもあったけれど、わたしの好きな展示コーナーは、ほとんど変わってなくて、これもまたノスタルジイに浸る。子どもも、ほとんど人のいない館内を好きに走り回って、言語コーナーのはらぺこあおむしの前では、根が生えたように動かなくなってしまった。そしてこれまた感慨深かったのは、引き離しても引き離しても、子どもが舞い戻ってべったり顔をつけて見入っていた展示コーナーが、かつてわたしがかかわった資料であったことだった。子どもにもその面白さがわかるんだろうか。もっともっとじっくりとみたかったけれど、それでも朝から出かけてもう午後三時半になっていた。大急ぎで挨拶を済ませて、バラ園をちょっと見て帰宅の途に。子どもは疲れて、わたしも大いに疲れて、帰りの電車では二人して爆睡した。

ちょっとことばにまとめられないくらい、頭の中がすっきりとした感じでいっぱい。行ってよかった。


25-05-2011 / Wednesday [長年日記]

_ 某日。サラ・ウォーターズ、エアーズ家の没落(上・下)、創元推理文庫。狂気に陥った人間と正気の人の対比に力点が置かれているわけではないし、明らかに存在するという前提に立った上での「館」そのものの邪悪さといったものは、キングの「シャイニング」ほどに背筋を凍らせるような怖さを感じさせることはない。シャイニングの場合、わたしは背表紙の文字に目を遣ることもできなかったくらいだった。しかしだからといって、怖くないというわけではない。むしろ解説の解釈とは違うのだけど、この館の邪悪さを「誘発」というか眠りを覚ましたのは、メイドのベティではなくて、信頼ならない語り手である田舎医師なのではないかと思った。10歳の時、ガーデンパーティーの時、誰もが少し気分を高揚させていたあの午後に、10歳の少年だった医師は、越えてはならなかったはずのカーテンの向こう側に足を踏み入れ、石膏細工の装飾のドングリをもぎ取ってしまった。この館との関わりが、それから30年後に医師として足を踏み入れた領主館で、ベティの診察をきっかけに始まってしまう。なぜこの医師は、それほどまでにこの館に執着するのか。エアーズ家の誰よりも、この家を賛美し正気の人びとの健全なる精神を蝕んでいく館の不穏さ、邪悪さを直視しなかったのか。きっと、30年前に館に魅入られた少年の再訪を、館はずっと待っていたのではなかっただろうか。一気に読んでしまったけれど、カタルシスがなかったのは、この医師が一時的には愛する人を亡くしたりして傷ついたとはいえ、館に対する執着を未だに持ち続けているからなのだろう。その、館と彼だけが理解し合っている狂気の表現が、イギリスの小説らしく上品に抑えられていたからなのかもしれない。そういう意味では、シャイニングよりも怖いというべきか。

_ 某日。サラ・ウォーターズ、エアーズ家の没落(上・下)、創元推理文庫。狂気に陥った人間と正気の人の対比に力点が置かれているわけではないし、明らかに存在するという前提に立った上での「館」そのものの邪悪さといったものは、キングの「シャイニング」ほどに背筋を凍らせるような怖さを感じさせることはない。シャイニングの場合、わたしは背表紙の文字に目を遣ることもできなかったくらいだった。しかしだからといって、怖くないというわけではない。むしろ解説の解釈とは違うのだけど、この館の邪悪さを「誘発」というか眠りを覚ましたのは、メイドのベティではなくて、信頼ならない語り手である田舎医師なのではないかと思った。10歳の時、ガーデンパーティーの時、誰もが少し気分を高揚させていたあの午後に、10歳の少年だった医師は、越えてはならなかったはずのカーテンの向こう側に足を踏み入れ、石膏細工の装飾のドングリをもぎ取ってしまった。この館との関わりが、それから30年後に医師として足を踏み入れた領主館で、ベティの診察をきっかけに始まってしまう。なぜこの医師は、それほどまでにこの館に執着するのか。エアーズ家の誰よりも、この家を賛美し正気の人びとの健全なる精神を蝕んでいく館の不穏さ、邪悪さを直視しなかったのか。きっと、30年前に館に魅入られた少年の再訪を、館はずっと待っていたのではなかっただろうか。一気に読んでしまったけれど、カタルシスがなかったのは、この医師が一時的には愛する人を亡くしたりして傷ついたとはいえ、館に対する執着を未だに持ち続けているからなのだろう。その、館と彼だけが理解し合っている狂気の表現が、イギリスの小説らしく上品に抑えられていたからなのかもしれない。そういう意味では、シャイニングよりも怖いというべきか。The Littel Starangerという原題を「誰」に解釈するかで、恐怖の度合いが変わるかも知れない。そういう意味で、解説の解釈とわたしの感想は異なる。


26-05-2011 / Thursday [長年日記]

_ tDiaryはメンテナンス中?だとかで、一回アップロードして公開してしまうと、修正ができなくなってしまっている模様。昨日の日記は、そういうわけで、文章の推敲ができなくて、いつにましてへたくそ文章のお手本になっています。恥ずかしいのでわたしもなんとかしたいのですが、どうにもできないようです。メンテナンスが完全に終了するまでの辛抱のようです。

_ また子どもと一緒に豆を莢から取りだして、今回は豆ごはんを炊いた。今回は、昆布、酒、みりん、砂糖、塩を入れるというレシピ。いつもは、みりん、砂糖は入れない。ごはんがふっくらとやわらかく炊けたのがうれしい。

_ ずっと未開封にしていた先輩からのメール二通は、先週末、ひっそりと読んでみた。なんのことはない(期待していたような厳しいことばとか叱責はなく)当たり障りのない返信で、そりゃそうやなあと、なにか過剰に反応(というか期待)していた自分がやっぱりただの自意識過剰さんだったということで、解決しました。めでたし、めでたし。というか、そりゃそうとしか書けへんわなあ。。という感じでした。ああ、こりゃこりゃ、です。

_ 図書館にて。子どもが保育園に行っている間に銀行、郵便局、図書館へ。頭を使わずに読めるものがいいなと思って、桐野夏生「東京島」、堀江敏幸「本の音」、俵万智「かーかん、はあい」(正・続)。「東京島」は、、、珍しく中途半端な気がした。もっと厚い記述に仕上げることもできただろうにそうしなかったのは、とても表層的なところだけを書くことで、逆にリアリティを出そうとしたのかな、という一般的な感想しか思いつかないんだけど、想像力はかき立てられた。15少年漂流記にしろ、ロビンソン・クルーソーにしろ(スイスのロビンソンも含めて)、最初からある程度、ものがある状態で漂着するというのは、出来事の悲壮さの割合を大幅に緩和するような気もする。だから、生存本能に従って、ありったけの英知と知見を振り絞って、逆境を乗り越えていこうというエネルギーも沸いてくるのだろう。そういう、ストーリーとは関係のないことを考えながら読み終えたので、よけいに「出来事」の表面だけを斜め読みした感がぬぐえない。すみません。


27-05-2011 / Friday [長年日記]

_ 今週、NHKのBSで午後の時間帯に放送されていた映画は、どれも秀作ぞろい。最初から最後まで観ることはできなかったのが残念。毎回、後半部分だけしか観られなかったけれど、もしレンタル屋にあるようだったら、いつか観てみたい。メモメモ:「父、帰る」「ある子供」「約束の旅路」。夜の映画もよさそうなものがたくさんあったが、もう夜更かしして映画を観ることができない。「サン・ジャックへの道」。これは、昨年、小さなマイブームが訪れていたフランス—スペインの巡礼街道が舞台の映画のようだ。いつか、好きなだけ映画を観たり、本を読んだり、できるようになればいいなあ。

オンライン・ラジオを聴くようになった。いろいろな意味で、なんの問題もないんだけど、今までずっと小さいけれど、わりとしっかりとしたオンキヨーのミニコンポで音楽を聞くのになれてきていたので、音が自分の正面から聞こえてくるというのに、まだ慣れない。部屋に音が溢れているという感じも薄いし(それはできない相談なのではあるが)、何を聞いてもちょっと薄っぺらな感じがしてしまうのはもう仕方がないのかもしれないけれど、気に入ったラジオ局(カナダらしい)のものをずっと聞いている。

「ねないこだれだ」「ちいさなうさこちゃん」「かくしたのだれ」といった定番あかちゃん絵本ではあるが、この3冊の共通点は、ほぼ正方形の小さなサイズということ。今QPさんにはこの三冊を交互にずっと延々と、ひたすら読むというブームが訪れている。読むといっても当然、わたしに読ませるわけだが、どれも短い文章なので、適当に暗記してしまったものを上の空で読んだりされるのは言語同断!らしく、きちんとそれなりに動作を付けたり声の抑揚を変えたりして読んでもらわなければ困るらしい。それでなんどもだめ出しをされて、わが子ながらこのこだわりとしつこさは、親譲りなんだろうなあと、頭が痛くなった。


28-05-2011 / Saturday [長年日記]

_ 病院の帰りに図書館に寄る。のちに、これが悪い判断だったたということがわかるのだが。。「伝説の編集者ノードストロムの手紙−アメリカ児童書の舞台裏」(レナード・S・マーカス編、児島なおみ訳、偕成社、2010年)がとてもおもしろい。まだ最初の数十ページしか読んでいないけれど、名著だ。結局、子どもと社会の関係、あるいは社会における子どもの位置づけというのが確立したのは、ほんのこの1世紀のことなのかもしれない。アメリカでさえ、児童虐待が社会問題化したのは、確か20世紀も20年だか30年が過ぎてからのことで、動物愛護団体が最初に動いて、監禁状態で養父母から虐待を受けていた少女を救ったことが発端だったとwikiで読んだことがある。…と、そういったことは本書とはまったく関係ないことなのだが、小さい時から親しんできた、おさるのジョージ、大草原の小さな家シリーズ、ハロルドくんの絵本などなどなど、そういった児童書の著者を支えてきた名編集者がいてこそのことだったんだなあと、深く味わって読んでいる。大学を出たわけでもなく、司書の資格もないけれど(と、インテリ編集者からけんかを売られることも多かったらしい)、よいものを見抜く才能と人を育てる(おだてるも含めて)センスがあった人なのだ。

で、冒頭に書いたことだけど、悪い判断というのは、病院の次に行く先として、図書館とスーパーがあった。具合の悪い子どもを連れているのだから、普通の親ならば、スーパーで最小限の買い物をしてすぐに帰宅したことだろう。ところがわたしは、意外に元気そうなQPさんについつい安心してしまって、家とは正反対の方向に針路を取り、図書館へ向かったのだった。四半刻ほど本を吟味して家路につく頃には、QPさんのぜーぜーという呼吸が聞こえていた。慌てて電車に乗って買い物もせずに帰宅。体温を測ると39度を超えている。子どもはそれでも「元気」で、ごはんも食べるし、借りてきた絵本を読めと言って持ってくるし、ピアノを弾けば膝に乗って飛び跳ねる。それでも熱はじわじわと40度に向かっており、恐らく熱のために過剰に元気になっているのを宥めるべく、早々と消灯体制を取り、子守歌を歌って寝かしつけようとするのだが、こういうときに限ってまったく寝ない。熱があるからだろう。氷枕をセットして、こちらも布団の上に座って母乳をやったり、横になったり、起きたり、オムツを替えたり、解熱剤を半分だけ入れてみたり、そうこうしているうちにもう明け方4時になっていた。外は台風。


30-05-2011 / Monday [長年日記]

_ 台風が過ぎた今朝、やっと子どもを病院へ連れて行ったら、「立派な扁桃腺炎」とのこと。「立派な」という修飾語が一体どういう意味なのかは、これからわかっていくということなのだろうか。。中耳炎にかかりやすいことに加えて、扁桃腺も腫れやすいということがこれでわかったということか。今日になってようやく熱が下がってきて、子どもは午前中からずっと眠り込んでいる。雨上がりで涼しい空だから、昼寝はさぞかし気持ちよかろう。


31-05-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 予約していた「苦海浄土」と「精霊たちの家」が届いたので、子どもと図書館。子どもは40度の熱を足かけ3日間経験したからなのか、足取りが覚束ず、ぼてぼてと転けている。赤ちゃんの時につかっていたスリングを出してきて、それで抱っこすると、昔を懐かしむのか気持ちがよいのか、すぐに寝てしまう。まだ病み上がり。そのくせ、日課にしている路上観察は休みたくないらしいので、図書館の帰り道は思い切り遠回りした。酒蔵から公園に抜けたところで池をふと見やると、中之島にものすごく精巧な亀の置物が大中小と並んでいた。その傍らには、これはほんもののゴイサギ(だと思うんだけど)がいる。亀さんがいるよ、などと言いながら池に近づき子どもに教えると、子どもはぐっすりと眠りこけていた。それにしてもものすごくよくできた亀だなあ、こんなのいつからあったっけか…と思ってしばらくぼんやりみていると、一番大きな亀の首がひゅうっと伸びたと思うと甲羅の中に縮むように吸い込まれていった。あら、ホンマモンやったんかいな!とひとりでびっくりしていると、わたしの左手45度のところにいた親子連れもまた「亀が動いた!」と騒いでいた。と、三匹の亀は、お父さん亀を先頭に順繰りに池の中に戻っていった。亀の甲羅干しだったのか。眠りこけた子どもを乗せて、乳母車で遠回りした道をあちらこちら見て回りながら、駅前のスーパーと薬局に寄って帰宅。

子どもの病気のため、面接をひとつキャンセル。相変わらず、いろいろと遠い道のり。ときどき、「もう死にたいな」と、思わず口に出してしまって、自分ではっとしてしまう。そのうち、慣れてしまって、無意識のうちに、洗濯物を畳んでいるときや絵本を片付けているとき、果ては子どもとげんこつ山の狸さんをしているときなどにも、ぽろりと口に出すようになった。何も知らない子どもは、その言葉が聞こえているのか聞こえていないのかわからないけれど(意味だってわからんだろうが)、一層ニコニコと笑ってじゃれついてくる。熱が出ている最中からのことだが、1分1秒でも離れるもんかという意気込みで、わたしにしがみついてくる。文字通り、トイレにもお風呂にも入れない状態だった。今までは自分の椅子に座ってごはんを食べたりおやつを食べたりしていたのに、今はわたしの膝に座ってでないと、お茶も飲まない。子どもがわたしを現世につなぎ留めようとしているかのようで、厚さ五センチはある「苦海浄土」を読むのにどれくらい時間がかかるだろうかと考えたりしている。時間は恐らく、限りなくあるのだが、無駄に使ってはいけないのだ。無駄にしてはいけない。


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